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第135話 盗ませ宝物庫は、盗人の手を待つ

 闇市は、思ったより静かだった。


 いや、正確には、余の耳に届く音が少ない。


 迷宮の外だ。


 霧灰白庭迷宮むかいはくていめいきゅうの外側。


 余の支配が届かない場所。


 そこでは、壁一枚隔てた向こうの音を聞くにも、墓銭札ぼせんふだや戻り水の匂い、薄灯茸穴うすあかりたけあなの胞子に頼らねばならない。


 だからこそ、見えたものは貴重だった。


 闇市中継所。


 水路の下。


 黒い布で覆われた台。


 闇値鑑定士やみねかんていしラグ・エンザ。


 墓銭拾いの小頭こがしらボルム・ダル。


 封印袋ふういんぶくろ使いのリスカ。


 運び屋のムドとガリ。


 そして、余の正式宝箱三号。


 盗まれた箱。


 いや、盗ませた箱。


 その蓋裏に見せた偽の宝物室が、連中の欲をしっかり掴んだ。


「管理音声」


《はい》


「現在の墓銭札の追跡状況」


《表示します》



墓銭札追跡状況:


付着一:リスカの封印袋

状態:継続中

強度:中


付着二:ボルムの靴底灰

状態:弱化中

強度:低


付着三:正式宝箱三号の底材

状態:継続中

強度:高


破損:ムド、ガリの手袋付着分

状態:除去済み


推定位置:闇市中継所から第二水路奥へ移動中


現在保有ソウル:29,320



「29,320か」


《はい》


「少し使う」


《何に使用しますか》


「盗ませ宝物庫だ」


《正式名称にしますか》


「仮称でよい。どうせ後で変える」


《承知しました》


 白い部屋の床に、宝物庫機能の図面を開く。


 宝物室を盗ませる。


 普通に考えれば、おかしな話だ。


 部屋は持ち運べない。


 壁も床も天井も、迷宮の一部だ。


 だが、闇市の連中は言った。


 宝物室ごと抜く道具が要る、と。


 つまり、そういう道具がある。


 迷宮の一部を、箱や布や魔具で切り取り、外へ持ち出そうとする技術。


 なら、こちらも準備する。


 切り取れるように見せる部屋。


 切り取った瞬間、盗人の手に食いつく部屋。


 そして、持ち帰った先をこちらへ教える部屋。


「構造は小さくていい」


《小型宝物室として設計します》


「中身は、そこそこ良くしろ」


《高価値にしますか》


「高すぎるな。墓銭拾いが欲しがる程度。正規冒険者が命を賭けるほどではない程度」


《難しい調整です》


「できるだろう」


《できます》


「ならやれ」


 部屋の候補が浮かぶ。



仮設報酬部屋:盗ませ宝物庫


規模:小型

位置:灰白小宝庫より奥、中層手前の分岐横

外観:半ば崩れた白磁倉庫

内容物:

・白銀磁片の小片

・影糸巻き二巻

・灰霧封じの小瓶一本

・錆噛みの牙飾り

・戻り水封じの空瓶

・灰白採取物詰め合わせ


罠構造:

