第107話 白庭喰らいは、コアから喰う
白磁庭園の噴水は止まった。
白い水音は、もう聞こえない。
代わりに聞こえるのは、割れた庭の軋み。
白磁の根が無理やり庭を支える音。
白い花が閉じたり開いたりを繰り返す、不安定な呼吸。
そして、奥にいる敵ロードの気配。
白磁庭園の主は、もう庭そのものに隠れていない。
庭心噴水を失い、騎士を一体落とされ、主根線に傷を刻まれたことで、あいつは自分で庭を支えなければならなくなった。
つまり、今が一番硬い。
そして、一番脆い。
「作戦表示」
《表示します》
⸻
作戦名:
《白庭喰らい》
目的:
一、白磁庭園コアへの到達
二、残存白磁騎士二体の足止め、または破壊
三、白磁庭園ロードの支配権を剥奪
四、白磁庭園コアを迷靄洞コアへ接続
五、敵対ダンジョン《白磁庭園》の完全吸収
投入:
灰白線喰いの追跡者
グズの泥核 二塊
白錆噛み 二体
赤錆噛み 八体
白罅骸ゴブリン 八体
アンデッドゴブリン 六体
通常ゴブリン 十五体
苔灰ゴブリン 三体
影縫い大蜘蛛の大糸束 五束
影縫い罠師カゲヌイ
マネ
戻り水細流 四本
フィルエ契約糸
待機:
グズ本体
影縫い大蜘蛛本体
迷靄洞コア本体
⸻
「フィルエ契約糸を入れるのか」
《白磁庭園主根線の識別に有効です》
『入れていい。ロードが噛む場所、間違えないように見る』
フィルエの声は静かだった。
森から来たもの。
人間でも、ギルド調査員でもなく、迷宮の流れを見る危険な観測者。
そして今は、余と契約した迷靄洞の仲間だ。
「無理はするな」
『それ、ロードが言う?』
「余はロードだから言うのだ」
『うん。じゃあ、ロードも消えないようにして』
「当然だ」
余は床の奥に意識を落とした。
グズが泥を練っている。
マネが妙な声を鳴らしている。
カゲヌイは新しい影針を削り、影縫い大蜘蛛は天井から黒い大糸を垂らす。
灰白線喰いの追跡者は、刃を低く構えたまま動かない。
だが、あいつが見ている。
白磁庭園の奥。
コアへ続く傷印。
「行くぞ」
《白庭喰らい、開始します》
壊れた門を抜けた瞬間、白磁庭園は牙を剥いた。
白い回廊の左右から、庭番人形があふれる。
花壇の花が開き、白い粉を吐く。
割れた噴水の奥では、残った二体の白磁騎士が剣を構えていた。
だが、余が見ているのはそこではない。
もっと奥。
噴水の割れ目から露出した、太い白磁の主根線。
その先。
白磁庭園のコア。
「通常ゴブリン、前へ!」
十五体のゴブリンが走った。
叫ぶ。
転ぶ。
一体が仲間を押す。
二体が同じ庭番人形に噛みつく。
馬鹿だ。
だが、白磁庭園の整った迎撃には、その馬鹿さが刺さる。
綺麗な隊列を乱し、正しい剣筋を汚し、予定された道を塞ぐ。
「白罅骸、続け!」
八体の白罅骸ゴブリンが、壊れた陶器のように走った。
白磁騎士の剣が振られる。
一体、二体、三体。
白罅骸が斬られ、爆ぜる。
腐灰と白磁粉が、騎士の足元へまとわりつく。
「膝だ! 膝を狙え!」
赤錆噛みが走る。
白磁騎士の膝裏。
足首。
腰の固定芯。
そこへ群がり、齧る。
騎士の剣が赤錆噛みを斬る。
一体が潰れた。
二体目が跳び退く。
三体目が、潰れた仲間の下をくぐって膝裏へ届く。
《赤錆噛み一体喪失》
「止まるな!」
余の命令は冷たい。
だが、必要だ。
ここで止まれば全員死ぬ。
「カゲヌイ!」
《影針、展開》
影縫い罠師カゲヌイの針が、騎士二体の剣影を縫った。
完全には止まらない。
それでも剣の速さが半拍落ちる。
「影縫い大蜘蛛!」
黒い大糸束が、白い回廊を横切る。
白磁庭園は即座に糸を白く固めようとする。
