第108話 号外は、Aランクを呼ぶ
霧灰白庭迷宮
その名が白い部屋に刻まれてから、迷宮の腹は静かに軋み続けていた。
かつての迷靄洞は、湿った石と灰と泥の迷宮だった。
そこへ今、白磁庭園が沈んでいる。
白い床。
白い柱。
白磁花。
白磁根。
白磁噴水構造。
庭番人形の生成式。
白磁騎士の固定芯。
美しく、整い、侵入者に「ここは神聖な場所だ」と錯覚させるための構造。
だが、それはもう白磁庭園のものではない。
余のものだ。
霧と灰と泥と戻り水の腹に呑まれた、白い庭である。
「管理音声」
《はい》
「白磁庭園区画を、そのまま使うな」
《理由を確認します》
「綺麗すぎる」
《白磁庭園由来の特徴です》
「だから駄目だ。あれは白磁庭園の強さであって、余の強さではない」
白い部屋の床に、迷宮図が浮かぶ。
旧迷靄洞の通路。
灰の溜まり場。
戻り水の細流。
影縫い大蜘蛛の糸場。
グズの泥門。
カゲヌイの影罠。
赤錆噛みの床下巣。
そこへ、新たな白磁庭園区画が接続されている。
見た目だけなら、ひどく綺麗だ。
だが、余は知っている。
綺麗なものは、汚れた時に一番よく目立つ。
「白磁床の三割に灰を敷け」
《はい》
「白磁回廊の継ぎ目に戻り水を通せ。乾いた床に見せて、踏んだ時だけ湿らせる」
《はい》
「白磁花は咲かせる。ただし花粉は即死ではなく、最初は視界を白く焼くだけでいい」
《致死性を落としますか》
「奥まで歩かせるためだ」
《了解》
「白磁噴水構造は濁せ。庭心水の残りに泥と戻り水を混ぜる」
《濁った庭心水を使用します》
「白磁騎士は?」
《通常生成にはソウル四百が必要です》
「高い」
《性能相応です》
「高いものは高い」
ゴブリンなら八十体分。
いや、八十体のゴブリンが役に立つかはともかく、数字としてはそうだ。
白磁騎士は確かに強い。
だが、今の余に完全体を何体も並べる余裕はない。
それなら、白磁庭園戦で回収したものを使う。
庭心噴水中枢片。
白磁騎士の兜片。
白磁騎士固定芯。
濁った庭心水。
主根表層片。
これらはただの記念品ではない。
次の侵入者を殺すための材料だ。
「白磁騎士の残骸を使った再構成案を出せ」
《提示します》
⸻
試作魔物案:
《濁白騎士》
素材:
白磁騎士の兜片
白磁騎士固定芯
濁った庭心水
灰
戻り水
アンデッドゴブリン骨片
概要:
白磁騎士の残骸を霧灰白庭迷宮側で再構成した不完全騎士。
完全な白磁騎士より性能は落ちるが、白磁床・白磁回廊内で能力上昇。
灰と霧の中でも自軍識別可能。
白磁修復構造による限定修復が可能。
欠点:
動作にわずかな遅れ。
白磁庭園本来の清浄性は喪失。
素材消費が重く、量産には不向き。
⸻
「一体だけ生成」
《濁白騎士を生成します》
白い部屋の奥で、欠けた兜が浮いた。
白磁騎士固定芯が軋む。
濁った庭心水が絡みつき、灰と戻り水が鎧の隙間へ染み込む。
最後に、アンデッドゴブリンの骨片が関節部へ組み込まれた。
白い鎧が立ち上がる。
だが、それは白磁庭園の騎士ではない。
兜には黒い罅。
肩には灰。
関節には泥水のような濁り。
白い剣の根元には、錆色の筋。
美しい騎士ではない。
余の腹で汚された、白い残骸の騎士だ。
《濁白騎士、生成完了》
濁白騎士は片膝をついた。
奥でゴブリンどもが騒いだ。
一体が威嚇するように棍棒を振り上げる。
「やめろ」
濁白騎士が顔のない兜を向ける。
ゴブリンは、棍棒をゆっくり下ろした。
「そうだ。勝てない相手には喧嘩を売るな。お前たちにしては賢い」
その直後、別のゴブリンが白磁花に手を伸ばした。
