序章……第伍話 『幼い英雄』
『僕はいつか、誰よりも強くて優しい"英雄"になるんだ!』
僕がまだ、そんな夢を捨てられずに居た頃。現実をまだ知らずに、将来の格好良い自分という姿を夢想していた時。何歳の頃だっただろうか……多分、七歳や八歳の頃だった筈だ。
そこらに落ちていた木の棒を、適当にぶんぶんと振り回す。僕よりもさらに幼い子供たちが、その姿に見惚れ、拍手が沸き起こる。それに気を良くした僕が、さらに動きを大きくしていく……父を含めた、周りの大人たちの生温かい視線が、少し痛い。
トドメだ、とでも言わんばかりに大回転をして、眼を廻しながらも木の棒を振り下ろす。拍手喝采だ。気分は英雄というよりも大舞台の主役か。僕を褒め称える声が止まない。
それを止めたのは、村長である父だった。
幼い僕の頭を荒々しく撫でた父は、僕に一つの籠を渡しながら言う。
「レフィ。いつもの、頼めるか?」
「うん、分かったよ」
いわゆる、お使いだ。お使いとは言っても、別に隣村や隣町まで出向く訳じゃない。そもそも、子供一人で歩いて辿り着く場所にそんなものは存在しない。
近くにある森まで出向いて、食べる事の出来る木の実や傷を癒す薬草を探してくるお使いだ。森の奥まで入らなければ魔物はいないし、万が一見つかっても小柄な僕なら隠れてやり過ごせる事を見越してのお使いだ。実際、このお使いは何度も行っている。
それでも危険な事には変わりのない事だが、この頃の僕は英雄になると信じて疑わなかった時期だ。寧ろ意気揚々と出向いていた。
童話にある赤ずきん宜しく、灰色の外套を身に纏い籠を背負った僕は、駆け足で森へ向かった。
森を散策して、一刻と少しが経った頃だろうか。
彼女は、居た。
木に寄り掛かり、ボーっと空を見上げている少女は、当時の僕よりもさらに年下に見えた。いや、少なくとも、外見年齢なら僕よりも年下だったのだ。五歳……とか、そのくらいだろうか。
不思議な女の子だった。
見た事も無い銀色という髪色。その頭頂部に、普通の人間にはある筈の無い耳が生えていた。毛に覆われた触り心地の良さそうなその耳は、犬や猫、狼の耳にも見えたが、あまり動物も見たことのなかった幼い僕に判別は出来なかった。
そして、ぺたりと座り込んだお尻からは、髪色と同じ銀色の一本の尻尾が生えている。
――獣人だ。
耳がぴくり、と動く。音か、匂いか。僕に気付いたようだ。
ほぼ無感情に近い瞳を、僕に向ける。
「……ぁ……」
今だから言うと、僕は見惚れた。絶対に居ない――とまでは断言しないけれど、珍しいとも言える綺麗な瞳の色をしていたからだ。
金色の瞳。
幼いながらも、早くも美しさを醸し出しているその少女に、僕は人生で初めて見惚れた。こんなに可愛い子も居るんだ、と。村の女の子たちには失礼極まりないが、それが正直な感想だった。
僅かに金色の瞳が見開く。尻尾が緊張したかのように固まった。
「だれ」
ただ一言、静かに告げる少女に、僕はやっと正気に戻った。
「あ、えっと、その……ぼくは、この近くにある村に住んでるんだ。木の実とかを探してて……その、君は……?」
「……? 知らない」
「知らない、って……」
不思議な雰囲気を持つ子だ、と改めて思った。少し距離があり、小さな声で話しているのに何故か心地良く耳に届く。出会って数分と経っていない筈なのに、一緒に居て心地良いと思えるのもまたそれに拍車を掛けている。
少女は立ち上がった。数え切れないほどの葉によって隠された空を見上げ、そして僕に背を向けた。
「あ、ち、ちょっと!」
制止も聞かず、少女は森の奥へ歩いて行ってしまう。それを追いかける事も出来ずに、幼い僕は首を傾げながら小さく息を吐いた。
