第128話 暁秤は、死地の値段を量る
ニル・カートとロウゼン・ハルトが死んだ翌日。
町の冒険者ギルドは、朝から騒がしかった。
霧灰白庭迷宮。
人間たちは、まだその正式な名を知らない。
彼らはそれを、灰白庭、白箱迷宮、白庭化した旧迷靄洞などと呼んでいた。
その迷宮で、また二人死んだ。
一人は、何度も宝を持ち帰ったCランク斥候、ニル・カート。
もう一人は、Bランク下位の探索兼護衛職、ロウゼン・ハルト。
どちらも、今の灰白庭を語るうえで避けられない名前になっていた。
その二人が、死んだ。
しかも、生還した二人の証言によれば、死んだ場所は浅層奥の宝物室だった。
「灰白小宝庫」
誰かがそう呼び始めた。
その呼び名は、半日で広まった。
そこには宝がある。
そこには白い箱がある。
そこには、帰り道を重くする何かがいる。
そして、ニルとロウゼンはそこで死んだ。
ギルドの支部長は、報告書を机の上に投げた。
「低ランクの立ち入りを制限しろ」
記録官が青い顔で答える。
「もうしています。ただ、完全には止まりません」
「なぜだ」
「宝が出るからです」
部屋は沈黙した。
誰も笑わなかった。
すでに、白磁花片は売れた。
灰霧封じの小瓶は、探索者の命を助けたと噂になった。
白銀磁片は、金貨三枚相当と鑑定された。
そして、その白銀磁片を持っていたニルが死んだ。
普通なら、恐怖だけが広がる。
だが、灰白庭は違った。
恐怖と一緒に、値段も広がっていた。
支部長は低く言った。
「討伐隊は送らん」
記録官は少し驚いた顔をした。
「よろしいのですか?」
「今、討伐隊を送れば全滅する。銀刻の五人でさえ帰らなかった場所だ。半端な人数を入れても、宝と死体を迷宮に献上するだけだ」
「では、封鎖を?」
「封鎖はできん。冒険者が勝手に抜ける。商人も金を出す。素材屋も裏で買う。禁止だけでは、値段が上がるだけだ」
支部長は、机の上に置かれた小さな白い破片を見た。
白磁花片。
灰白庭から持ち帰られた、一番安い宝。
それでも、町の空気を変えるには十分だった。
「必要なのは、攻略ではない。まず、値段だ」
「値段、ですか」
「あの迷宮に潜る価値と、死ぬ危険。その境目を量る者が必要だ」
記録官は息を呑んだ。
「まさか」
「呼べ」
支部長は短く命じた。
「Aランクパーティ、暁秤を」
◇
暁秤は、討伐専門のパーティではなかった。
もちろん、弱くはない。
Aランクの名は飾りではない。
だが彼らの本領は、魔物を倒すことよりも、迷宮の価値を量ることにあった。
危険な迷宮へ入り、宝を確認し、採取路を測り、撤退点を決める。
どこまでなら入ってよいか。
どこから先は死地か。
何を持ち帰れば利益になるか。
何を欲しがれば全滅するか。
そうした線引きで名を上げてきたパーティだった。
先頭に立つのは、セリア・リンド。
細身の剣を二本帯びた女剣士であり、暁秤の隊長。
元はギルドの危険査定官だった。
迷宮の死体を見て、失敗したパーティの荷物を見て、どこで判断を誤ったかを記録する仕事をしていた。
その仕事に飽きて、彼女は冒険者になった。
死んだ後に値段を付けるより、生きて戻って値段を付ける方がましだ、と言って。
盾役は、ガルド・ローク。
大盾ではなく、二枚の中盾を持つ男。
彼は以前、宝の噂だけで膨れ上がった迷宮採取熱を見たことがある。
安い冒険者が大量に入り、半分以上が帰らず、残った者も借金だけを抱えた。
だからガルドは、宝の話を嫌っている。
宝が嫌いなのではない。
宝の話を信じて死ぬ若者が嫌いだった。
魔導鑑定士は、ユーファ・ベル。
錬金術師でもあり、魔道具職人でもある。
彼女は白銀磁片に強い関心を示していた。
白磁系の清浄性、灰霧、水脈、金属魔力。
本来混ざりにくい性質が混ざっている。
もし安定素材として使えるなら、魔道具の芯材が一段変わる。
ユーファにとって灰白庭は、死地である前に、未整理の素材庫だった。
聖鎖師のマルク・セーヴァは、聖職者とは少し違う。
回復も浄化もできるが、本職は呪いと契約の鎖を読むことだ。
銀刻の五人が帰らなかったこと。
ニルとロウゼンが宝を持ち帰り、そして死んだこと。