「食うな!」
ゴブリンがびくりと跳ねる。
「それは罠素材だ! 食料ではない!」
マネがどこかで余の声を真似た。
「クウナ!」
「お前も今は黙っていろ!」
まったく。
白磁庭園を喰っても、迷宮の中身は相変わらず騒がしい。
だが、悪くない。
美しいだけの庭より、余にはこちらの方が合っている。
その時だった。
《ダンジョン新聞、号外追補を受信しました》
「出せ」
白い部屋の中央に、黒い紙面が開いた。
大きな見出しが浮かぶ。
⸻
ダンジョン新聞 号外追補
《霧灰白庭迷宮》誕生続報
新興Bランク上位迷宮、敵対ダンジョン《白磁庭園》を逆吸収
白磁庭園ロード、応答なし。
白磁庭園コア反応、消失。
白磁系統魔力は霧灰白庭迷宮側へ統合されたものと推定。
評価:Bランク上位相当
備考:Aランク査定対象条件の一部を満たした可能性あり
⸻
「……大きく書きすぎではないか」
《事実です》
「事実でも大きく書くな。目立つだろうが」
《既に目立っています》
「うるさい」
紙面はさらに下へ続いた。
⸻
旧白磁庭園庇護圏、崩壊
白磁庭園の旧直接庇護下にあった小規模迷宮七件のうち、四件が消滅。
一件が沈黙。
二件が新たな庇護先を求めて通信を試行中。
消滅確認:
・小骨溜まり
・眠り蔦の垣
・白鼠の納骨穴
・硝子蛾の小巣
沈黙・所在不明:
・錆釘小道
通信試行中:
・薄灯茸穴
・浅泥井戸
編集部注:
宗主迷宮喪失に伴う防衛契約断絶が原因と見られる。
周辺弱小迷宮は、冒険者・野良魔物・敵対ロードの侵食に注意されたし。
⸻
「早いな」
《白磁庭園の庇護を前提に生存していた迷宮群です。後ろ盾が消えれば、維持できないものも出ます》
「余が喰った結果、四つ消えたか」
《間接的にはそうなります》
「……ふん」
罪悪感はない。
ロードとはそういうものだ。
強い迷宮の影で生きていた弱い迷宮は、その影が消えれば死ぬ。
白磁庭園が負けた。
だから下が崩れた。
ただそれだけだ。
ただし、使えるものは拾う。
「薄灯茸穴と浅泥井戸だけ表示しろ」
《ロード通信を開きます》
⸻
《通信試行:薄灯茸穴》
白磁庭園との庇護契約が断絶。
当迷宮は戦闘能力が低く、外敵への単独対処が困難。
旧契約では、月ごとに胞子嚢、幻覚茸、匂い消し菌糸を納入。
対価として白磁庭園より周辺危険情報と侵入警告を受領。
貴迷宮が白磁庭園コアを継承したなら、契約継続の可否を問う。
⸻
《通信試行:浅泥井戸》
白磁庭園の反応消失を確認。
当迷宮は水脈・泥層・足跡沈降記録を保持。
戦力は低い。
庇護を求める。
対価として、周辺水脈情報、地表移動痕、侵入者の足跡記録を提供可能。
⸻
余は通信文を眺めた。
薄灯茸穴。
胞子、幻覚茸、匂い消し菌糸。
白磁花粉罠と合わせれば、視界だけでなく匂いと方向感覚を狂わせられる。
浅泥井戸。
水脈、泥、足跡記録。
戻り水との相性がいい。
さらに外の人間の移動を読む材料になる。
「この二つだけ応答する」
《他は》
「消えたものは戻らん。錆釘小道は沈黙なら今は追わない。探す余裕もない」
《了解》
「返信文」
《どうぞ》
「霧灰白庭迷宮は、白磁庭園ではない。旧契約をそのまま継承はしない」
《記録中》
「ただし、対価に価値がある限り、限定庇護を認める。薄灯茸穴は胞子嚢、幻覚茸、匂い消し菌糸を即時納入。浅泥井戸は周辺水脈情報と人間の移動痕を送れ」
《記録中》
「余が守るのは、余の役に立つものだけだ」
《送信しますか》
「送信」
《送信しました》
これでいい。
全てを守る王ではない。
