第11話 盾持ちのガンツ
その機会は、思ったより早く来た。
翌々日の朝、入口近くの細穴にいた鼠が、今までで最も鋭い警戒音を上げた。
ちゅ、ちゅ、ちゅ、ちゅっ!
《外部接近反応。五名》
「五」
余の声が低くなる。
白い窓を入口へ向ける。
曇天の下、裂け目へ近づく人影は五つ。レネ、ハルド、ミーシャ、フィナに加え、新顔が一人。大柄な男。盾持ち。全身を重く固めた金属鎧ではないが、革と金具を重ねた迷宮向けの重装備だ。片手斧と丸盾。足運びは鈍重ではなく、むしろ意外と軽い。
「前衛二枚か」
《対迷宮編成の可能性が高いです》
「本気寄りだな」
レネたちは前回よりさらに言葉少なに進んでいた。準備済みの空気だ。挨拶代わりの偵察ではない。崩せるなら崩す。そういう温度がある。
盾持ちの男が裂け目の前で立ち止まる。
「ここか」
「そう」
レネが短く答える。
「狭い、臭い、湿ってる、鼠と茸がいる。あと、考えてる」
「最後が一番嫌だな」
盾男は鼻をしかめた。
「名は?」
「ついてない。ギルドでは湿臭洞窟」
「最低だな」
「異論はない」
よし。
人間側でも最低評価らしい。
そこは少し気分がよい。
いや、よくはないか。よいのか? よく分からぬ。
ハルドが槍を軽く鳴らした。
「前は俺とガンツ」
盾男――ガンツが頷く。
「後ろにレネ、ミーシャ、フィナ。前衛は二枚で幅を取りすぎないようにな」
「分かってる」
「押し込めるなら押し込む。無理なら段階後退」
「了解」
「今日の目標は?」
ミーシャが問う。
「新しい奥の構造確認、できれば核近くまでの道を掴む。壊せるなら壊す」
ハルドは短く答えた。
「でも無理はしない」
フィナが言う。
「しない」
レネが即答する。
「ただ、今日は前より奥まで行く」
余はそのやりとりを聞きながら、静かに盤面を整理していた。
五人。
前衛二枚。
厄介だ。
新小部屋の狭さが逆にこちらを圧迫する可能性もある。槍だけなら横圧で崩せる。だが盾がいると、前を“止める”役を人間側も持ってくることになる。通路で押し負ければ、こちらのゴブリンはまとめて潰される。
ならば正面の詰め合いは避ける。
「方針変更だ」
余は迷宮全体へ意識を広げる。
「入口から新小部屋までは削り優先。鼠は前衛でなく後衛を狙え。槍と盾は重い、乱れにくい。後ろを崩せ。茸は新小部屋では使うな。旧小部屋で使う」
グズが振り返る。
「ギィ?」
「うむ。今日は一段引いて戦う。新小部屋は止めるだけだ。本命は旧小部屋」
旧小部屋のほうが、さらに奥で、視線が切れやすい。レネたちが前回までの経験から“新小部屋が主戦場”と読んでいるなら、その先で嫌がらせを重ねた方が効く。
そして、五人編成になったことで隊列は長くなる。
後衛がより後ろへ下がるぶん、前後の連携に隙が出る。
そこを噛む。
「グズ、新小部屋では追うな。絶対だ」
「ギィ!」
「絶対だぞ」
「ギ、ギィ」
少し不安な返事だ。
だが、前回よりは通じている。通じておれ。
・
・
攻略は、静かに始まった。
先頭はガンツ。
丸盾を前に出し、斧は引いている。ハルドがそのやや左後ろ。盾と槍で、通路幅を無理なく埋める形だ。実に嫌らしい。盾が前で受け、槍がその脇から刺す。低級魔物相手なら理想的な布陣である。
「前、二」
レネが告げる。
入口のゴブリン二体が飛び出す。
だが今回は、ガンツが前に出た。
盾で一体を弾く。
重い。
鈍く、だが強い一撃。ゴブリンは壁へ叩きつけられ、そのまま動かなくなる。もう一体へハルドの槍。前回と同じように、正確に急所を貫く。
「処理早いな」
ミーシャが呟く。
「前より前衛が安定してる」
レネが返した。
余は舌打ちした。
前の見せ駒が、ほぼ意味をなさぬ。
だがそれでよい。入口で勝つ気はない。
「鼠、まだ出るな。足音を拾え」
五人は曲がり角を越える。
慎重だが、前より速度はある。盾がいることで前衛の心理的余裕が増しているのだろう。ガンツが滑る床に気づき、すぐ後ろへ告げた。
「足元悪いぞ」
「前より範囲広い?」
「いや、一部」
レネが答える。
「前と似てるけど、たぶん何か違う」
