第136話 盗ませ宝物庫は、闇市で牙を剥く
闇市は、町の下にあった。
正確には、町の下にある古い排水路の、さらに下。
石積みの壁が湿り、黒い苔が生え、天井から水が落ちる。
そこに、明かりのない市場があった。
光るのは、商品だけ。
瓶に詰められた魔物の目。
布に包まれた呪い剣。
折れた杖。
血を吸った指輪。
ギルド印を削られた鎧。
どこかの迷宮から盗まれた宝箱の蓋。
そして、死体から剥がしたであろう冒険者の徽章。
墓銭拾いどもは、盗ませ宝物庫をそこへ運び込んだ。
余は、白い部屋でその光景を見ていた。
視界は荒い。
音も途切れる。
だが、確かに見えている。
盗ませ宝物庫が、闇市の奥に置かれたからだ。
余の宝物室が、敵の腹の中に入った。
「……これは」
《黒市組合の中層倉庫と推定》
「倉庫というより、巣だな」
《はい》
闇市の奥には、思った以上に人がいた。
墓銭拾いだけではない。
盗品商。
禁制魔道具師。
死体買い。
無許可錬金術師。
元冒険者らしき片腕の男。
顔を隠した貴族の使い。
そして、檻に入れられた魔物までいる。
正規ギルドとは別の世界。
人間の欲が、光に出られない形で溜まっている場所。
フィルエが、森灰観測室から小さく言った。
「気持ち悪い場所」
「同感だ」
「でも、濃い」
「ああ」
濃い。
欲が濃い。
宝への欲。
死体への欲。
力への欲。
他人を出し抜く欲。
霧灰白庭迷宮に来る冒険者たちの欲は、まだ分かりやすかった。
宝が欲しい。
名が欲しい。
生きて帰りたい。
だが、闇市の欲は違う。
もっと腐っている。
そして、腐ったものは迷宮と相性がいい。
「管理音声」
《はい》
「盗ませ宝物庫の状態」
《外部封印下。内部報酬は維持。墓銭札増殖済み》
「こちらから動かせるか」
《限定的に可能です》
「限定的とは」
《宝物室内部の罠、報酬反応、鑑定返し、戻り水記録の起動が可能。ただし迷宮本体から離れているため、長時間の維持は困難です》
「つまり、短時間なら噛みつける」
《はい》
「よし」
ボルム・ダルたちは、盗ませ宝物庫を黒い鉄枠の上に置いた。
その周囲に人が集まる。
闇値鑑定士ラグ・エンザもいる。
片目の黒硝子を光らせながら、宝物庫を見ていた。
前より慎重だ。
だが、欲も深い。
「これが、例の白箱迷宮の部屋か」
誰かが言った。
別の者が笑う。
「部屋ごと盗ったって話、本当だったのか」
「墓銭拾いにしては大仕事だな」
ボルムは肩をすくめた。
「箱より部屋の方が高い」
その一言で、周囲の空気が変わった。
宝箱を盗んだ、ではない。
宝物室を盗んだ。
それは、闇市の者たちにとって、かなり魅力的な言葉だったらしい。
「中身は?」
盗品商が問う。
ボルムが答える。
「まだ開けていない」
「なぜだ」
「迷宮の目が付いていた。剥がすのに手間がかかる」
ラグが舌打ちした。
「剥がしたつもりで残るのが迷宮の目だ」
「だから、あんたを呼んだ」
「俺一人では足りん」
ラグがそう言った瞬間、闇市の奥から、別の男が出てきた。
痩せた長身。
黒い手袋。
胸に、いくつもの小さな鍵を吊っている。
顔は若いが、目だけが妙に古い。
「足りないなら、俺が開ける」
闇市の者たちが、少しだけ道を空けた。
ボルムが眉をひそめる。
「箱喰いのヴァド」
その名に、白い部屋の中で余は反応した。
「箱喰い?」
《外部情報不足。推定:宝箱解体専門の闇職人》
「嫌な名前だな」
フィルエが静かに言った。
「ロード、あれ危ない」
「見えるのか」
「うん。箱の蓋じゃなくて、箱の“意味”を開けようとしてる」
「意味?」