使えるものを拾い、使えないものは捨てるロードでいい。
白磁庭園を喰ったことで、余の腹は大きくなった。
なら、余の判断も大きくしなければならない。
ただの洞ではない。
宗主迷宮の真似事くらいは、もうできる。
紙面はさらに続いていた。
⸻
他ロード反応欄
《井守》
久しい。記事を見た。
白磁庭園を喰ったなら、もうこちらより遥かに上だ。
だが、上になった迷宮には上を殺す者が来る。
白磁床は乾かすな。濡らせ。継ぎ目を作れ。
強い冒険者ほど帰り道を見る。帰り道を先に殺せ。
《逆骨廟》
白い構造は祈りに見える。祈りに見えるものは、聖職者の警戒を一瞬だけ鈍らせる。
その一瞬に骨を鳴らせ。
《黒泥胎窟》
白を綺麗なまま使うな。泥に沈めろ。
白は汚れた時が一番目立つ。
《鏡霧劇場》
白磁回廊と霧は相性がいい。
ただし視覚だけでなく、足音と声もずらせ。
冒険者は目より仲間の声を信じることがある。
匿名投稿一
白磁庭園を逆吸収は派手すぎる。次は人間が来る。絶対来る。
匿名投稿二
うちなら白磁騎士一体で終わっていた。素直にすごい。だが目立つ。目立ちすぎる。
⸻
余は井守の欄で少しだけ目を止めた。
「井守、生きていたか」
《Cランク迷宮として存続中です》
「もう余の方が上か」
《ランク上は、霧灰白庭迷宮が大きく上回っています》
「だが、言っていることは正しい」
白磁床は濡らす。
継ぎ目を作る。
帰り道を先に殺す。
余が考えていたことと近い。
つまり、古いロードの生存知識はまだ使える。
「管理音声。白磁床の継ぎ目に戻り水を追加。薄くでいい。見えない程度に」
《はい》
「マネの反響室を白磁回廊側に移す。鏡霧劇場の指摘通り、声もずらす」
《はい》
「薄灯茸穴から素材が届き次第、白磁花粉罠を改良」
《はい》
「浅泥井戸の情報が届いたら、外周の人間移動を確認」
《はい》
紙面の最後に、別の短報が出ていた。
⸻
迷宮生存欄
Bランク迷宮《赤涙鉱山》、冒険者連合に攻略され消滅。
原因:鉱石ゴーレム偏重、通路構造の単調化、撤退路管理の失敗。
Bランク迷宮《逆骨廟》、聖職者混成隊を撃退。
要因:幻聴回廊、祈祷妨害、死霊囮の分散運用。
Sランク迷宮《竜喉火山》、勇者一行により上層火口区画を喪失。
コア消滅は回避。
次号、勇者対策特集。
⸻
「Bでも消える。Sでも削られる」
《はい》
「白磁庭園を喰った程度で浮かれるな、というわけか」
《その通りです》
「分かっている」
余は白い部屋の奥で、静かに迷宮図を広げた。
白磁庭園を喰った。
それは勝利だ。
だが、勝利は終わりではない。
勝利は、次の強敵を呼ぶ匂いだ。
同じ頃。
人間側の冒険者ギルド支部地下では、古い観測盤が白くひび割れていた。
それは、誰かが迷宮内へ入って見つけた異変ではない。
旧迷靄洞の周辺に残されていた観測杭。
白磁庭園方面に設置されていた監視札。
封鎖線撤退時に残された遠隔魔力記録具。
それらが同時に異常を吐いた。
「観測盤が異常値を出しています」
記録官の声は乾いていた。
机の向こうで、ギルド支部長が顔を上げる。
「どこのだ」
「旧迷靄洞周辺の残置観測杭です。それと、白磁庭園方面の監視札が反応を失いました」
「白磁庭園が消えたということか」
「断定はできません。内部調査はまだ入っていません。ただ……」
「ただ?」
「白磁庭園固有の白磁属性反応が、旧迷靄洞側の魔力波形に混じっています」
部屋の空気が変わった。
白磁庭園。
旧迷靄洞。
本来なら別々に存在していた迷宮。
片方の反応が沈黙し、もう片方の魔力が膨れ上がった。