その何か違う、は正しい。
だが全部は見えておらぬ。
「新小部屋前、接敵用意」
新小部屋の陰で、グズが息を潜める。周囲にゴブリン三。左右壁の細穴には鼠。だが今日は、ここで勝負しない。
ガンツが段差に気づいた。
「段差」
「前なかった」
「小さい」
「だから嫌なのよ」
レネの声に苛立ちが混じる。
良い。
人間も腹が立つのだな。
ガンツが盾で先を探りつつ、段差を越える。ハルドが槍を構えたまま続く。レネは壁の穴に視線を這わせ、後衛へ注意を飛ばす。
「鼠来るかも」
「任せて」
ミーシャが杖先に小さな火を灯した。
「前より照らす範囲を広くする」
「焼きすぎるな」
「分かってる」
ここだ。
「鼠、後衛」
細穴から灰色の影が四つ、するりと出た。
だが前ではない。
ミーシャのローブ裾、フィナの靴紐、レネの荷袋、そして――ハルドの腰の革帯ではなく、予備槍袋を狙う。
「後ろ!」
レネが即座に声を上げる。
「散らす!」
ミーシャの火が小さく弾ける。
鼠二体が焼ける。
だが一体はフィナへ、もう一体はレネの荷袋へ噛みついた。
「きゃっ」
「……っ!」
フィナがたたらを踏む。
その瞬間、ミーシャが支えに動き、後衛二人の位置が寄る。
レネが一歩外へずれて避ける。
隊列が、一瞬だけ縦に伸びた。
「グズ、今だ。止めるだけ!」
「ギィッ!」
新小部屋からグズたちが飛び出す。
左右から、ではない。
今日は“手前で止めて、奥へ引かせる”役目だ。
ガンツの盾へ一体がぶつかり、粉砕される。だが、グズは正面へ行かず、ハルドの槍側へ横から肩を入れた。
上手い。
前回より明らかに上手い。
槍の穂先がほんの少し逸れ、その隙に別のゴブリンが柄へしがみつく。
「ちっ、鬱陶しい!」
「前、押す!」
ガンツが盾を前へ出した。
これが厄介だった。
重い。
正面圧が強い。
通路そのものが人間側の武器になる。ゴブリン二体がまとめて押し潰され、壁へ叩きつけられた。
「ぎゃっ!」
余の意識が冷える。
盾前衛、想像以上に厄介だ。
「引け、グズ! 新小部屋は捨ててよい!」
「ギィ!?」
グズが一瞬迷う。
だが、余の声に従って飛び退いた。残ったゴブリンも後ろへ流れる。人間側はその隙に、新小部屋の入り口まで前進した。
「抜けた!」
ガンツが言う。
「でも奥にもう一部屋ある」
レネがすぐ気づく。
「やっぱり」
「どうする」
ハルドが問う。
「……行く。ここで止まってもまた変えられるだけ」
「同意」
ガンツが盾を上げる。
「前は俺が取る」
余は白い部屋で、にやりと笑った。
「来るか。来るがよい」
旧小部屋には、今日の本命を置いてある。
茸四。
鼠六。
ゴブリン五。
そして、細穴を介した横出入口。
新小部屋で“通れる”と思わせたからこそ、次の一歩に欲が出る。
その欲を、噛む。
旧小部屋手前の通路は、新小部屋よりわずかに長い。
人間側はそこを慎重に進んだ。
だが、慎重であることと、無傷であることは違う。鼠の嫌がらせで後衛はやや乱れ、前衛も小さな消耗を重ねている。何より、“また何かある”と分かっている空気は、動きを固くする。
余はその固さを見ていた。
「ガンツ、奥の視界どう」
レネが問う。
「悪い。部屋の形が見えきらん」
「壁際注意。前回茸いた」
「分かってる」
ガンツが盾を前に出し、一歩、また一歩。
その後ろでハルドの槍先が揺れる。レネは右壁、ミーシャは天井と奥の暗がり、フィナは前衛二人の背中を見る。
全員が全部を見ようとしている。
だからこそ、どれか一つが遅れる。
「ポフキノコ、一番奥だけ起動」
ぽふっ。
旧小部屋の奥で、白い粉がふわりと立つ。
「来た!」
レネが叫ぶ。
「でも奥だけ!」
「風、ない! 広がりは遅い!」
ミーシャが分析する。
冷静だな、こやつら。
だが、分析に意識を割いたその一拍で、前衛の足は止まった。
「鼠、全部」
細穴から、一斉に灰色が飛び出した。
今度は前後両方だ。
ガンツの足首、ハルドの槍帯、ミーシャの袖、フィナの裾、そしてレネの短剣手ではなく――腰の予備煙玉袋。
「っ!?」
レネの目が見開く。