「何なんだろう、あの子……」
◇ ◆ ◇
それからまた一刻程が経っただろうか。籠一杯……とは言わずともそこそこ木の実やキノコ、薬草の材料を集めることが出来た頃。子供の僕は余った時間を使って、魔術の練習をしていた。
勇者が使う魔術と言えば、火、という固定概念があった僕は、一所懸命に火属性の魔術ばかりを練習していた。不幸な事に、複数ある属性の中でも一番苦手な属性が火だという事に気付かぬまま、だ。
そもそもまだ魔術の概念を殆ど理解していない段階だと、本来ならば属性魔術よりもまず、自身の魔力を明確に感じる事が出来るように意識を集中した方が良いのだ。教師の居ない僕には分かりっこない事だが、やっている事は本当に無駄な事だった訳だ。
それを知って打ちひしがれるのは一年後、村に立ち寄った冒険者に教わった時だったりする。
「……はぁー」
何十回と試して、ほんのりと温かくなった、と感じられる程度にしか変化の無かった手の平を見つめ、僕は深く溜め息を溢した。思えば、才能無いのかな、と悔しさに唇を噛んだのはこの時が初めてだったかもしれない。
「……帰ろ」
籠を持って、帰宅路を歩く。遅くなると、魔物の動きが活発になってきてしまう。そう思って、僕は少し早歩きで森の中を歩いた。
――ぐるる、と喉を鳴らす音を聞いた。
僕は身体が固まるより先に、木の陰に隠れた。魔物に出くわしてしまったのだろうか、と冷や汗が頬を伝う。
音のした方向に視線を向けると、そこには二つの存在があった。一つは喉を鳴らした張本人である、一匹の狼だ。周りに他の狼が居ないのを見ると、はぐれ狼だろうか。
もう一つは、はぐれ狼より自分寄りにうつ伏せで倒れている銀髪の少女……先程の獣人だ。意識はあるようだけれど、狼の存在には気付いていないらしい。
というよりも、
(あ、あれは……)
少女の手には、一つの黄色い色をした果実が握られていた。その果実が何なのか、僕には分かっていた。
あれは、確かに食べればお腹も膨れる甘い食べ物だが、その実、食べれば数時間は身体を痺れさせてしまう毒持ちなのだ。少女はそれを食べてしまい、身体が痺れて動けないに違いない。
その状態の少女を、はぐれ狼が狙っている訳だ。
(助けなきゃ! でも、どうやって……)
そんなに時間は無い。幼い僕はふと、一つの妙案が浮かんだ。
僕は自分の持っていた籠から一つの青い木の実を取り出して、魔力を捻り出す。火は出せずとも、手の平と共に木の実を温めていく。
この青い木の実は、熱に弱い。それも極端にだ。夏季になればそもそも実が成る事はなく、春季という温かい時期でも取れる数は相当に減る。
この木の実の不思議なところは、冷やせば口の中で甘く広がるような果物に近い味を醸し出すが、熱を通せば表面はそのままに、実の中は溶け、生き物に対しては毒になるというところだ。だからこそ、食べる際には注意が必要なのだが――今は閑話休題。
澄んだ青い木の実が、数秒でくすんだ藍色になったところで、はぐれ狼に向かって思い切り投げた。
木の実は少女の身体を越え、はぐれ狼の目前で落ちた。
(お願い……食べて!)
ここからは運だ。食べればそれで終わり。食べなければ、また別の案を探すしかない。
はぐれ狼が、木の実の匂いを嗅いでいる。急に飛んできた木の実と、飛んできた先――要は僕の方を警戒している。
だがやがて、はぐれ狼はその木の実を鼻先で転がし、危険が無いかを探り始めた。表面上は何の変哲もない木の実だから、可能性は五分五分だろうか。
嗅ぐ。
転がす。
舐める。
そんな行動をざっと五回ほど。
そして……。
(食べたっ!)
賭けに勝った!