だが、その前にカゲヌイの影針が糸影へ刺さった。
糸と影が重なる。
白い庭の道が、黒い罠の地図に変わる。
《影糸拘束、成立》
「よし、今だ! 白錆噛み、主根へ!」
二体の白錆噛みが、割れた噴水の下へ飛び込んだ。
白磁騎士が止めようとする。
「追跡者」
灰白線喰いの追跡者が、刃を振った。
騎士の背から伸びる命令線。
白磁庭園ロードから流れ込む支配線。
それを一口、喰う。
白磁騎士の動きが乱れた。
その隙間を、白錆噛みが抜ける。
ぎり。
白磁の主根に歯が立った。
庭全体が震えた。
奥から、白磁庭園ロードが現れる。
白い冠。
白い長衣。
滑らかな仮面のような顔。
その目が、余を見た。
直接だ。
白い部屋の奥にいる余を、見つけた。
《敵ロード、コア干渉開始》
「来たか!」
白い光が主根線を伝って走る。
触れた場所を白く固め、迷靄洞の支配を上書きしようとする光。
余の存在を、白磁庭園の飾りに変えようとする力。
怖い。
吐きそうなほど怖い。
吐く口などないが、そういう感じだ。
だが、ここで引く選択肢はない。
「戻り水、一本切れ!」
《一本切断》
白い光が一本の水路へ流れ込み、その先で断たれて爆ぜた。
「残り三本で押し返せ!」
戻り水が主根へ流れ込む。
泥が続く。
グズの泥核一塊目が、割れた噴水跡へ叩き込まれた。
ぐしゃり。
白磁庭園ロードの顔が、わずかに歪む。
美しい庭に、泥の塊が落ちる。
それは白磁庭園にとって侮辱で、迷靄洞にとっては宣戦布告だった。
「二塊目!」
さらに泥が落ちる。
白い主根が泥に埋まる。
苔灰ゴブリン三体が、そこへ湿灰と苔を叩きつける。
白い根の表面が、緑黒く汚れた。
「白錆噛み、割れ目を広げろ!」
白錆噛みが噛む。
赤錆噛みが、主根を固定する金属めいた芯を齧る。
白罅骸ゴブリンが、白磁騎士の足元で爆ぜる。
通常ゴブリンが斬られ、死ぬ。
アンデッドゴブリンがその死体を踏んで進む。
白い庭は、もう綺麗ではなかった。
泥。
灰。
罅。
死体。
錆。
糸。
戻り水。
迷靄洞そのものが、白磁庭園の心臓へ流れ込んでいる。
《主根線、損傷拡大》
《白磁庭園支配構造、揺らぎ》
白磁庭園ロードが手を上げた。
残った白磁騎士二体が、同時に剣を構える。
今までで一番速い。
今までで一番美しい。
そして、一番危険な剣。
《白磁騎士、全力斬撃》
「止めろ!」
アンデッドゴブリン六体が前へ出た。
斬られる。
一瞬で砕ける。
白罅骸ゴブリンの残りが爆ぜる。
それでも剣圧は止まらない。
影糸拘束が裂ける。
カゲヌイの影針が折れる。
「追跡者!」
灰白線喰いの追跡者が、剣圧そのものの経路を喰った。
白い斬撃が、灰白の刃に噛まれる。
完全には消せない。
だが、軌道が逸れる。
一体の斬撃は泥へ落ちた。
もう一体の斬撃は、白錆噛みのすぐ横を通り過ぎた。
《白錆噛み一体、軽傷》
「生きてるなら噛め!」
白錆噛みが歯を立て直す。
そして、ついに主根の表面が割れた。
白磁の下から、核へ続く光が漏れる。
『ロード、そこ!』
フィルエの契約糸が鋭く震えた。
『白い根の奥、支配の芯が出た!』
「管理音声!」
《接続可能点を確認》
「迷靄洞コアを繋げ!」
《危険です。敵ロードとの直接接続になります》
「知っている!」
《失敗時、迷靄洞コア消滅の可能性があります》
「うるさい! 今やらねば修復される!」
余は、自分の核を細く伸ばした。
見えない手のように。
牙のように。
主根の割れ目へ。
白磁庭園ロードが、それを見て初めて後退した。
ほんの半歩。
だが、確かに下がった。