灰白庭の宝に、迷宮側の追跡や契約じみた痕跡がないか。
彼はそれを調べるために来た。
最後に、斥候のキト・ラウ。
ニル・カートのかつての先輩だった。
師弟と呼ぶほど濃い関係ではない。
だが、ニルがまだEランクだった頃、罠の見方、帰路印の付け方、仲間が走り出した時に止める方法を教えたのはキトだった。
ニルが死んだと聞いた時、キトは怒らなかった。
ただ、黙ってニルの最後の報告を読んだ。
そして言った。
「見すぎたな」
その言葉に、セリアは何も返さなかった。
ニル・カートは、良い斥候になりかけていた。
だから死んだ。
それが、この世界の迷宮だった。
◇
ギルドの応接室に、暁秤の五人が揃った。
支部長は、彼らの前に資料を並べる。
銀刻の五人の未帰還記録。
ニル・カートの生還報告。
ロウゼン・ハルトの同行記録。
白磁花片の鑑定結果。
灰霧封じの小瓶の使用証言。
白銀磁片の鑑定板写し。
生還者二人による、灰白小宝庫での死亡証言。
セリアは黙って読み終えた。
「依頼内容は?」
支部長は答えた。
「灰白庭の高位査定。正式名称は未確定。旧迷靄洞から変質した迷宮だ。白磁庭園の魔力混入、Aランクパーティ未帰還、宝箱出現、浅層採取物の外部流通を確認している」
「討伐ではないな」
「違う。討伐は依頼しない」
「賢明だ」
セリアは淡々と言った。
ガルドが腕を組む。
「低ランクが死に始めてるんだろ」
「死んでいる」
「止められないのか」
「完全には無理だ」
ガルドは舌打ちした。
「宝の匂いが出た迷宮は、封鎖しても抜ける。馬鹿だけじゃない。借金持ち、病人を抱えた家族持ち、名を上げたい若造。そういうのが入る」
「だから、お前たちを呼んだ」
ユーファが白銀磁片の写しを手に取った。
「これは本物?」
「素材商の鑑定では本物だ」
「量は?」
「小片のみ。ニル・カートが保持していたものは、死亡時に迷宮内へ戻ったと推定される」
「つまり、もう一度取りに行く必要がある」
ユーファの目が、少しだけ輝いた。
ガルドが睨む。
「おい」
「分かってる。欲で死ぬつもりはない。でも、これは見たい」
聖鎖師マルクは、灰霧封じの小瓶の報告を読んでいた。
「宝が、帰路罠の解除に使われた。迷宮がそれを許した可能性があります」
支部長が眉をひそめる。
「許した?」
「ええ。殺す気なら、そこで殺せたはずです。だが生還させた。宝を使わせて、噂を育てた」
部屋の空気が重くなる。
キトが、ニルの最後の報告を机に置いた。
「ニルは、少なくとも三度は利用された」
「利用?」
「最初は白磁花片。次に灰霧封じ。次に白銀磁片。あいつは宝を外へ運んだ。噂を育てた。だから、迷宮はしばらく生かした」
セリアがキトを見る。
「そして?」
「役目が終わったから殺された」
キトの声は静かだった。
怒りはない。
あるのは、理解だった。
支部長は言った。
「その判断は、迷宮側に知性があるということか」
「知性というより、運営だ」
セリアが答えた。
「この迷宮は、餌を置く。浅い場所では殺しすぎない。生還者を作り、価値を外へ流す。だが、同じ生還者が地図になり始めたら消す」
彼女は資料を閉じた。
「これは、Aランク迷宮だ」
その言葉に、支部長はゆっくり頷いた。
「ギルド本部にも、同じ意見が上がっている」
「人間側の正式分類は?」
「まだ未定だ。現地では灰白庭、白箱迷宮、銀刻帰らずなどと呼ばれている」
「名が定まっていない迷宮ほど厄介だ」
セリアは立ち上がった。
「依頼条件を確認する」
「言え」
「一つ。コア攻略義務は負わない」
「認める」
「二つ。宝の持ち帰りは二点まで。三点目以降は任意で放棄する」
ユーファが不満そうに口を開きかけたが、ガルドに睨まれて黙った。
「三つ。得た素材の一部鑑定権は暁秤に残す」
「認める。ただし危険素材はギルド管理だ」
「四つ。低ランク立入制限のため、帰還後に公表する情報はこちらで選ぶ」
支部長は少し考えた。
「都合の悪いことを隠す気か」
「逆だ。余計な欲を煽らないようにする。金貨三枚の話だけが先行すると、死体が増える」
ガルドが低く言った。
「もう増えてる」
支部長は頷いた。
「認める」
「五つ」
セリアの声が少しだけ硬くなった。