・部屋切り取り反応時に墓銭札を自動増殖

・封印袋、切断布、空間抜き具に追跡印を付与

・部屋を持ち出した場合、内部報酬の一部を闇市到達後に劣化

・部屋を開封した者へ鑑定返しを発動

・部屋の床材に戻り水記録を保持


推定消費ソウル:1,850



「高いな」


《宝物室ですので》


「盗ませるために1,850も使うのか」


《追跡、誘引、偽装、報酬、罠を含みます》


「……まあよい。盗ませて、闇市の奥を見られるなら安い」


《実行しますか》


「待て。もう一つ仕込む」


《何を》


「盗ませ宝物庫の一部に、ゴブリンが食えない味を付けろ」


《ゴブリン対策ですか》


「当然だ。あいつら、置いておくと宝物室の角まで齧る」


《冒険者が舐めた場合は?》


「またその話か」


《確認です》


「人間が部屋を舐める確率は?」


《低いです》


「なら問題ない」


《ただし墓銭拾いは確認のため舐める可能性があります》


「何なのだ、人間は」


 フィルエが、森灰観測室しんかいかんそくしつから小さく笑った。


「盗人は、変な確認をするよ」


「フィルエ」


「うん」


「墓銭拾いが宝物室を盗みに来たら、見えるか」


「見える。封印袋の流れなら、前より分かる」


「無理はするな」


「今回は大丈夫。傷もだいぶ落ち着いた」


 フィルエの命脈紋めいみゃくもんは、以前より安定している。


 森灰観測室も機能し始めた。


 外の森の揺れ。


 浅泥井戸からの足跡記録。


 薄灯茸穴の胞子に乗る会話断片。


 それらを、フィルエは管理音声より早く結ぶことがある。


 強い。


 やはりフィルエは強い。


 ただ、前線に出すにはまだ怖い。


 ヴェルグレイヴに傷つけられた記憶が、余の中にも残っている。


「今回は観測だけだ」


「分かった」


「本当に分かったか」


「分かった」


「少しだけとか言うなよ」


「……分かった」


「今、間があったぞ」


 返事はなかった。


 まったく。


 余の契約者は、使えるが油断ならん。


「管理音声。盗ませ宝物庫、形成」


《ソウル1,850を消費します》


《現在保有ソウル:27,470》


《仮設報酬部屋:盗ませ宝物庫、形成開始》


 中層手前の横道で、白磁床が動いた。


 壁が少し沈む。


 灰霧が流れ込む。


 白磁庭園由来の倉庫めいた小部屋が生まれる。


 ただし、美しすぎない。


 半壊しているように見せる。


 床の一部は剥がれ、壁にはひび。


 棚には白銀磁片の小片。


 古びた箱には影糸巻き。


 奥には、見る者が見れば価値を感じる戻り水封じの空瓶。


 そして、床材そのものに戻り水の記録を通す。


 この部屋は、盗まれるために作られた。


 だが、盗まれた瞬間から、盗人を記録する。


 宝物室の形をした目だ。


「よし」


《墓銭拾い誘引用の気配を漏らしますか》


「少しだけだ。闇市の連中が見つける程度に」


《正規冒険者にも感知される可能性があります》


「正規冒険者が来たら、普通の宝物室として扱う。だが、墓銭拾いが来たら、盗ませる」


《了解しました》


    ◇


 墓銭拾いが戻ってきたのは、四日後だった。


 今回は、人数が増えていた。


 ボルム。


 リスカ。


 ムド。


 ガリ。


 そこに、新しい二人。


 一人は、黒い外套をまとった痩せた女。


 名は、ゼラ。


 空間抜きくうかんぬきぐの使い手らしい。


 もう一人は、大きな箱を背負った男。


 ゴルド。


 無言で、背負子のような四角い枠を持っている。


 その枠には、黒い釘や折りたたみの杭が何本も刺さっていた。


「来たな」


《墓銭札反応、再接近》


「道具を持っている」


《新規魔具反応を確認》


「宝物室ごと抜く道具か」


《可能性が高いです》


 フィルエの声が届く。


「箱じゃなくて、場所を切る道具」


「見えるのか」


「うん。はさみみたいな流れ。空間の端を挟んで、少しだけ浮かせる」


「厄介だな」


「でも、重い。たぶん長くは使えない」


「よし。使わせる」


 墓銭拾いは入口で止まらない。


 もう、浅層の牙跡や泥滑りに興味がない。


 ボルムは低く言った。


「前と同じ脅しは無視しろ」


