第10話 ギルドのタイムリミットと、迫る本気の攻略
その日の迷宮は、妙に浮ついていた。
ゴブリンどもはグズが進化したことで露骨に態度を変えた。今までは“何となく殴ってくる少しましな個体”くらいの認識だったのだろうが、進化後は違う。グズが睨むだけで、明らかに動きが鈍る。命令めいた唸り声にも反応が早い。
「ギィッ!」
「ぎっ、ぎぃ!」
「ぎゃっ!」
入口側で、馬鹿の一体が寝そべっていたところを、グズが棍棒で叩き起こした。
起こされた個体は慌てて持ち場へ走る。
「……いいな」
《可視化された階級は群れ維持に有効です》
「階級」
《はい》
「余の迷宮にも、ようやくそういうものが出てきたか」
少しだけ、嬉しかった。
ただ数がいるだけの群れではなく、役割があり、上下があり、命令が流れる。王だの迷宮だのと大仰なことを言うにはまだ早い。だが、組織の芽としては十分だ。
「グズ」
「ギィ!」
「入口側二体、曲がり角二体、新小部屋四体、旧小部屋三体。残りは最奥前で休ませよ。鼠は巡回優先、茸には触るな」
「ギィ、ギィッ!」
返事が前より締まっている。
しかも、ちゃんと動く。
完璧ではない。途中で二体ほど配置を間違えた。だが、余が細かく怒鳴らずともだいたいの形にはなる。これは大きい。実に大きい。
余は白い部屋で、少しだけ思案した。
「……これなら、次はゴブリン自体の数を増やすより、構造をもう一段深くした方が良いかもしれぬな」
《その判断には合理性があります》
「グズがいる以上、馬鹿の頭数だけ増やしても前より扱える」
《はい》
良い。
やはり進化は正解だった。
問題は、次に何を伸ばすかだ。
所持ソウルはまだ三十五ほど残っている。落とし穴一つなら作れる。小規模通路延長もできる。だが、派手な強化をするには足りぬ。ならば、次のソウル収入が欲しい。
しかし人間どもは慎重になった。
今しばらくは、軽率に突っ込んでこない可能性もある。
「……となると、新聞か」
余は自然と視線をそちらへ向けた。
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交流会の翌日だったからか、新聞の交流欄には普段より賑わいがあった。
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【交流欄・短報】
・“朽縄井戸”井守:昨日の研究会参加ありがとー。新人は湿りを活かせ。
・“玻璃宮の姫”:湿りを活かすなど論外ですわ。
・“朽縄井戸”井守:来たな美意識。
・“灰冠のロード”:戦場に美を求めるな、勝て。
・“玻璃宮の姫”:勝った上で美しくあるべきですの。
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「仲が良いのか悪いのか分からぬな」
だが、少し面白い。
こうして他のロードどもが言い争っているのを見ると、本当に“同じ世界にいる”感覚が出てくる。人間だけが世界ではない。迷宮にも社会がある。競争があり、流儀があり、派閥めいたものまであるのかもしれぬ。
さらに紙面をめくると、小さな個別通知が届いていた。
【“朽縄井戸”井守 より】
“見学の王様口調さん、昨日の反応よかったね。もし初期運営で具体相談あるなら、短文なら乗るよ。もちろん匿名のままで可”
「……本当に気安いな、あやつ」
《好機でもあります》
「分かっておる」
相談するか。
しないか。
余は少し悩んだが、すぐに結論を出した。
情報は力だ。
ただし、出しすぎれば命取りだ。
ならば、具体性を落として聞けばよい。
余は新聞面へ意識を向け、初めて“返信”という行為を試みた。文字が光として浮かび、そこへ思考を流し込む形らしい。
「ええと……」
【返信案】
“湿潤床・段差・横圧までは組めた。次に足すなら落とし穴、小部屋、延長のどれが有効か迷っている”
書いて、余は少し止まった。
湿潤床も段差も横圧も、だいぶ情報を出しておる気がする。
「……いや、削るか」
少し修正する。
【送信】
“悪足場と小部屋運用で一度成果あり。次に強めるなら構造、罠、配下統率のどれを優先すべきか”
これならまだ抽象的だ。
具体位置も規模も伏せている。
余は送信したあと、妙にそわそわした。
「……返ってくるものなのか、これ」
《通常は短時間で返信されます》
言ったそばから、ぴこん、と光る。
早い。
早すぎる。
【井守より】
“初期で一番伸び幅が出るのは統率。次が構造。罠は見破られると死にやすい。配下が ‘どこで戦うか’ を理解し始めたら一段上へ行ける。逆に理解してないなら、罠足しても雑に踏むだけ”
「……」
余はしばし黙った。
当たっている。
あまりにも当たっている。
今の余の迷宮は、まさにグズという“統率の芽”が生まれた段階だ。構造も伸ばせる。だが罠を増やしても、馬鹿どもが自分で踏みそうだ。その懸念は確かにある。
「慧眼だな、あやつ」
さらに追伸が来た。
【井守より】
“あと、もし相手に斥候がいるなら、構造の正解を固定しないこと。同じ勝ち筋を二度見せると読まれる”
「……ぐ」
刺さる。
非常に刺さる。
レネの顔が脳裏に浮かんだ。あやつは見る。覚える。そして次に活かす。こちらも変わらねばならぬ。
余は短く礼を返した。
【送信】
“助言感謝する。参考にする”
数秒後。
【井守より】
“硬いなあ。まあいいや、頑張れ湿り系新人”
「湿り系新人とは何だ!」
《客観的分類かと》
「嫌な客観である!」
だが、不思議と嫌な気分ではなかった。
少なくとも、助言は本物だ。
そして一つ、はっきりした。
