第一章……第壱話 『二年間の一日』
「もうすぐ、二年……」
一人、下弦の月が昇る夜空を眺めながら、色素の抜けた白髪と紅い瞳をした少年――レフィ=ルピスは過去に想いを馳せる。
ルピス村が滅び、その姿を失って早二年が経とうとしていた。
大雨の中で轟々と燃え盛る黒い炎は、今も尚瞼の裏に焼き付き、夢にまで出てくるのは珍しいことではなかった。
「レフィ、食事が出来ました」
背後から声を掛けられたレフィは、うん、と頷きながら振り返る。
二人で暮らすには少し小さく見える小屋から出てきた女性――レベッカ――は、この世離れした美しさをしていた。
腰にまで届く輝くような銀色の髪は流麗に、薄紫色のような瞳は透き通るような淡い色をしている。
かつて、ソルレント王国の王妃を女神様、その娘であるフィーナを天使を評したレフィだったが、その美しさはそれに比肩するどころか、超越しているように見えてしまうのは今、レフィが一番近くにいるからこその身内贔屓だけではないだろう。
小屋に入り、食事の前に並んで座る。
森に居る猪を狩り、その肉を焼いただけの簡単な肉料理。日によってはこれが魚だったり魔物だったりするが、どれもそれ程美味しくない。
とはいえ二年近くもそんな食事生活をしているレフィも、その前から食べ続けているレベッカももう慣れたもので、それを調味料もつけずに口へ運ぶ。
「…………」
無言の食事。
これはいつものことで、いつも食事終わりまで一言も喋ることは無い。
その筈だったのだが、
「レフィ」
食事途中、木で作った箸を止め、レベッカが声を掛けた。
「どうしたの?」
レフィからたまに話しかけることはあっても、レベッカからはこの二年間、初めてのこと。驚いてレフィの手も止まる。
「明日、街へ出ましょう」
「……一緒に?」
はい、と首肯する。
数は多くないが、稀にレベッカは街に出て世界の情勢を見て回る時がある。数ヶ月に一回、といったところだろうか。
だがいつもはレベッカ一人だ。レフィは二年前から、人のいる街や村へ出たことは無い。
「なんで急に」
「話したいことがあります」
「今じゃダメなの?」
無言。
表情の薄い顔からは、レベッカの感情は測れない。
けれど何も言わないのは、何か理由があってのことだということは、一緒に暮らしてきたレフィは分かった。
ただの気まぐれかもしれない、とも思ったがレフィは黙っておく。
「分かった」
ありがとうございます、と。
小さな声で言ったその声色には、普段には見えない感情の揺れが見え隠れしたような気がして、少し悪い予感がした。
その予感は気のせいだと、レフィは猪の肉と一緒に、それを飲み込んだ。
◇ ◆ ◇
翌日。
動きやすい私服に灰色のローブを着込んだレフィと、東洋に伝わる袴と呼ばれる着物を着込んだレベッカが居た。
昔……まだレフィが生まれるより何年、何十年も前に訪れた国で見つけたその着物を、レベッカは気に入ってずっと着続けている。
本当はお揃いにしようとレフィに着せようとした時もあったのだが、女性用しか持っていないし、着ても動き辛いということで却下されてしまったことをレベッカはまだ拗ねているのだが……閑話休題。
近くの街……といっても、普通に歩いて旅をしようとすれば一週間は掛かる道のりだ。それも、レフィ一人では苦戦するような強い魔物が蔓延る森の中を歩く。
しかし、そのような魔物が表れてもレベッカが一人で処理していく。
索敵能力も高く、レフィが気付くよりも数秒、数分早く気付く。
自分の得物である一本の槍を背中に背負ってはいるが、レフィがそれを取り出す機会は無さそうだ。
「レフィ。少し急ぎます」
「急ぐ? わっ!」
レベッカがそういうや否や、レフィを抱きかかえる。お姫様抱っこである。
「慣れないと酔ってしまうと思うので、眼を瞑ってください」
レベッカが詳しい説明をするのは何度も経験している。レフィは言われたとおりに眼を閉じた。
瞬間。
凄まじい風圧がレフィの体を襲い、ついレベッカの腕を強く掴んだ。
何をしているのかは、予想がつく。
移動しているのだ。
それも、レフィでは出来ない程の速度で。
一刻と少しが経っただろうか。
