第133話 墓銭拾いは、箱を開けない
墓銭拾いは、冒険者ではない。
少なくとも、まともな意味では。
彼らは依頼書を受けない。
ギルドへ報告しない。
仲間の死体を悼まない。
迷宮の価値を測らない。
宝の由来も問わない。
ただ、盗む。
箱があれば、開けずに盗む。
死体があれば、弔わずに剥ぐ。
魔物の卵があれば、親が戻る前に袋へ詰める。
罠があれば、解除しない。
誰かを踏ませる。
それが、黒市組合《墓銭拾い》だった。
◇
その夜、霧灰白庭迷宮の外縁に、六つの影が近づいていた。
月は薄い。
森は濡れている。
灰白の霧は、入口のあたりで静かに揺れている。
正規の冒険者なら、そこで足を止める。
入口の牙跡を見る。
泥の湿りを見る。
霧の濃さを見る。
帰り道の印を打つ。
だが、墓銭拾いは違った。
先頭の男が、黒い袋を地面に置いた。
細い顔。
落ちくぼんだ目。
革鎧の上から、いくつもの小袋と短い鉤を吊っている。
名を、ボルム・ダルという。
墓銭拾いの小頭。
人を殺すより、人が死んだ後に何を剥げるかを考える男だった。
「入るぞ」
ボルムが言った。
「印は?」
後ろの女が聞く。
リスカ。
封印袋使い。
闇市製の黒い袋で、魔力反応と所有記録を隠すことができる。
正規ギルドでは禁制品だ。
「打たない」
ボルムは短く答えた。
「帰路印は迷宮に喰われる。だったら最初から打つな」
「帰れなくなる」
「先に盗れ。帰り道は、後で買う」
普通の冒険者なら、そこで止める。
だが、墓銭拾いの誰も止めなかった。
彼らは、帰るために迷宮へ入るのではない。
持ち出すために入る。
そして、持ち出せないなら、仲間ごと捨てる。
ボルムの隣で、太った男が笑った。
解体屋のハルマ。
死体から装備を剥ぐのが仕事だ。
腰には肉切り包丁のような刃が二本ある。
「Aランクが死んだんだろ。死体が残ってりゃ、鎧の留め金だけでも値がつく」
「死体が迷宮に喰われてなければな」
細い少年のような男が言った。
名はネジル。
罠踏み役。
本人は斥候を名乗っているが、仲間内では“先足”と呼ばれている。
罠を見つけるのではない。
罠にかかって、罠の位置を知らせる役だ。
生き残れば取り分が増える。
死ねば、それまで。
最後尾には、兄弟の二人組がいた。
ムドとガリ。
運び屋。
盗んだ宝箱や死体の一部を運ぶための背負子を持っている。
顔が似ている。
考えることも似ている。
そして、どちらも仲間を置いて逃げるのが早い。
六人は、霧灰白庭迷宮の入口へ向かった。
◇
白い部屋で、余はその様子を見ていた。
「……普通の冒険者ではないな」
《はい》
「帰路印を打たんのか」
《はい》
「帰る気がないのか?」
《帰還手順を通常冒険者とは別にしていると思われます》
「つまり?」
《盗品を優先し、帰路確保を後回しにしています》
「馬鹿なのか」
《通常冒険者基準では馬鹿です》
「墓銭拾い基準では?」
《合理的な可能性があります》
「嫌な基準だな」
フィルエが森灰観測室から言った。
「ロード。あの人たち、仲間を助けないと思う」
「だろうな」
「いつもの罠、少し効きにくい」
「救助に来た者を狙う罠か」
「うん。助けに来ないなら、そこが空振る」
余は頷いた。
正規冒険者は、仲間を助ける。
盾役を支える。
倒れた者を引く。
死体を回収しようとする。
その行動に罠を合わせてきた。
だが、墓銭拾いは違う。
仲間が沈めば、縄を切る。
仲間が吊られれば、荷物だけ剥ぐ。
死体があれば、祈らず漁る。
これはこれで面倒だ。
「なら、罠を変える」
《対応方針》
「仲間を助けさせる罠ではない。宝を捨てられなくする罠だ」
《墓銭札を使用しますか》
「使う」
白い部屋の床に、小さな黒い札の図が浮かぶ。
墓銭札。
闇市へ流すための追跡印付き宝。