しかも、消えたはずの白磁属性を抱え込んでいる。
「中に誰か入ったのか」
「いえ。まだ誰も。現時点では遠隔観測だけです」
「なら正式分類はできんな」
「はい。ギルド内部では仮に、“白庭化した旧迷靄洞”として警戒対象に上げています」
「白庭化した旧迷靄洞、か」
支部長は机の上の地図を見た。
迷靄洞。
封鎖に失敗し、調査隊を失い、白い杭を折られた迷宮。
それが今、白磁庭園の反応を取り込んでいる。
偶然で済ませるには、あまりに悪い。
「Aランクを呼べ」
支部長は言った。
「通常調査隊では餌になる」
「候補は」
「銀刻の五人」
その名が出た瞬間、記録官が息を呑んだ。
Aランク冒険者パーティ。
高難度迷宮の深層調査と撤退戦に長けた五人組。
攻略専門。
調査専門。
そして、生還専門。
「完全攻略依頼ですか」
「違う」
支部長は即答した。
「まずは高位調査だ。内部構造、白磁属性混入の原因、白磁庭園反応消失との関係、旧迷靄洞コアの推定位置。それを調べる」
「可能なら中枢破壊?」
「可能なら、だ」
「最優先は」
「生還。情報の持ち帰り」
記録官は頷いた。
それは、ギルドがこの迷宮をもう舐めていないという証拠だった。
銀刻の五人がギルド支部へ来たのは、その日の夕刻だった。
先頭は、銀色の剣を背負った男。
表情は薄く、足音は静か。
その隣に、大盾を背負った女。
後ろには、杖をついた老魔術師。
白衣の聖職者。
そして最後に、扉の蝶番と床の傷を見ながら入ってくる斥候。
支部長は、彼らを前にして説明を始めた。
「旧迷靄洞が変質した」
机の上に、観測記録が並べられる。
白磁庭園の監視札沈黙。
旧迷靄洞側の魔力膨張。
白磁属性混入。
周辺魔力の不安定化。
内部未調査。
銀剣の男は、最後まで黙って聞いていた。
そして言った。
「情報が少ない」
「分かっている」
「これは調査依頼ではなく、未分類迷宮への侵入だ」
「だからお前たちを呼んだ」
大盾の女が腕を組む。
「完全攻略義務は負わない。それでいいな」
「構わん」
老魔術師が観測紙を覗き込む。
「白磁属性が混じっているなら、白磁庭園の残骸が内部に流れ込んだ可能性がある。だが、迷宮が迷宮を喰ったと見るには証拠が足りん」
聖職者が静かに言う。
「清浄系の迷宮と、灰や泥の迷宮が混じった場合、浄化術が逆に反応を乱す可能性があります」
斥候は地図を見たまま言った。
「撤退条件を先に決めるべきです」
銀剣の男が頷く。
「条件を出す」
支部長は顎を引いた。
「言え」
「一つ。完全攻略を義務としない」
「認める」
「二つ。内部で白磁庭園由来の遺物を発見した場合、一部回収権をこちらに」
「内容次第だが、認める」
「三つ。撤退判断はこちらが行う」
「認める。ただし情報は持ち帰れ」
「四つ。入口外に救援隊を待機させる。ただし迷宮内へは入れるな。足手まといになる」
「手配する」
「五つ。退路標識魔具を支給しろ。最低でも三系統」
「用意する」
銀剣の男は、そこで初めて観測盤のひびを見た。
「最後に一つ」
「なんだ」
「この迷宮は、学習するか」
支部長はすぐには答えなかった。
旧迷靄洞。
封鎖線。
白い杭。
討伐隊。
生還者の少なさ。
そして今回の変質。
ただ魔物を並べている迷宮ではない。
人間の動きを見ている。
帰る道を潰す。
調査を逆手に取る。
そういう迷宮だ。
「学習する可能性が高い」
支部長は認めた。
銀剣の男は短く息を吐いた。
「なら、勝ちに行くな」
大盾の女が彼を見る。
「調査だな」
「そうだ。見て、測って、持ち帰る。壊せるなら壊す。だが、奥で勝とうとするな」