「余を庭飾りにするつもりだったな」
余は、白い部屋の中央で笑った。
まだ怖い。
だが、笑えた。
「違う」
迷靄洞の接続が、白磁庭園の主根へ噛みつく。
「お前が、余の腹に入るのだ」
《迷靄洞コア、白磁庭園主根線へ接続》
世界が白く弾けた。
白。
白。
白。
どこまでも白い庭。
余は、その中心にいた。
目の前に、白磁庭園ロードが立っている。
現実の姿よりも大きい。
白い冠を戴き、無数の花と騎士と人形を背負っている。
美しい。
強い。
整っている。
そして、ひどく傲慢だった。
『汚れた洞ごときが』
声が響く。
初めて聞く声だった。
白磁が擦れるような、冷たい声。
『庭を喰うなど』
「喰う」
余は即答した。
『お前は、ただの洞だ』
「そうだ」
余は認めた。
「余は、最初はただの洞だった」
真っ暗な場所で目覚めた。
意味も分からず、管理音声に驚き、ソウルの使い方も分からず、ゴブリンを二十体も雑に置いた。
侵入者が来た時は、叫んだ。
焦った。
何度も終わったと思った。
それでも生き残った。
「だが、ただの洞は喰った」
ゴブリンが喰った。
ネズミが齧った。
蜘蛛が縫った。
罠師が影を刺した。
追跡者が逃げ道を覚えた。
グズが門を守った。
マネが音を壊した。
戻り水が流れた。
フィルエが見た。
「余は、お前より汚い」
白磁庭園ロードの顔が歪む。
「だが、汚いものは強いぞ」
迷靄洞の泥が、白い精神庭園へ流れ込む。
灰が舞う。
錆が広がる。
黒い糸が白い柱へ絡む。
戻り水が白い噴水を逆流する。
白磁庭園ロードが、余を押し返そうとする。
白い花が咲き、白い騎士が並び、白い回廊が伸びる。
しかし、そこに灰白の傷が走った。
灰白線喰いの追跡者。
現実の刃が、精神の白線を喰う。
白磁庭園ロードの支配線が切れる。
『なぜだ』
「お前が線を伸ばしたからだ」
余は答えた。
「余の迷宮へ何度も手を伸ばした。なら、その線は余の魔物が覚える」
『汚物が』
「その汚物に、今から喰われる」
白磁庭園ロードが最後の力を集めた。
コアが白く輝く。
余の存在を消そうとする。
存在ごと白磁化し、庭の一部にしようとする。
余は逃げなかった。
逃げれば消える。
なら、噛む。
「管理音声」
《はい》
「吸収権限を奪え」
《白磁庭園支配構造、崩壊寸前》
「フィルエ」
『見えてる。芯は右奥じゃない。下。白い玉座の下』
「追跡者」
灰白の刃が鳴る。
「そこを喰え」
刃が振られた。
白い玉座の下にある、最後の支配線。
それが切れた。
白磁庭園ロードの顔から、表情が消えた。
《白磁庭園コア、無防備化》
「では」
余は、白いコアへ牙を立てた。
「いただく」
白磁庭園が、砕けた。
《敵対ダンジョンコアの吸収を開始》
《白磁庭園コア、迷靄洞コアへ接続》
《支配権上書き》
《白磁庭園ロード、消滅》
《白磁庭園、迷靄洞支配下へ移行》
白い部屋が震えた。
いや、迷靄洞全体が震えた。
床下に新しい根が生える。
白い根だ。
だが、それはもう敵の根ではない。
迷靄洞の泥に沈み、灰を吸い、戻り水の流れを受け入れている。
白磁の回廊が、迷靄洞の奥に生成される。
白い床。
白い柱。
白磁花。
庭番人形の残骸。
折れた騎士の鎧。
噴水跡。
その全てが、迷靄洞の中へ沈んでいく。
吸収ではない。
占領でもない。
腹の中に収める。
《白磁庭園要素、全取得》
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取得可能要素:
・白磁庭園区画生成
・白磁床
・白磁回廊
・白磁花
・白磁根
・白磁噴水構造
・庭番人形