僕は小さくガッツポーズを浮かべた。はぐれ狼の喉を通っていく木の実。そしてその毒は、即効性がある。
苦しそうに喉を鳴らした狼は、ぐるるる、と唸ってからほんの数秒程でその場に倒れ、ぴくりとも動かなくなった。少し可哀想な気がするけれど、仕方がない。毒ではあるけれど、別に死んじゃう訳じゃないし……許して欲しい。
幼い僕は木の実の入った籠をそのままに、倒れている少女の元へと駆けた。
「だ、大丈夫っ!?」
「……だれ」
「ええっと……」
さっきと同じセリフ。僕が木の実を食べるかどうかの賭けをしている間に、狼には気付いたらしい。
なんて説明したら良いだろうか、と悩む。先程顔を合わせたとはいえ一瞬だったし、名前を出した訳でもない。
だが、それに頭を悩ましたのは三秒とない。すぐにそんな場合じゃないと頭を振った僕は、少女の手に持った黄色い果実を投げ捨て、慣れない動作で少女の身体を背負った。
完全に脱力していると言っても良い少女の身体は、まだ子供の僕には酷く重かったけれど、そんな事は関係ない。助けないと、という気持ちしかなかったのを憶えている。
「なん、で……」
村まで普通に歩いて一刻程。少女を背負った状態でゆっくり行けば、もしかすると夕刻を越え、月が昇って来てしまうかもしれない。これはお父さんやお母さんから怒られちゃうな、と辟易しながら歩いていると、背中で少女がか細い声で呟いた。
それこそ、耳元でなければ聞き取れないほどの声量だった。
「なんで、って……何が?」
「どうして、助けるの」
疑問符すらない言葉に、僕は首を傾げた。一体何を言っているんだろう、この子は。
「ボクは……捨てられた子、なのに」
「捨てられた?」
幼い僕はまだ、捨てられた、という言葉の意味が分からなかった。いや、意味は分かっても、“人を捨てる”という行為をまだ理解していなかった。
だからこそ、僕は無神経にも、彼女の言葉を反芻した。
「要らない子だ、って……生きてる価値、ない、って」
僕はきっと、幸せ者だった。少なくとも今、彼女の言葉を理解出来ないくらいには。
けれどだからこそ、だろうか。
僕は彼女の言葉に怒りを覚えたし、頭の中が真っ赤になって行くのが分かった。
「そんな事無い!」
「っ……」
僕は歩みを止めて、一度彼女を下ろした。少女の肩に手を置き、今は表情の見える金色の瞳を、真っ直ぐに見据えた。
"価値"って何? 要らない子という言葉こそ、存在する"価値"が無い。どこまでも幸せ者の幼い僕は子供故に、無知故に、純粋な想いを言葉に乗せる。
「きっと生まれて来た事には、なにか意味があるんだよ! 要らない子なんていない! 僕が生まれていたから、君を助ける事が出来たように! 違う!?」
「…………」
「人の価値ってさ、例えそれが誰だったとしても、他人が決める事じゃないんだよ。それは必死に、一生懸命生きながら、自分で見つけて行くものなんだ」
今思うと、まだ一桁の子供が、さらに年下子供に言うような言葉ではなかったのかもしれない。
これは昨日呼んだ英雄譚を綴った書物から拝借した言葉だが、子供ながらに、僕はその一説に心を奪われたのだ。詳しい意味は正直殆ど判らなかったけれど、それでも心を動かす程、気持ちの篭った言葉だと思った。
そう、僕は――――、
「僕は、英雄になる!」
――――彼女にとって、唯一無二の存在になる。
「えい、ゆう……?」
「そうさ! ばったばったと悪者を倒して、弱い人たちを助ける! 僕はその為に生まれて来たんだから! …………それに、さ」
眼に輝きが灯ってきた彼女の真っ直ぐな瞳が、幼い僕を見つめる。
瞳が生気を取り戻した途端、妙に気恥ずかしくなってしまった。名前も知らない少女に、自信満々に何を言っているんだろう。夢でも見ているかのように幼い自分を見つめている僕は、若いって素晴らしい、と少し現実逃避してしまう。
だが、言い掛けた言葉を呑み込むようなことはしない。
子供の僕は彼女をもう一度背負い直す。赤くなった顔を隠すような行動は、今思うと、彼女にはバレてしまっていたのかもしれない。
でも。
「例え英雄じゃなくても、困ってる人は、理由なんてなくても助けたくなるもんだよ」
僕の肩が、彼女から伝う何かで濡れ始めたのは、その直後だった。
それが、出会い。
僕と彼女が、血の繋がらない兄妹となった、特別な日。
狐の獣人である、名前すらない彼女に、シア、と名付けたのは兄である僕だった。