見た目は古びた黒銀の護符。
鑑定すれば、微量の白磁、灰霧、死霊系、金属魔力が見える。
闇市の人間なら、欲しがる。
だが、その中に迷宮の目がある。
持ち帰れば、墓銭拾いの隠れ家や流通経路を追える。
「宝箱に入れるか?」
《墓銭拾いは箱を開けず、箱ごと盗む可能性があります》
「なら、箱の外側に仕込め」
《外側ですか》
「そうだ。盗むために触った瞬間、貼り付くようにしろ」
《呪いと認識される可能性があります》
「鑑定返しで隠せ」
《承知しました》
「それと、宝箱そのものを重くしろ。ただし、持てないほどではない」
《持てるが、逃げづらい重量ですね》
「そうだ」
人間が宝を取って逃げる。
普通なら、開けさせる。
だがこいつらは開けない。
なら、箱を持たせる。
箱そのものを罠にする。
「正式宝箱を使うのはもったいないな」
《白灰匣を改造しますか》
「いや、墓銭拾いは箱ごと盗むなら、正式宝箱の取得記録機能が活きる」
《正式宝箱三号を罠箱化します》
「中身は?」
《低価値にしますか》
「違う。中身はそこそこ良くしろ。盗まれても悔しい程度に」
《なぜですか》
「空箱を盗ませても、次に来ぬ。本物が入っていてこそ、闇市へ流す価値がある」
《墓銭札の流通を狙うのですね》
「そうだ」
余は少し笑った。
「盗ませる。だが、盗んだ者をこちらも盗む」
◇
墓銭拾いは入口を越えた。
牙跡を見る。
泥を見る。
灰霧を見る。
だが、反応は薄い。
「脅しだ」
ボルムが言った。
「浅層の脅しは、殺すためじゃねえ。引かせるためだ。引くな」
ネジルが顔をしかめる。
「俺が先?」
「お前が先」
「死んだら?」
「拾えるものは拾う」
「ひどくない?」
「お前も俺が死んだら拾うだろ」
「拾うけど」
ネジルは短剣を抜き、先へ進んだ。
罠踏み役としては、足取りが軽い。
恐怖がないのではない。
恐怖に慣れているのだ。
罠を避けようとするのではなく、踏んだ時にどこまで自分が壊れるかを考えている。
これは厄介だった。
「浅層の通常罠は?」
《効果薄》
「分かっている。赤錆噛みは出すな」
《なぜですか》
「こいつらは装備を捨てるのが早い。噛ませても餌をやるだけだ」
《では》
「見せるだけだ。赤錆噛みの抜け牙を置け。拾わせる」
通路脇に、赤錆噛みの抜け牙を一つ置く。
ネジルがすぐに見つけた。
「牙」
「取れ」
ボルムが言う。
「罠かも」
「拾って投げろ。反応を見る」
ネジルは拾った。
何も起きない。
すぐに後ろへ投げた。
ハルマが受け取り、黒い小袋へ入れる。
袋の口が、一瞬だけ黒く光った。
「封印袋か」
《取得記録の遮断反応》
「嫌な道具だな」
《正式宝箱以外の採取物では追跡困難になります》
「では、採取物は諦める。箱を狙う」
墓銭拾いは進む。
白磁花粉結晶を拾う。
灰霧石を拾う。
影糸の切れ端を拾う。
罠にかかりかけたら、品だけ投げて後ろが受ける。
拾った本人が転んでも、仲間は品を見る。
助けには来ない。
なるほど。
これは確かに普通の冒険者とは違う。
フィルエが言った。
「気持ち悪い」
「同感だ」
「宝しか見てない」
「なら、宝で殺す」
彼らは灰霧回廊に入った。
ボルムは、正式宝箱一号の跡を見ても近づかなかった。
「開いた箱に用はねえ」
宝箱の紋も見ない。
記録しようともしない。
中身がないなら価値がない。
潔いほどの盗人思考だった。
「こいつら、迷宮の格など見ていないな」
《宝の有無を重視しています》
「腹立たしいが分かりやすい」
余は正式宝箱三号を、灰白小宝庫の手前に置いた。
正式な宝物室ではない。
小さな横部屋。
そこに、あからさまにではなく、だが墓銭拾いなら見つける位置へ置く。
箱は重め。
中身は、白銀磁片の小片、影糸巻き、灰白採取物の詰め合わせ。