 ムドが手袋を直しながら顔をしかめる。


「前と同じじゃねえ罠もあるだろ」


「ならお前が踏め」


「手、まだ痛えんだけど」


「死んでないなら使える」


 ひどい。


 だが、墓銭拾いらしい。


 彼らは進む。


 灰白採取物には目もくれない。


 白灰匣の跡にも寄らない。


 目的が明確だ。


 盗ませ宝物庫。


 その気配に、まっすぐ向かっている。


「誰が情報を渡した」


《闇市中継所で見せた偽宝物室の映像から推測した可能性が高いです》


「余が見せたのだがな」


《はい》


「だが、こうも素直に来ると腹が立つ」


《誘導成功です》


「分かっている」


 墓銭拾いたちは、灰霧回廊を抜け、中層手前の横道へ入った。


 そこに、半壊した白磁倉庫がある。


 盗ませ宝物庫。


 白い壁の隙間から、銀白の光が漏れている。


 リスカが息を呑んだ。


「あれ」


 ボルムが目を細める。


「前の箱の中で見た部屋と似てるな」


 ゼラが前へ出た。


 黒外套の裾から、細い金属の輪を三つ取り出す。


「部屋の端を見る。触るな」


 ゴルドが背負っていた枠を下ろす。


 黒い杭を床に立てた。


 その杭が、白磁床へ刺さる。


 迷宮の床へ。


 余は少し眉をひそめた。


「痛いな」


《外部魔具による空間固定干渉です》


「床へ杭を打つな、盗人ども」


 ゼラが金属の輪を部屋の四隅へ投げた。


 輪が空中で止まる。


 部屋の端を挟むように、黒い線が走った。


 白磁壁と迷宮本体の境目。


 そこを切り取ろうとしている。


「管理音声」


《はい》


「まだ抵抗するな」


《切り取られます》


「切り取らせろ」


《盗ませ宝物庫、分離準備》


 ゼラが呟く。


「黒市術式・室抜き(むろぬき)」


 部屋が震えた。


 白磁の壁。


 床。


 天井。


 棚。


 中の宝。


 それらが、ほんのわずか、迷宮から浮いた。


 盗ませ宝物庫は、迷宮の一部でありながら、持ち運べる箱のように扱われ始めた。


 普通なら、即座に抵抗する。


 だが、今回は違う。


 余は盗ませるために作った。


 だから、部屋は素直に剥がれる。


 いや、素直に剥がれるふりをする。


《墓銭札、自動増殖開始》


《封印袋、室抜き杭、空間輪へ付着》


《戻り水記録、外部魔具へ浸透》


「よし」


 ゼラが不審そうに眉をひそめた。


「……簡単すぎる」


 ボルムが言う。


「罠か」


「罠だろうね」


「やめるか」


「今さら?」


 ゼラは笑った。


「罠でも、抜けるなら勝ちだよ」


 いい。


 その欲がいい。


 罠と分かっていて、盗れるなら盗る。


 墓銭拾いらしい。


 ゴルドが黒い枠を広げる。


 部屋が小さく折りたたまれていく。


 もちろん、本当に部屋全体が入るわけではない。


 空間抜き具が、部屋の一部を仮封じして持ち運べる形にしている。


 見た目は、大きな黒い箱。


 その中に、盗ませ宝物庫が畳まれていく。


 余の宝物室が盗まれていく。


 分かっていても腹が立つ。


「……許可したとはいえ、腹立たしいな」


《感情反応、正常》


「黙れ」


 リスカが封印袋をさらにかぶせる。


 ムドとガリが、左右から持つ。


 かなり重そうだ。


「走れるか?」


 ボルムが聞く。


 ムドが顔をしかめる。


「無理。歩くなら」


「じゃあ歩く」


「追われたら?」


「置いて逃げる」


「俺ごと?」


「邪魔ならな」


 ムドは黙った。


 墓銭拾いの仲間意識は、本当に軽い。


 だが、今回はその軽さを使う。


「帰路に重さを足すな」


《なぜですか》


「重すぎると捨てる。捨てられると困る」


《では》


「軽く追う。追われていると思わせろ。だが、持って帰れる速度で」


《了解しました》


 帰路に、霧を流す。


 遠くでゴブリンを笑わせる。


 影を走らせる。


 だが、足元の泥は浅く。


 赤錆噛みも見せるだけ。


 帰路喰らいの落武者は出さない。


 墓銭拾いどもは、盗ませ宝物庫を担いで逃げる。


 重い。


 遅い。


 だが、進む。


 ボルムが後ろを何度も見る。


 リスカが封印袋を押さえる。


 ゼラは空間輪の残りを回収せず、捨てた。