「こいつ……!」
余はぞくりとする。
当たった。
完全に偶然ではない。前回、煙玉を使ったのを見ていた。ならば今日は、その袋を狙うべきだと判断した。鼠にそれが分かるわけではない。だが、余が細穴越しに位置を選んだ。
当たった。
それだけで、少し震えそうになる。
「煙玉落とした!」
レネが舌打ちする。
「拾うな!」
ハルドが即座に止めた。
「前見ろ!」
その瞬間、旧小部屋の左右からゴブリンが群がる。
新小部屋より数が多い。しかも、鼠で注意を散らした直後だ。
「ギィッ!」
「左!」
「右も来てる!」
「ガンツ、押さえて!」
盾がぶつかる。ゴブリン二体が潰れる。だが左右からくる数は、前より多い。しかも旧小部屋は少し広い。盾一枚で通路を完全に埋めきれない。
そこへ、グズが来た。
新小部屋から追わず、旧小部屋へ回していたのだ。余の指示通り、今日はここが本命。
「ギィッ!!」
進化後のグズが、ガンツの盾そのものではなく、盾を支える膝へ体当たりする。
「ぐっ!?」
重装の男が、ほんの少し沈む。
その沈みは大きい。
前へ出た盾の縁が下がる。そこへハルドの槍が出にくくなる。レネが前へ入る隙間も消える。
「ミーシャ! 前焼いて!」
「でもフィナが」
「私なら平気です、短くなら!」
フィナが咳き込みながら言う。
「頼む!」
火が走る。
しかしその前に、余は叫んだ。
「茸、二つ目!」
ぽふっ!
今度は旧小部屋の横、ちょうど火で払おうとした進路の脇で胞子が弾ける。
「最悪ッ!」
ミーシャが悲鳴じみた声を上げた。
火と胞子は相性が悪い。熱で流れが乱れ、視界がさらにちらつく。咳、涙、焦り。その全てが、後衛の詠唱精度を下げる。
短い火線は走ったが、狙いが甘い。ゴブリン一体を焼いただけで、部屋全体を制圧するには至らぬ。
「押しきれない!」
ガンツが叫ぶ。
「前が多い!」
「まだ奥が見えない!」
レネも返す。
「やっぱりここが本命だ!」
その時だった。
フィナが、小さく、しかしはっきりと聖印を切った。
「退路、清めます!」
淡い光が、彼女の周囲に広がる。
白く、柔らかい、だが迷宮側にはひどく鬱陶しい光だった。鼠が一斉に怯む。茸の胞子の広がりも、気のせいか鈍る。
「……っ、聖職者め」
余は思わず唸った。
やはり混ざると厄介だ。
しかし、それもまた盤面の一部だ。
フィナは浄化と退路確保に意識を使った。つまり、前を押し返す力にはなっていない。ならば人間側の選択肢は限られる。
押し込んで勝つか。
今退くか。
そして、ハルドは正しい答えを選んだ。
「退く! 今だ!」
「ガンツ、下がれる!?」
「やる!」
盾が強引に前を払う。
グズが弾かれ、吹き飛ぶ。ゴブリン二体が転がる。だがその一瞬で、人間側は前後を再接続した。
レネが後ろを見ながら指示を飛ばす。
「ミーシャ先、フィナ真ん中! 煙玉は捨てる! 鼠は踏む!」
「了解!」
「了解!」
五人が後退に移る。
「追うか」
余の中で、一瞬だけ衝動が沸いた。
今なら崩れている。
今なら誰か一人、落とせるかもしれぬ。
だが次の瞬間、井守の言葉が脳裏をよぎる。
最初の勝ち筋に惚れるな。
そして、今の余はまだ“殺しに自信がない”。
それを無理に越えようとして、自分から崩れるのは愚かだ。
「……追うな」
余は低く命じた。
「旧小部屋まで。そこから先は出るな。鼠だけ嫌がらせしろ。深追いは禁止」
グズが悔しげに唸る。
「ギィ……!」
「命令だ、グズ」
その一言で、グズは止まった。
よし。
そこが大きい。
進化前なら、たぶん勢いで追っていた。今は止まる。止められる。それが階級であり、統率だ。
人間側は火と聖光を背に、整然と後退していく。完全勝利とはほど遠い。だが壊滅でもない。実に厄介で、実に優秀な撤退だった。
最後尾のレネが、裂け目を抜ける寸前に一度だけ振り返った。
「……次は、本当に大きいのが来るかも」
その呟きは、小さかったが余には届いた。
余は静かに応じる。
「来るなら来い。余も育つ」
もちろん、向こうには聞こえておらぬ。
だが、それでよい。




