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第115話 眠る災厄は、戦力に数えない

夜棺白庭。


 それは、霧灰白庭迷宮の奥に新しく生まれた区画だった。


 白磁庭園から奪った冷たい白。


 迷靄洞から続く灰の霧。


 戻り水の湿り。


 影縫い大蜘蛛の糸。


 そして、死体の匂い。


 それらを混ぜ、沈め、外から見えないように折り畳んだ場所。


 その最奥に、白磁の棺がある。


 古血のヴァンパイア、ヴェルグレイヴは、そこに横たわっていた。


 眠っている。


 本当に眠っている。


 管理音声の表示にも、そう出ている。


《契約存在:ヴェルグレイヴ》


《状態:睡眠》


《活動意思:低》


《外部干渉:非推奨》


《起床危険度:極大》


「……最後の表示、要るか?」


《必要です》


「見るたびに心臓に悪い」


《ロードに心臓はありません》


「そういう話ではない!」


 余は白い部屋の中央で、夜棺白庭の表示を睨んでいた。


 勝った。


 確かに勝った。


 ヴェルグレイヴは敵として侵入し、余はそいつを契約で縛った。


 コア不可侵。


 契約者不可侵。


 配下の無断捕食禁止。


 迷宮存亡時の防衛義務。


 コア破壊時の同時消滅。


 条件だけ見れば完璧だ。


 完璧なのだが。


「……管理音声」


《はい》


「あれは、配下か?」


《分類上は契約存在です》


「では、魔物一覧に入るのか?」


《通常魔物とは別枠です》


「戦力として数えてよいのか?」


《最終防衛戦力としては極めて有効です》


「通常防衛戦力としては?」


《非推奨です》


「うむ」


 余は即座に頷いた。


「余もそう思う」


 あんなものを通常戦で出してたまるか。


 一度でも人間に見られれば終わりだ。


 Aランク冒険者を全滅させた迷宮。


 白磁庭園を吸収した迷宮。


 そこにさらに、古血のヴァンパイアがいる。


 そんな情報が広まれば、人間側は間違いなく霧灰白庭迷宮を普通の攻略対象として見なくなる。


 討伐軍。


 聖教会。


 S級冒険者。


 SS級。


 下手をすれば、勇者。


 そんなものが来る。


「使えば勝てるかもしれん。だが、見られれば次に勝てない敵を呼ぶ」


《適切な判断です》


「当然だ。余は馬鹿ではない」


《はい》


「……たまに焦るが」


《はい》


「そこは否定しろ!」


《事実です》


 くそ。


 管理音声め。


 余は夜棺白庭の表示を閉じようとして、閉じられなかった。


 見ていないと不安になる。


 しかし見ていると胃が痛い。


 厄介な同居人を持ったものだ。


 いや、同居人というには物騒すぎる。


 災厄だ。


 霧灰白庭迷宮の奥に、災厄が一体、寝ている。


 それを思うだけで、迷宮全体の空気が変わったように感じた。


 実際、変わっていた。


《報告》


「何だ」


《夜棺白庭形成以降、周辺区画に影響が発生しています》


「やはりか」


《白磁花の一部が夜性化》


《アンデッドゴブリンの活動低下》


《死体資源の保存性上昇》


《戻り水の一部に血色反応》


《通常ゴブリンの夜棺白庭接近欲求を確認》


「最後が一番嫌だな!?」


《知能が低いため、強い魔力に引き寄せられている可能性があります》


「止めろ。絶対に近づけるな。食われはしないだろうが、何が起きるか分からん」


《承知しました》


「夜棺白庭の周囲に立入禁止区画を設定しろ。通常ゴブリン、灰かぶりゴブリン、アンデッドゴブリン、赤錆噛み、全部だ。入れるな」


《影縫い大蜘蛛とカゲヌイによる封鎖を推奨》


「採用」


 白い部屋の壁面に、夜棺白庭周辺の構造が映る。


 白磁回廊の奥に、灰霧の細道。


 その先に、黒い水脈。


 さらに奥に、糸で覆われた門。


 余はそこへ指示を飛ばす。


「影縫い大蜘蛛。夜棺白庭の外周に糸を張れ。侵入防止だ。捕獲ではない。近づく馬鹿を引き戻すための糸だ」


 影縫い大蜘蛛が、白磁天井を這う。


 太い脚が音もなく動き、灰色の糸を吐く。