 もったいない。


 いや、こちらからすれば都合がいい。


 その輪にも墓銭札が付いている。


「捨てた魔具も記録しろ」


《回収可能》


「拾え。研究する」


《はい》


 彼らは入口へ向かう。


 あと少し。


 そこで、予定外のことが起きた。


 ゴルドが足を滑らせた。


 ほんの小さな泥だ。


 殺傷性はない。


 ただ、盗ませ宝物庫を担いだ状態では十分だった。


 黒い箱が傾く。


 ムドが支えようとする。


 ガリが引く。


 リスカが袋を押さえる。


 ボルムが叫ぶ。


「落とすな!」


 その瞬間、盗ませ宝物庫の中から、銀白の光が漏れた。


 宝が見えた。


 ほんの一瞬だけ。


 だが、墓銭拾い全員の目がそちらへ行った。


 欲。


 重さ。


 逃げ道。


 全部が一瞬、宝に負ける。


 余は笑った。


「今だ」


《墓銭札、深度接続》


 盗ませ宝物庫の内側から、黒い札が増えた。


 封印袋の内壁へ。


 ゴルドの背負い枠へ。


 リスカの袖へ。


 ボルムの腰袋へ。


 ゼラの空間輪の残りへ。


 一瞬だけ見えた宝に全員が意識を向けたせいで、防御が薄くなった。


 そこへ、墓銭札が貼りつく。


《追跡印、追加付着成功》


「よし」


 それだけでいい。


 殺す必要はない。


 今回は、闇市の奥へ行くための回だ。


 墓銭拾いは逃げた。


 宝物室を盗んだと思って。


 罠を突破したと思って。


 そして、こちらの目を全身に貼り付けたまま。


    ◇


 彼らが外へ出た瞬間、リスカが膝をついた。


「重い……」


「泣くな。運べ」


 ボルムが言う。


「水路までは?」


 ガリが聞く。


「半刻」


「遠い」


「黙って歩け」


 ゼラが後ろを見た。


「追ってこない」


「だから罠だと言ったろ」


 ボルムは笑った。


「追ってこない迷宮の罠ほど怖い」


 分かっている。


 だが、それでも運ぶ。


 欲が勝つ。


 実によい。


 フィルエが言った。


「ロード、かなり見える」


「闇市までか」


「うん。前よりずっと」


「墓銭札が増えたからか」


「それもある。でも、盗ませ宝物庫自体が、もう目になってる」


「よし」


 白い部屋の床に、黒い線が太く伸びる。


 森を抜ける。


 古い水路へ。


 前回の中継所を越える。


 さらに地下へ。


 より深い場所へ。


 そこには、正規の町の地図にない空間がある。


 盗品が集まる闇市の奥。


《追跡先、更新》


《推定:黒市組合中層倉庫》


「中層倉庫」


《はい》


「盗品の保管場所か」


《可能性が高いです》


「そこに、余の宝物室が置かれる」


《はい》


「つまり、余の目が倉庫に入る」


《はい》


 余は静かに笑った。


「墓銭拾い、よくやった」


《敵です》


「今は運び屋だ」


 正式宝箱三号。


 墓銭札。


 そして盗ませ宝物庫。


 余の宝は、闇市に運ばれていく。


 ギルドを通らない場所。


 正規冒険者の噂とは別の、人間の欲の流れ。


 そこを、ようやく見ることができる。


「管理音声」


《はい》


「盗ませ宝物庫の内部報酬を、闇市到着まで劣化させるな」


《なぜですか》


「高く見せろ。高いものほど、闇市の奥へ運ばれる」


《了解しました》


「ただし、開封時には鑑定返しを最大にする」


《はい》


「ラグ・エンザが来たら、前回より深く見せろ」


《危険です》


「見せて、噛ませる」


 フィルエが静かに言った。


「闇市も、宝箱みたいだね」


「何?」


「外側は汚い箱。中に、もっと汚い欲が入ってる」


「なるほど」


 余は笑った。


「なら、開けねばならんな」


 黒い線は、地下へ沈んでいく。


 墓銭拾いは、まだ自分たちが勝ったと思っているだろう。


 宝物室を盗んだと思っているだろう。


 だが違う。


 余の宝物室は、盗まれたのではない。


 送り込まれたのだ。


「開けろ、闇市」


 白い部屋の中央で、余は呟いた。


「その箱の中に、余がいる」

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