そして、蓋の裏ではなく、取っ手の内側に墓銭札を仕込んだ。
開ける必要はない。
持とうとした者に貼り付く。
「さあ、盗め」
余は呟いた。
◇
最初に気づいたのは、リスカだった。
「箱」
全員が止まる。
ボルムの目が細くなる。
「開けるな」
「もちろん」
「箱ごとだ」
やはり。
墓銭拾いは、宝箱を宝物入れとしてではなく、宝そのものとして見る。
リスカが封印袋を広げる。
黒い布が、床の上に大きく開いた。
「そのまま入る?」
ムドが聞く。
「少し重い。二人で持て」
ボルムが命じた。
ムドとガリが前に出る。
箱へ手をかけた。
その瞬間、取っ手の裏に仕込んだ墓銭札が、ぺたりとムドの手袋へ貼り付いた。
気づかない。
鑑定返しが、ただの灰汚れに見せている。
よし。
「貼り付いた」
《墓銭札、対象ムドに付着》
「もう一つ、ガリにも」
《付着》
二人が宝箱を持ち上げる。
「重っ」
「でも持てる」
「袋へ」
封印袋が箱を呑む。
その瞬間、正式宝箱の取得記録が一部遮断された。
《正式宝箱三号、封印袋へ収納》
《取得記録、一部遮断》
「追跡は」
《墓銭札により継続》
「よし」
ここで殺す必要はない。
宝箱は盗まれた。
だが、こちらの札も盗まれた。
問題は、こいつらをどこまで帰すかだ。
「逃がす」
余は言った。
「ただし、全員ではない」
《対象は》
「封印袋使いのリスカは帰す。箱を持つムドとガリも帰す。ボルムも帰す」
《他二名は?》
「ネジルとハルマは殺す」
《理由は?》
「罠踏み役と解体屋は、次に来ると面倒だ。だが、小頭と運び屋は闇市まで案内してくれる」
《承知しました》
フィルエが静かに言った。
「ロード、汚いやり方覚えるの早いね」
「敵が汚いなら、こちらも汚くなる」
「迷宮だから?」
「Aランクだからでもいい」
墓銭拾いたちは帰路へ動き出した。
普通の冒険者なら、宝箱を盗めた喜びで浮く。
こいつらは浮かない。
むしろ、ここからが本番だと分かっている。
「ネジル、先」
「はいはい」
ネジルが先に出る。
罠踏み役。
なら、踏ませる。
帰路の床に、あえて見えやすい影糸を張る。
ネジルはそれを見た。
「糸」
「切るな。踏め」
「死ぬかも」
「死ななきゃ分かる」
「ひどい仕事だ」
ネジルは影糸を踏んだ。
足首に絡む。
針が飛ぶ。
彼は体をひねって避けた。
思ったより上手い。
だが、これは見せ罠だ。
足首を捻って避けた瞬間、足元の戻り水が薄く開いた。
「え」
ネジルの片足が沈む。
膝まで。
腰まで。
「引け!」
ボルムが言った。
だが、リスカが首を横に振る。
「無理。引くと箱が遅れる」
ボルムは一秒も迷わなかった。
「切れ」
ガリが、ネジルへ繋いでいた命綱を切った。
ネジルの顔が歪む。
「え、ちょ、待――」
戻り水が口まで上がる。
影縫い大蜘蛛の糸が、上から降りる。
ネジルは短剣を振る。
一本切る。
二本切る。
三本目が首に絡む。
カゲヌイの影針が、水面に映った彼の影を縫った。
ネジルの動きが止まる。
沈む。
《墓銭拾い罠踏み役:ネジル、死亡》
《獲得ソウル:260》
《取得:罠踏みの脚骨、闇市逃げ癖の記憶、捨て縄の断片》
「安いな」
《低ランク相当です》
「だが、使える素材だ」
墓銭拾いたちは振り返らない。
ネジルが沈んだ場所から泡が上がっているのに、誰も助けない。
ハルマだけがぼそりと言った。
「短剣、拾えるかな」
「後にしろ」
ボルムが言う。
「戻ってきた時に残ってたら拾う」
「戻ってこられたらな」
こいつら。
本当に仲間の死体を荷物として見ている。
余は少しだけ感心し、少しだけ嫌悪した。
「ハルマも殺す」
《実行します》
解体屋ハルマは、帰路の途中で足を止めた。
壁際に、白い骨片を見つけたのだ。
もちろん、こちらが置いたものだ。