「宝箱っていう形を壊す人」
余は黙った。
宝箱の意味を開ける。
つまり、正式宝箱機能そのものに触れようとしているのか。
ヴァドは盗ませ宝物庫の前に膝をついた。
黒い手袋で、白磁の壁を撫でる。
「部屋型か。面白い。箱より深い。中身より、構造が高い」
ラグが言う。
「迷宮の目が残っている」
「見えてる」
「剥がせるか」
「剥がす? 違うな」
ヴァドは笑った。
「食う」
次の瞬間、彼の手袋から黒い歯のようなものが生えた。
それが、盗ませ宝物庫の白磁壁に食い込む。
噛んだ。
本当に、宝物室を噛んだ。
白い部屋で、余は声を荒げた。
「余の宝物庫を噛むな!」
《外部干渉、盗ませ宝物庫外壁に損傷》
「反撃!」
《まだ早いです》
「何が早い!」
フィルエが鋭く言った。
「待って。あの人、繋がった」
「何に」
「盗ませ宝物庫の意味に。今なら、逆に噛める」
フィルエの声に、余は一瞬で落ち着いた。
そうか。
相手が噛んだ。
なら、こちらも噛み返せる。
「管理音声」
《はい》
「盗ませ宝物庫、内部起動」
《起動します》
「鑑定返しではない。箱喰い返しだ」
《該当機能未登録》
「今作れ」
《宝物庫機能を応用します》
盗ませ宝物庫の内部で、戻り水が動いた。
白磁壁の裏に仕込んだ墓銭札が、黒く光る。
ヴァドの黒い歯が白磁壁を噛む。
その噛み跡から、迷宮側の灰霧が逆流した。
「ん?」
ヴァドの表情が変わる。
彼の黒手袋の歯が、何かを噛んだまま動かなくなった。
「これ、噛まれてるな」
ラグが下がる。
「離せ」
「無理」
「離せと言っている!」
「もう、向こうが噛んでる」
余は笑った。
「そうだ。余の箱を喰おうとしたな」
盗ませ宝物庫の壁が、内側から開いた。
開いたのは扉ではない。
口だ。
白磁の壁が、歯のように割れた。
灰霧の奥に、正式宝箱の紋が浮かぶ。
その紋が黒く反転した。
《新規罠反応:箱喰い返し、仮成立》
ヴァドの手袋から、黒い煙が上がる。
彼は腕を切り落とそうとした。
速い。
即断だ。
だが、遅い。
盗ませ宝物庫から伸びた灰白の線が、彼の手袋だけでなく、胸の鍵束へ絡んだ。
鍵。
宝箱を開けるための道具。
鍵束そのものが、霧灰白庭迷宮の宝物庫機能に触れてしまった。
「それも貰う」
余は命じた。
《鍵束情報、吸収開始》
ヴァドが叫んだ。
「切れ! 俺の腕ごと切れ!」
ボルムは一瞬迷った。
だが、切らなかった。
その腕より、ヴァドの技術の方が高いからだ。
リスカも動かない。
ラグは後ろへ下がっている。
闇市の者たちは、誰も彼を助けない。
助ける価値を計算している。
そして、その計算の間に、盗ませ宝物庫はヴァドを喰った。
体全部ではない。
命でもない。
腕一本。
黒手袋。
鍵束。
そして、宝箱を開けるための技術の一部。
「ぐ、あああああっ!」
ヴァドの右腕が、白磁壁に吸い込まれた。
彼は転がるように後ろへ倒れる。
肩から先が消えている。
血は出ない。
代わりに、灰色の霧が傷口から漏れていた。
《外部対象:箱喰いのヴァド、右腕捕食》
《獲得ソウル:120》
《取得:箱喰い手袋、闇鍵束、宝箱解体技術片》
「少ないな」
《対象は死亡していません》
「だが、得たものは大きい」
《はい》
闇市が静まり返った。
誰も笑わない。
誰も近づかない。
盗ませ宝物庫は、黒い鉄枠の上で静かに沈黙している。
だが、さっきまでの部屋ではない。
壁の一部に、黒い鍵のような模様が浮かんでいた。
盗人の手を喰った証だ。
ラグが低く言う。
「これは駄目だ」
ボルムが睨む。
「駄目?」
「売るには高すぎる。扱うには危険すぎる」