 カゲヌイはその下で、影の罠を刻み始めた。


 罠の対象は冒険者ではない。


 味方のゴブリンだ。


 いや、仕方ないだろう。


 うちのゴブリンどもは馬鹿なのだ。


 強い魔力があれば寄る。


 臭いものがあれば嗅ぐ。


 食えそうなものがあれば噛む。


 そして、死ぬ。


「ゴブリンを守るためにゴブリンを罠にかける日が来るとはな」


《適切です》


「複雑だ」


 余はため息をついた。


 そこへ、弱い声が届いた。


「ロード」


 フィルエだった。


 コア近くの白い小部屋に寝かせている。


 正確には、寝かせているというより、迷宮が包んでいる。


 白磁の床を柔らかく変え、戻り水を細く巡らせ、森灰のマナを薄く漂わせている。


 フィルエ用の回復室。


 いや、今後は住居になるかもしれない。


 命脈契約を深めた以上、フィルエは完全に霧灰白庭迷宮の内側の存在になった。


 外に出ることはできる。


 だが、もう以前のようなただの協力者ではない。


 余のコアと命が繋がっている。


「起きるな。まだ傷が塞がっていない」


「半分くらい塞がった」


「半分なら寝ていろ」


「ロードがうるさいから起きた」


「余のせいか?」


「うん」


 フィルエは白磁の寝台に横たわったまま、薄く目を開けていた。


 肩から背中にかけて、灰色の紋様が走っている。


 傷跡ではない。


 契約線だ。


 森のマナと霧灰白庭迷宮のマナが混じり、彼女の体を縫っている。


 痛々しい。


 だが、死には向かっていない。


 それだけで十分だった。


「気分はどうだ」


「変」


「変とは何だ」


「迷宮の音が近い」


「不快か?」


「不快ではない。でも、近い」


 フィルエは少し目を閉じた。


「グズが泥を動かしてる音がする。影縫い大蜘蛛が糸を張ってる。赤錆噛みが何か齧ってる。ゴブリンが……また変なところで小便した」


「最後の報告はいらん!」


「気になる」


「余も気になる!」


 くそ。


 契約が深くなったせいで、フィルエにも迷宮内の流れが前より強く伝わっているらしい。


 便利ではある。


 便利ではあるが、ゴブリンの小便まで共有する必要はない。


「それより、あの古血だ」


 フィルエの声が少し低くなった。


「眠ってる?」


「今はな」


「起こさない方がいい」


「分かっている」


「あれは、強い」


「それも分かっている」


「たぶん、私が十回見ても、十回負ける」


「……そこまでか」


「うん。でも、十一回目なら逃げ道くらいは作れるかも」


「戦うな」


 余は即答した。


 フィルエは少しだけ笑った。


「ロードが止めるんだ」


「止める。お前は余の契約者だ。勝手に死なれては損だ」


「損」


「損だ」


「便利な言葉」


「便利な言葉で何が悪い」


 フィルエは目を細めた。


「私は、もうここに住むの?」


「嫌なら出ていける。ただし、命脈契約で繋がっている以上、遠くへ行きすぎるのは推奨せん」


《推奨しません》


「管理音声もそう言っている」


「うん」


 フィルエは天井を見た。


「じゃあ、部屋が欲しい」


「部屋?」


「観測する場所。森のものも置ける場所。迷宮の流れを見る場所」


 余は少し考えた。


 悪くない。


 フィルエはただ寝かせておくには惜しい。


 迷宮のマナ流、外部の森、魔物進化、歪みの観測。


 そういう部分では、管理音声よりも直感的に読める。


「管理音声。フィルエ用の区画を作れるか」


《可能です》


「コア近く。ただし、コア直通ではない。外部森側の流れも見られる場所。戻り水と森灰を通せ。白磁床は冷たすぎぬよう調整。ゴブリン立入禁止」


《区画名を設定しますか》


 フィルエが小さく言った。


「森灰観測室」


「それでよい」


《森灰観測室、仮設定》


 白い部屋の壁面に、新しい小区画が浮かぶ。


 コア区画の近くに、細い枝のような通路。


 その先に、小さな部屋。


 床には湿った灰。


 壁には白磁の薄板。


 天井には影縫い糸の観測網。