・白磁騎士
・白磁門
・白磁花粉罠
・庭園化構造
・偽庭園迷路
・白磁系罠
・白磁修復構造
・白磁装飾偽装
備考:
取得要素に制限なし。
迷靄洞支配下で運用可能。
白磁庭園ロードは消滅済み。
反抗権限なし。
⸻
「……本当に全部か」
《はい》
「デメリットは」
《現在確認されません》
「よし」
余は、深く息を吐いた。
勝った。
白磁庭園を喰った。
向こうから攻めてきた敵対迷宮を、逆にこちらから攻め、根を噛み、噴水を濁し、騎士を折り、ロードを消し、コアを吸収した。
もう迷靄洞は、ただの洞ではない。
霧。
灰。
泥。
戻り水。
影。
糸。
錆。
死体。
追跡。
そこに、白磁の庭が加わった。
《評価更新》
《迷靄洞はBランク上位相当へ到達》
《Aランク査定対象条件の一部を満たしました》
「Bランク昇格ではないな」
《はい。既にBランクです》
「分かっている。確認しただけだ」
《複合迷宮化により、名称更新候補が発生しています》
床に文字が浮かぶ。
⸻
旧名称:迷靄洞
新名称候補:霧灰白庭迷宮
⸻
余は、その文字を見た。
霧灰白庭迷宮。
霧と灰と白い庭。
今の余の腹に、ふさわしい名だった。
「採用する」
《名称更新》
《迷靄洞は、霧灰白庭迷宮へ改名されました》
白い部屋の壁が、わずかに変わった。
白いだけの部屋ではない。
薄い霧が流れ、灰が床に薄く積もり、壁際に白磁の花が咲く。
美しく、汚い。
整っていて、腐っている。
それが余の迷宮だ。
戦後処理は、地味で面倒だった。
死んだゴブリンの確認。
赤錆噛みの損耗。
白錆噛みの治療。
カゲヌイの影針再生成。
影縫い大蜘蛛の糸場の修復。
グズの泥核回復。
白磁庭園区画の生成位置確認。
庭番人形の再登録。
白磁騎士の生成コスト確認。
やることが多い。
「管理音声」
《はい》
「苔スライムとポフキノコを使っていれば、もっと白磁床の汚染が楽だったのではないか?」
《現在、実戦投入可能な群生数は存在しません》
「……なぜだ」
《ゴブリンが食べました》
「……」
余は、入口の方を見た。
ゴブリンどもが、勝利祝いのつもりなのか、白磁片を舐めていた。
「……あいつら、白磁庭園より先に余の生態系を攻略していないか?」
《否定できません》
「石を食うな! 白磁片も食うな! 腹を壊すぞ!」
ゴブリンどもは一斉にこちらを見た。
そして、三匹ほどが慌てて白磁片を口の中へ隠した。
「隠すな! 出せ!」
マネが余の声で叫んだ。
「ダセ!」
「お前も真似るな!」
白い部屋に、久しぶりに少しだけ間抜けな空気が流れた。
だが、それでも床下では、新しい迷宮が脈打っている。
霧灰白庭迷宮。
白磁庭園を喰った迷宮。
Bランク上位。
Aランク査定対象。
そして。
《ダンジョン新聞、号外を受信しました》
白い部屋の中央に、黒い紙面が浮かび上がる。
見出しは、大きかった。
⸻
号外
敵対ダンジョン《白磁庭園》消滅
新興Bランク迷宮、敵対コアを逆吸収
複合迷宮《霧灰白庭迷宮》誕生
冒険者ギルド、Aランク級調査隊派遣を検討中
⸻
「……来るか」
《高確率で来ます》
「Aランク冒険者か」
《はい》
余は、白磁の花が咲いた新しい回廊を見た。
勝ったばかりだ。
損耗も重い。
だが、次の餌が来る。
今度はダンジョンではない。
冒険者。
それも、Aランク。
余は笑った。
昔なら震えて叫んだだろう。
今も、まあ、少しは震えている。
だが、それ以上に思う。
白磁庭園を喰ったこの腹に、次はどんな獲物を落とせるのか。
「よい」
余は、霧と灰と白い庭の中心で告げた。
「来るなら、喰う」