「ニル・カートとロウゼン・ハルトの死体、または遺品を見つけた場合、回収を試みる。ただし、迷宮がそれを餌にしていると判断した場合は放棄する」
キトは何も言わない。
ただ、目を閉じていた。
支部長は静かに言った。
「それでいいのか」
キトが目を開けた。
「ニルは、そこまで馬鹿じゃない。迷宮が自分の死体を餌にしているなら、たぶん、捨てて帰れと言う」
支部長は、それ以上言わなかった。
「依頼を正式発行する」
彼は机の上に依頼書を置いた。
「Aランクパーティ、暁秤。灰白庭の高位査定を依頼する」
セリアが署名した。
「受ける」
◇
その夜。
暁秤は、宿の一室で準備を整えていた。
机の上には、地図とは呼べない紙が広げられている。
旧迷靄洞時代の入口図。
白磁庭園吸収後の魔力観測線。
生還者が描いた浅層断片図。
ニルの記録。
ロウゼンの補足。
そして、灰白小宝庫の不完全な見取り図。
セリアは赤い線を一本引いた。
「ここまで」
それは、灰白小宝庫の入口手前だった。
ユーファが顔を上げる。
「宝物室に入らないの?」
「入るかどうかは現地で決める。最初の目的は、正式宝箱の紋を確認すること。次に、報酬と罠の連動を見ること。三つ目に、帰路罠の発動条件を測ること」
「宝は?」
「必要なら取る。欲しければ捨てる準備をしてから取る」
ガルドが頷く。
「宝を取る前に、捨てる合図を決めておけ」
マルクは鎖の護符を机に置いた。
「帰路罠が魂や意思に反応するなら、物を捨てるだけでは足りないかもしれません」
「どうする」
「“持ち帰る意思”を切る鎖を準備します。宝を手放すだけでなく、欲を一度切る」
ユーファが嫌そうな顔をした。
「それ、かなり不快な術式なんだけど」
「死ぬよりましです」
キトはニルの記録を読んでいた。
何度も読んだはずの紙だ。
そこには、震えた筆跡でこう書かれている。
――箱は開ける前より、持って帰る時の方が怖い。
キトは紙を畳んだ。
「ニルは、最後までちゃんと見てた」
セリアは彼を見た。
「迷うか?」
「迷わない。怒ってもいない」
「本当に?」
「怒って突っ込むなら、俺がニルより先に死ぬ」
キトは短く息を吐いた。
「あいつは、広告塔にされた。だったら俺たちは、広告じゃなく査定を持って帰る」
セリアは頷いた。
「それでいい」
窓の外では、町の冒険者たちがまだ灰白庭の話をしていた。
白い箱。
金貨三枚の小片。
霧を封じる小瓶。
帰れなかった銀刻。
死んだニルとロウゼン。
それでも、行く価値があるかもしれない迷宮。
その噂の中で、暁秤は静かに準備を続けた。
◇
同じ頃。
霧灰白庭迷宮の白い部屋で、余は外縁の足跡を見ていた。
浅泥井戸から届いた記録だ。
重い足跡。
規則正しい歩幅。
荷の重さを均等に分けた隊列。
迷宮に入る前から撤退を計算している歩き方。
「……また面倒なのが来るな」
《高位冒険者の接近予兆があります》
「Aランクか」
《可能性が高いです》
「早いな」
《ニル・カートとロウゼン・ハルトの死亡、白銀磁片の流通、正式宝箱の認識が影響しています》
「つまり、余が育てた噂の実か」
《はい》
「なら、収穫せねばならんな」
フィルエの声が、森灰観測室から届く。
「今回は、前のAランクと違うよ」
「銀刻とは違う、という意味か」
「うん。たぶん、殺しに来るより、量りに来る」
「量りに」
「宝と危険を」
余は笑った。
「なら、見せてやる」
《危険です》
「分かっている」
《宝物庫機能の使いすぎは、高位侵入者を増やします》
「分かっていると言っている」
余は、灰白小宝庫の奥に新しい線を引いた。
正式宝箱を一つ。
偽箱を二つ。
採取物を少し。
帰路罠を軽く。
そして、帰路喰らいの落武者の影だけを、さらに薄く。
ヴェルグレイヴは使わない。
夜棺白庭は隠す。
フィルエもまだ前に出さない。
今回も、余の迷宮と罠で勝つ。
「暁秤、か」
《外部情報からの推定名称です》
「死地の値段を量る者たち」
余は白い部屋の中央で笑った。
「なら、量らせてやる」
戻り水が床下で鳴る。
白磁の宝箱が、灰の霧の中で静かに蓋を閉じる。
「ただし、秤ごと喰われぬようにな」