 戻り水が細い溝を流れ、外の森から来るマナの揺れを拾えるようになっている。


 フィルエはそれを見て、少しだけ満足そうにした。


「いい」


「そうか」


「ゴブリン、入れないでね」


「入れん」


《ゴブリン侵入防止罠を設置します》


「必要だな」


 悲しいが必要だ。


 余は次に、外部監視へ意識を向けた。


 ヴェルグレイヴの侵入は、外に見られていないはずだ。


 だが、魔力反応はどうか。


 古血が白磁門を砕いた瞬間、迷宮の外側にもわずかな揺れが出た可能性がある。


「管理音声。外部観測に引っかかった可能性は?」


《不明です》


「また不明か」


《外部領域のため断定不可。ただし、入口周辺に一瞬の高濃度夜属性反応が発生しました》


「夜属性?」


《仮称です。古血の魔力反応に由来》


「まずいか」


《遠距離魔力盤が設置されていた場合、異常値として記録される可能性があります》


 余は舌打ちした。


 やはり完全には隠せない。


 人間側は、霧灰白庭迷宮に調査員をまだ入れていない。


 だが、入口周辺の魔力観測くらいはしている。


 白磁庭園消失後、旧迷靄洞の魔力が変わったことも、遠距離から察知していた。


 今回も、何か変な反応が出たと記録される可能性はある。


「誤魔化せるか」


《可能性はあります》


「方法」


《Aランク冒険者パーティ戦後の残留魔力、白磁庭園吸収後の不安定化、夜間の魔物活性反応として偽装可能》


「やれ」


《迷宮外縁の魔力揺らぎを再調整します》


「ヴェルグレイヴの気配は夜棺白庭に沈めろ。外に漏らすな」


《承知しました》


 白い部屋の壁面に、外縁の霧が映る。


 白い霧が濃くなり、灰を含み、泥の湿りを上げる。


 古血の夜を、霧と灰の奥へ沈める。


 完全に消すのではない。


 別の揺れに混ぜる。


 余はそれを見ながら、ふと思った。


 宝箱機能が解放されたら、こういう偽装にも使えるかもしれない。


 宝の魔力。


 罠の魔力。


 報酬品の気配。


 それらを混ぜれば、本命を隠せる。


 今はまだ未解放だが、いずれ使う。


「やはりAランク到達を急ぐ必要があるな」


「宝箱?」


 フィルエが聞いた。


「お前、聞いていたのか」


「契約が深いから、少し聞こえる」


「便利だが不便だな」


「うん」


 余は宝物庫機能の説明を簡単に伝えた。


 フィルエはしばらく黙ってから言った。


「危ないね」


「冒険者にとってはな」


「ロードにとっても」


「なぜだ」


「宝を置くと、欲深いのが来る。欲深い強者も来る。宝目当ての盗掘者も、名声目当ての冒険者も、研究者も来る」


「つまり餌として優秀だ」


「針も大きくしないと、餌だけ取られる」


 余は黙った。


 なるほど。


 宝を置けば冒険者が来る。


 だが、来た冒険者に宝だけ奪われて逃げられれば損だ。


 宝箱は罠でなければならない。


 しかし、罠だけでは信用を失う。


 本物も必要だ。


「本物を混ぜ、欲を育て、帰路を潰す」


「うん」


「よし。考えることが増えた」


「楽しそう」


「楽しいに決まっているだろう」


 余は少し笑った。


 戦後処理。


 古血の秘匿。


 フィルエの回復。


 外部観測の偽装。


 宝物庫機能の予習。


 やることは多い。


 だが、悪くない。


 弱小迷宮だった頃は、ただ生き残るだけで必死だった。


 今は違う。


 余は、来る敵を選び、呼ぶ餌を考え、隠す切り札を持つところまで来た。


 王のように振る舞うには、まだ足りない。


 だが、少なくとも。


 怯えて叫ぶだけのコアではなくなった。


 その時だった。


 白い部屋に、ぱさり、と黒い紙が落ちた。


「……またか」


《ダンジョン新聞、通常号です》


「号外の直後に通常号を寄越すな。忙しい」


《購読対象です》


「購読した覚えはない!」


 余は文句を言いながら新聞を拾った。


 紙面には、Aランク冒険者パーティ全滅の続報。


 白磁庭園吸収に関する分析。


 旧庇護下迷宮の情報。


 そして、ロード反応欄。


 余は素早く目を走らせた。