今の余に必要なのは、もっと“迷宮としての戦い方”を配下へ染み込ませること。
構造だけではない。
構造を使う者が育たねば、上へは行けぬ。
「……よし」
余はグズを見た。
新たに生まれた、湿臭い洞窟の第一幹部。
「次は訓練の質を上げる」
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一方その頃、ギルドでは別の話が進んでいた。
「また退いたのか」
支部長代理の中年男が、書類を見ながら眉をひそめた。
「ええ」
レネが答える。
「押しきれない?」
「押しきれない。少なくとも、今の軽装四人じゃ奥まで行く前に消耗がかさむ」
「E+相当でそこまでか」
「E+よりは嫌です」
ミーシャが間髪入れず言った。
「火で雑に焼けば勝てる相手じゃない。臭いし」
「最後の一言いる?」
「大事よ」
支部長代理はため息をついた。
「本部へ上げるか」
「まだ早い」
レネがすぐに言う。
「断定材料が足りない。今ならまだ辺境支部で処理できる」
「だが死者が出ている」
「だからこそ、今のうちに見極めたい」
その“見極めたい”には、職務以上の感情が混ざっていた。支部長代理もそれには気づいていたが、あえて追及しなかった。
「次はどうする」
「もう一度編成を変える」
ハルドが口を開く。
「前衛を二枚にするか、あるいは対迷宮向けの重装を借りる」
「重装ね……辺境で?」
「厳しいのは分かってる」
「聖職は?」
「フィナは使える。でも相手が明確に邪なら話は早いが、今の段階だと浄化一点読みは危険」
「ふむ」
レネは報告書の端に、自分で書いたメモを指でなぞった。
【変化が早い】
【通路構造変更あり】
【小型魔物による攪乱】
【後退判断あり】
【追撃は浅い=まだ自信不足?】
最後の一文に、レネは少しだけ目を細める。
そうだ。
あの迷宮は、まだ“殺しに自信がない”。
だから深追いしない。
だからこそ、今のうちならまだ、壊せる。
だが同時に。
それは育つ余地が大きいということでもある。
「……もう少しだけ、私たちで見る」
「猶予を取るのか」
「一回だけ」
「危ない橋だぞ」
「分かってる」
支部長代理はしばらく黙っていたが、やがて頷いた。
「一回だけだ。次でも抜けないなら、本部照会をかける」
「了解」
ギルド側も、悠長ではない。
余の知らぬところで、時間制限がじわじわと近づいていた。
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・
迷宮へ戻る。
その夜、余は初めて“訓練用の流れ”を作った。
入口から新小部屋まで、ゴブリンを順番に走らせる。
グズが止める。
左右から二体が寄る。
後ろからもう一体が押す。
それを鼠が細穴から見て、必要なら足元へ出る。
もちろん人間相手のようにはいかぬ。馬鹿ども相手では再現度も低い。だが、“どこで止めるか”“どこで群がるか”の癖をつけることはできる。
「そこは前へ出すぎだ!」
「ギィッ!」
「鼠、早い! まだ出るな!」
「ちゅっ」
「後ろの馬鹿、なぜ味方を殴る!?」
「ぎゃっ!?」
ひどい。
実にひどい。
だが前よりは形になる。
グズが止め、左右が寄り、後ろが押し、鼠が足を取る。
たったそれだけでも、以前より迷宮らしい。
「……うむ」
白い部屋で、余は少し満足した。
これなら次、レネたちが来ても、前回とまったく同じにはならぬ。少なくとも“たまたまの乱戦”ではなく、“少し練習した乱戦”になる。
大きな違いだ。
《訓練効率が上昇しています》
「見れば分かるが、言われると気分がよいな」
《そうでしょう》
たまに管理音声も人を乗せる。
人ではないが。
そこで、新聞がまた小さく光った。
【迷宮新聞・地域欄】
辺境区域の未成熟迷宮に対する冒険者注意情報が更新されました。
余は嫌な予感を覚えつつ開く。
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【辺境区域・注意情報】
・通称“湿臭洞窟”の危険度見直し中
・斥候同行推奨
・構造変化あり、再調査推奨
・単独突入非推奨
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「……広がっておるな」
当然だ。
二度も生還者を出したのだ。情報は漏れる。しかも今回は完全に“再調査対象”として見られている。もう初心者がふらりと入り込む訓練場ではない。
その事実に、少しだけ誇らしさもあった。
同時に、危機感も増す。
危険だと知られれば、今度はそれに見合う相手が来る。
余は新聞を閉じ、静かに呟いた。
「時間がないな」
《はい》
「第1段階の猶予は、そろそろ終わる」
《その可能性は高いです》
ならばこそ。
次の一手が要る。
ソウルを稼ぎ、構造を伸ばし、Dへの条件を満たす一手。
そしてそれは、おそらく――次に来る“本気寄りの攻略”を退けることになる。
余は見取り図の上で、入口から最奥までを何度も辿った。
まだ浅い。
まだ足りぬ。
だが、どこをどう伸ばすかは見え始めている。
「次の侵入で、余の迷宮は試されるな」
怖い。
もちろん怖い。
だが、それ以上に、今は腹の底が静かに熱い。
前回までは、ただ生き残りたかった。
今は違う。
勝ちたい。
迷宮として、明確に勝ちたい。
そう思った時、余はほんの少しだけ、自分の声が変わっていることに気づいた。
叫ぶだけではない。
震えるだけではない。
恐怖を抱えたまま、それでも前を見ている声だ。
「来るなら来い」
白い部屋の真ん中で、余は小さく、だがはっきりと言った。
「余の迷宮は、もう最初の洞窟ではない」