やっとその風圧が収まったことで、レフィはゆっくりと瞼を上げる。
「……街?」
「はい。着きました」
一週間は掛かるはずの道のりを、約二時間と少しである。
「だ、だからいつも日帰りで帰ってこれるんだね……」
「いつもはもう少し早く着きます。レフィもいたので、少しゆっくり走りました」
「そ、そう……」
レベッカの身体能力は知っているが、それでも慣れない。
行きましょう、とレベッカが歩き始めるのを見て、レフィもそれに続いた。
その街の名を、レフィは知らない。
そもそも、今居るこの場所がどの大陸の、どの国の、どの辺りに居るのかもレフィは分かっていない。
ルピス村が焼き滅びたあの日、三日ほど気を失っていたらしい。レベッカに連れられた森の奥からでは、それが世界のどの辺なのかは一切分からないのだ。
だが、それで良いと思っていた。
あのまま、森の中で一生を終えても良いと。
その街は、レフィにとっては大きな都市に見えるが、未だ記憶に新しいソルレント王国の王都リレフィアに比べれば一回りも二回りも小さく見える。
流石に大陸随一の王都と比べるのは少し酷なのかもしれないが……。
街の門番に一言二言話をすると、何も言わずレフィとレベッカを街へ通される。初めて見る顔だ、と訝し気に見られるが何も言われない。
「街には何をしに来たの?」
「…………」
「レベッカ?」
無視――というよりは、何を言おうか迷っている様子だった。
言葉を待っていると、
「……と……」
珍しく小さな声で、レベッカが零す。
「レフィと、街を歩きたかったので」
そんな一言に、レフィは眼を丸くし。
「僕も、そう思ってたよ」
そう、返した。
◇ ◆ ◇
街の中では、本当に基本的には歩くだけだった。
昼時の喧騒の中、無言で肩を並べる二人。少しだけレフィよりレベッカの方が身長が高いからか、恋人というよりは姉弟に見えるだろうか。
何も買わないにしても雑貨屋や薬屋を巡ったり、武具防具店を見てあれは良さそう、これは使いにくそう、それはこう使うのです、と言い合ったり。
装飾店や魔石店に入ったら、綺麗なものや似合いそうなものをお互いに探し合う。
周りには姉弟や冒険者仲間と見られていたかもしれないが、レフィとレベッカにとっては、紛れもなくデートだった。
「もうすっかり夜だね」
「はい。普段なら、もうすぐ眠る時間でしょうか」
「そうだね。レベッカが布団に潜り込んでくる頃だ」
そうけらけらと笑う。
最初は別の布団で眠っていたのに、気が付けばレベッカはレフィの布団に潜り込んできた。
レベッカにとっては、初めて感じる"人の温もり"だったということもあるのだが……それをレフィは知らない。
夕暮れ時を過ぎ、既に夜。
今日は新月だったらしく、いつも以上に暗闇が世界を覆っている。
そして。
レベッカは立ち止まる。
「レフィ」
うん? と。
レフィも数歩先で立ち止まり、振り返った。
「誕生日、おめでとうございます」
無表情。
無感情。
それはいつもと同じだったのに……いつもと違うのが、レフィには分かった。
感情を押し殺した顔…………レフィにはそう見えた。
「レベッカ……?」
「二年間。私の長い一生の中で、これほど濃密で満たされた日々はありませんでした。これから先も、きっとこの二年以上の日常は過ごせないでしょう」
なんだろう、この言い方は。
まるで――。
「ですが、お別れです。私は貴方に、罪を告白しなければなりません」
少しずつ、少しずつ。
レベッカが、魔力を込め始めているのを感じた。
それに追従するかのように、空には暗雲が垂れ込みはじめ、大粒の雨が降り始めた。
「レフィ」
大雨とも言えるような雨なのに、レベッカの言葉が心地良く耳朶に届く。
その大雨に、レフィの頭にフラッシュバックされる光景は、二年前のあの日。
レベッカの元に、雷が墜ちる。
視界が眩い光に照らされ、何も見えなくなる。
『貴方の村を襲ったのは、私です』
視界が開けた先。
いつものレベッカの姿は、そこには無く。
銀に輝く鱗と猛々しく神々しい翼を広げ、薄紫色の眼光でレフィを睨む、"竜"の姿が――――そこには、あった。