《ロード反応欄》


《井守》


 勝った後の迷宮ほど、内側を見落とす。


 強いものを拾った時は、拾ったものに喰われぬように囲え。



「……」


 余は黙った。


「管理音声」


《はい》


「この井守、何か知っているのか?」


《不明です》


「不明ばかりだな」


《事実です》


 井守のコメントは、偶然かもしれない。


 白磁庭園を吸収したことを言っているのかもしれない。


 Aランク冒険者の戦利品を言っているのかもしれない。


 あるいは。


 霧灰白庭迷宮が、何か強すぎるものを内側に抱えた気配を、ロードとして感じ取ったのかもしれない。


 完全には隠せていない。


 少なくとも、上位のロードや古参のロードには、異常な変化として伝わる可能性がある。


 余は新聞を握り締めた。


「夜棺白庭の秘匿を強化する」


《承知しました》


「影縫い大蜘蛛、外周糸を三重に。カゲヌイ、罠を二重から四重へ。白磁根で魔力遮断壁を作れ。戻り水は外へ流すな。内側で循環させろ」


《承知しました》


「フィルエ」


「うん」


「お前は回復したら、夜棺白庭の監視役だ」


「私を殺しかけた相手の?」


「だからこそだ。お前が一番あれの流れを見ている」


「近づきすぎないなら」


「近づくな。見ろ」


「分かった」


 フィルエは目を閉じた。


「ロード」


「何だ」


「あれを戦力に数えない方がいい」


「分かっている」


「本当に?」


「本当にだ」


 余は夜棺白庭の表示を見た。


 白磁の棺。


 眠る古血。


 その存在ひとつで、迷宮の格が変わるほどの力。


 だが、それは使えない。


 使わない。


 余は言った。


「あれは最終防衛機構だ。普段はただの寝床の住人。余の迷宮は、余の罠と配下で勝つ」


 フィルエが、小さく笑った。


「王っぽい」


「当然だ」


 そこで、白い部屋の壁面に別の表示が浮かんだ。


《戦後処理完了率:六十二パーセント》


《銀刻の五人由来素材、再分類可能》


《Aランク査定条件、一部達成》


《次段階条件:迷宮独自報酬構造、安定運用、生還者情報による攻略価値の流通》


「……迷宮独自報酬構造?」


《Aランク到達に関係する要素です》


 余は目を細めた。


 宝物庫機能。


 まだ未解放。


 だが、到達条件にはもう影が見えている。


 危険なだけでは足りない。


 強いだけでも足りない。


 高位迷宮は、冒険者が命を賭ける理由を持つ必要がある。


 恐怖と価値。


 死と報酬。


 迷宮とは、ただの穴ではない。


 欲を呑む腹だ。


「なるほど」


 余は笑った。


「次は、殺すだけではなく、欲しがらせる段階か」


《はい》


 新聞の端で、井守のコメントが黒く残っている。


 強いものを拾った時は、拾ったものに喰われぬように囲え。


 余はその忠告を、珍しく素直に受け取った。


「まずは囲う」


 夜棺白庭の周囲に、糸と影と白磁根が重なっていく。


「そして隠す」


 外縁の霧が、古血の夜を灰に沈めていく。


「その上で、次の餌を考える」


 フィルエが呟いた。


「忙しいね」


「ロードとは忙しいものだ」


「最初は、かなり慌ててたのに」


「今も慌てている」


「そうなの?」


「表に出していないだけだ」


 フィルエは、今度こそ少しだけ笑った。


「成長したね」


「うるさい。寝ていろ」


「うん」


 白い部屋に、ようやく少しだけ静けさが戻った。


 だが、それは平穏ではない。


 次の段階へ進むための、短い沈黙だ。


 霧灰白庭迷宮の奥では、古血が眠っている。


 コア近くでは、フィルエが命を繋いでいる。


 外では、人間たちがAランクパーティの死を知り始めている。


 そして、余は知った。


 ただ待って殺すだけでは、もう足りない。


 これからは、こちらが欲を設計する。


 宝を置き、噂を生み、冒険者を誘い、そして喰う。


 Aランクへ至る道は、もう見え始めていた。

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