ただの骨ではない。
暁秤の戦闘後に出た、微量のAランク残滓を混ぜた偽骨片。
解体屋なら気づく。
「骨」
ハルマが笑った。
「良いやつだ」
「触るな」
ボルムが言った。
「でも、これは高い」
「置いていく」
「一欠片だけ」
ハルマは手を伸ばした。
墓銭拾いでも、職分によって欲は違う。
ハルマにとって、宝箱より骨片だった。
骨片を掴んだ瞬間、白磁の骨が開いた。
中から、細い影糸が溢れる。
「うおっ」
ハルマはすぐに手を切ろうとした。
自分の指ごと。
包丁を振る。
指二本が落ちる。
だが、影糸は指ではなく、彼の解体刃へ絡んでいた。
解体屋の道具。
彼はそれを捨てられない。
一瞬、迷う。
その一瞬で十分だった。
壁の白磁花が開く。
花粉が、彼の鼻と口へ入り込む。
ハルマは咳き込む。
背中から、赤錆噛みが跳ぶ。
狙いは首ではない。
肉切り包丁の金具。
かり。
解体刃が壊れる。
「俺の刃――」
叫びかけた口に、影糸が入る。
影縫い大蜘蛛の糸が、内側から彼の喉を縫った。
《墓銭拾い解体屋:ハルマ、死亡》
《獲得ソウル:310》
《取得:解体刃の欠片、死体剥ぎの記憶、指骨二本、骨値踏みの癖》
残り四人。
ボルム。
リスカ。
ムド。
ガリ。
彼らは、ハルマの死体も捨てた。
ただし、リスカがハルマの腰袋だけ引き抜いた。
走りながら。
「徹底しているな」
《はい》
「だが、それでいい。帰せ」
《帰路を軽くしますか》
「軽くしすぎるな。追われたと思わせろ」
《了解》
背後で、ゴブリンの笑い声を鳴らす。
影を走らせる。
泥を一度だけ跳ねさせる。
だが、捕まえない。
四人は息を荒げながら、入口へ向かった。
封印袋の中には正式宝箱三号。
その箱には墓銭札。
札はムドとガリの手袋にも貼り付いている。
ボルムの靴底にも、薄い灰の追跡印を付けた。
リスカの封印袋には、戻り水の匂いを一滴だけ染み込ませた。
完璧ではない。
だが、追える。
四人は外へ出た。
森の外縁で振り返りもせず、夜の中へ消えていく。
《墓銭拾い四名、生還》
《墓銭札、三点付着継続》
《正式宝箱三号、封印袋内》
「よし」
余は笑った。
宝箱を盗まれた。
普通なら損だ。
だが、今回は違う。
盗ませた。
追跡印を付けた。
闇市まで持っていかせる。
「フィルエ」
「うん」
「追えるか」
「追える。薄いけど」
「切れそうか」
「封印袋が邪魔。でも、墓銭札はまだ残ってる」
「よし」
白い部屋の床に、新しい線が浮かぶ。
森を抜け、街道を外れ、正規の町へは向かわず、古い水路沿いを進む線。
墓銭拾いの逃走路。
闇市へ続く道。
《追跡対象:墓銭拾い四名》
《推定目的地:闇市中継所》
「これで、闇市が見えるな」
《危険です》
「分かっている」
《外部領域への干渉は限定的です》
「見るだけでよい。今はな」
余は、逃げていく墓銭拾いたちを見送った。
仲間を捨て、箱を盗み、死体を漁ろうとした連中。
その汚さは、正規冒険者とは違った。
だが、それもまた人間だ。
そして、迷宮の餌になり得る。
「墓銭拾い」
余は小さく呟いた。
「お前たちは、余の宝を盗んだと思っているのだろう」
白い部屋の床で、墓銭札の黒い点がゆっくり動く。
「だが、その箱はもう、余の目だ」
夜棺白庭は静かだ。
ヴェルグレイヴは眠っている。
フィルエは森灰観測網を細く伸ばしている。
グズは門を塞いでいる。
帰路喰らいの落武者は、今回は動かなかった。
この戦いは、殺すだけではない。
盗ませる戦い。
そして、盗人の巣を見つける戦い。
「管理音声」
《はい》
「墓銭札を記録し続けろ」
《承知しました》
「次は、闇市を覗く」
《迷宮外情報戦へ移行します》
「情報戦など上品に言うな」
余は笑った。
「盗人の懐を、こちらが漁るだけだ」