斥候が頷く。
「帰り道を最優先で記録する」
老魔術師が呟く。
「白磁、灰、泥、霧……厄介な混合だ」
聖職者は祈らなかった。
祈る前に、道具を確認していた。
それがAランクだった。
舐めない。
騒がない。
勝てると決めつけない。
生きて帰るための条件を、迷宮に入る前から積み上げる。
支部長は依頼書を差し出した。
「正式依頼名は、旧迷靄洞変質調査。仮称、白庭化した旧迷靄洞」
銀剣の男は署名した。
「銀刻の五人、受ける」
白い部屋で、余は浅泥井戸から届いた最初の記録を見ていた。
⸻
浅泥井戸提供情報:
北西街道より武装五名接近。
足跡深度、通常兵より重い。
一名、盾重量大。
一名、杖痕あり。
一名、足跡が浅く不規則。斥候職の可能性。
移動速度、一定。
迷宮接近前に複数回停止し、周辺確認。
⸻
「来たな」
《Aランク冒険者パーティの可能性が高いです》
「浅泥井戸は使える」
《限定庇護対象として有用です》
「薄灯茸穴からの素材は」
《胞子嚢二つ、幻覚茸一株、匂い消し菌糸が到着しています》
「白磁花粉罠に混ぜろ」
《配合します》
余は迷宮図を更新した。
灰白庭回廊。
白磁床の継ぎ目に戻り水。
白磁花粉に薄灯茸の胞子。
偽庭園迷路に霧。
反響室にマネ。
床下に赤錆噛み。
奥に濁白騎士。
さらに奥に、グズ。
上に影縫い大蜘蛛。
影にカゲヌイ。
撤退路の先に、追跡者。
「Aランクは馬鹿ではない」
《はい》
「なら、馬鹿にするな。倒せる敵を出し、進める道を見せ、帰れると思わせる」
《はい》
「帰り道は、余が先に覚える」
灰白線喰いの追跡者が、刃を鳴らした。
それは返事のようだった。
「濁白騎士は第四層。まだ見せるな」
《了解》
「白磁騎士の偽像を三つ置け。本物に見せるだけでいい」
《白磁装飾偽装を使用します》
「庭番人形は第一層。弱めに」
《なぜ弱めに?》
「突破させるためだ」
強い冒険者は、最初の罠で全力を出さない。
様子を見る。
測る。
帰る道を考える。
だから最初に見せるものは、勝てそうな敵でいい。
勝てそうな道でいい。
そう思った時には、もう帰り道の形が変わっている。
余は白い部屋の中心で、静かに笑った。
昔なら、Aランクと聞いただけで叫んでいただろう。
今も怖い。
当然だ。
余が消える可能性は、いつだってある。
だが、怖いから考える。
怖いから罠を重ねる。
怖いから、殺す準備をする。
《外部反応。武装五名、接近中》
「灰白庭回廊を開け」
《開門します》
「白磁花粉は薄く。霧は深く。戻り水は床下へ。マネはまだ喋るな」
《了解》
「グズ、待機」
泥門の奥で、グズが低く唸った。
「影縫い大蜘蛛、糸を張れ。ただし見える糸は捨て糸だ」
天井で黒い影が動く。
「カゲヌイ、影針は二段目から」
暗がりで針が鳴る。
「追跡者」
灰白の刃が、静かに傾いた。
「帰り道を見ていろ」
白い部屋の床に、入口の映像が映る。
森の向こうから五人が来る。
銀剣。
大盾。
老魔術師。
聖職者。
斥候。
足取りは慎重で、無駄がない。
これまでの冒険者とは違う。
だが、それでいい。
強い獲物ほど、腹に落とした時の価値がある。
「ようこそ」
余は、霧と灰と白い庭の奥で呟いた。
「白庭化した旧迷靄洞などではない」
白磁花が、灰をかぶって開く。
戻り水が、白い床の継ぎ目を濡らす。
霧が回廊を満たす。
「ここは、霧灰白庭迷宮」
余の声は、誰にも聞こえない。
聞こえなくていい。
名を知らぬまま入ってこい。
名を知る前に、帰り道を失え。
「Aランク。余の新しい腹を、測ってみるがいい」