「じゃあ捨てるのか」
「捨てられない」
ラグの声が震えていた。
恐怖ではない。
欲だ。
「これは、迷宮が外で噛みついた証拠だ。こんなもの、闇市の奥が欲しがる」
「奥?」
リスカが聞いた。
ラグは答えない。
だが、余は聞いた。
闇市の奥。
中層倉庫のさらに奥。
もっと深い買い手。
「管理音声」
《はい》
「追跡を深めろ」
《盗ませ宝物庫、継続稼働可能時間に限界があります》
「どれくらい」
《現在の接続強度では、あと一時間程度》
「十分だ。奥へ運ばせろ」
《誘導しますか》
「中身を見せろ。だが、全部ではない」
盗ませ宝物庫の蓋が、わずかに開いた。
中から、白銀磁片の小片が見える。
影糸巻きが見える。
灰霧封じの小瓶が見える。
そして、さらに奥に、存在しない宝の影を見せる。
赤黒い宝珠。
白い短剣。
戻り水の中で光る小さな鍵。
どれも完全な本物ではない。
だが、闇市の欲を引くには十分だ。
ラグの黒硝子が、再び光った。
「奥へ運ぶ」
ボルムが言う。
「誰のところへ」
「黒市主へ」
その言葉で、闇市の空気がさらに沈んだ。
黒市主。
闇市の主か。
ようやく、本命の名が出た。
「名前は」
《不明》
「調べろ」
《墓銭札、盗ませ宝物庫経由で追跡継続》
フィルエの声が、少し緊張していた。
「ロード。奥、変な気配がある」
「どんな」
「人間っぽい。でも、迷宮に近いものを持ってる」
「ロードか?」
「違う。コアじゃない。でも、迷宮の欠片を持ってる」
迷宮の欠片。
嫌な言葉だ。
闇市の主が、迷宮の欠片を持っている?
盗ませ宝物庫が、黒い鉄枠ごと持ち上げられる。
今度は墓銭拾いだけではない。
闇市の運び手が数人加わった。
ヴァドは片腕を失ったまま、床で笑っていた。
「持っていけ。奥で開けろ」
ボルムが言う。
「お前は?」
「俺の腕が中にある。見届ける」
正気ではない。
だが、闇市では正気の方が珍しいのかもしれない。
盗ませ宝物庫は、さらに奥へ運ばれていく。
水路の石壁が変わる。
古い地下から、人工の黒い回廊へ。
壁に、無数の盗品が埋め込まれている。
剣。
指輪。
壊れた魔道具。
冒険者の徽章。
魔物の角。
そして、砕けたダンジョンコアのような黒い石。
余はそれを見て、声を低くした。
「今のは何だ」
《解析不能》
「コア片か」
《可能性があります。ただし外部視界が不鮮明です》
フィルエが言った。
「ロード。不完全な迷宮の欠片。たぶん、死んだダンジョンから剥がしたもの」
「そんなものを人間が持てるのか」
「普通は無理。でも、ここにはある」
闇市の奥。
黒市主。
迷宮の欠片。
宝物室を盗む道具。
これは、単なる宝狩りではない。
もっと深い。
人間が迷宮の死骸を売買している。
余の中で、冷たい怒りが生まれた。
死んだ迷宮を漁る。
コア片を飾る。
宝物室を盗む。
「……なるほど」
余は静かに言った。
「墓銭拾いという名は、思ったより正確だったな」
《対応方針》
「まだ見る」
盗ませ宝物庫が、黒い扉の前に置かれた。
扉の向こうに、誰かがいる。
墓銭札の視界が揺れる。
フィルエの森灰観測網が細く震える。
闇市の奥から、低い声がした。
「開けろ」
黒市主の声だった。
余は白い部屋で笑った。
「開けるがいい」
盗ませ宝物庫の中で、灰霧が静かに渦を巻く。
「ただし、これはお前たちの箱ではない」
黒い扉が、ゆっくり開いた。
その奥にいた存在を見た瞬間、フィルエが息を止めた。
「ロード」
「何だ」
「あれ、人間だけど……」
彼女の声が、少し震えた。
「ダンジョンの死骸を、体に埋めてる」




