序章……第弐話 『王都リレフィア』
ソルレント王国、中央都市リレフィア。
大陸のほぼ中心に位置するこの都市は、一日で廻るには広過ぎる。門を抜けて真っ直ぐ見上げれば、悠然と佇む王城が聳え立ち、左を向けば負けず劣らずに巨大な闘技場。右にはリレフィアの三分の一の敷地は占領しているだろう学園が。それ以外は住宅街と売買街などを含めた城下町。そして少し裏に回れば遊郭街だ。
一体村の何個分なのだろうか……と咄嗟に考えてしまうが、比べるのが馬鹿馬鹿しい。月とスッポン、雲泥の差、などという言葉があるが、まさにその通りだと思う。比較になる筈がない。
村を出たことがない僕は、それを呆然と眺めるしかない。
僕にとってはとても長い旅路を終えたということもあってか、この感動も一入である。
凄い、の一言も言えない。
言葉が出ない。信じられない物を見た様子で、ただただ広大な城下町と巨大な王城を見上げるのみだ。
「何呆けてんのよ、レフィ」
僕の名前を呼ぶ赤髪灰眼の女性の声で我に帰る。ただいま、僕。
この女性、名前をレイラ=フィン・アスリルと言うらしい。盗賊襲撃後の会話をして以来、生まれたばかりの雛が僕に刷り込みされたかのように懐き、良く会話する間柄になった。……いやまぁ、冗談だけどね。それなりに仲良くなったとは思う。
何にせよ、それ以前の会話どころか目も合わせなかった時間が嘘だったかのように錯覚するくらいには良く話していたし、お手洗いや身体を拭いている時以外は大体一緒に居た。馬車の中という事で、離れられる時間が少なかったのもある。
「……どこ見てんのよ。エッチ」
「え、あ、いや、すみません。そういうつもりは無かったんですけど」
「それって、あたしには魅力が無いって事なのかしら」
「ち、違います! レイラさんは魅力的ですよ、凄く。僕が今まで見てきた中でも一番綺麗です」
「そ、そう……真正面から言われると逆に照れるわね」
ありがと、と顔を赤くしたレイラさんが小さく言う。確かに恥ずかしいし、僕の顔も少し火照っているような気がするけど、それでもこれは本音だ。
ちなみに、妹も同じくらい可愛い。兄馬鹿かな?
尤も、僕が今まで出会った女性は村の人間と、たまに来る行商人の女性だけだ。そんなに数が多い訳じゃないけど……嘘は吐いてない。
「おい、なぁに乳繰り合ってんだ。早く行くぞ」
「ち、乳繰り合ってなんかないわよ!」
ジーガスさんに急かされ、レイラさんが抗議しながら後ろに着いていく。僕はさらにその後ろ。向かう先は出店の並ぶ中央街道を突き抜け、その先にある巨大で且つ美しく、そして神々しさの誇る王城だ。訪れるのは、村長になり、招集が起こった時の数年後だと思っていた場所。自然と緊張で身体が固まるのを感じる。
しっかりと考えていなかったけれど、もしも国王様や王妃様、王子様や姫様、王侯貴族などと言った高貴な方々に粗相をしてしまったら、僕の村はどうなってしまうんだろうか。地図上だけではなく、ソルレント王国辺境領ルピス、という名前も失ってしまうのだろうか。十四のガキがした事、と笑って済ませてくれないだろうか……。
いや。
僕は村の代表者なのだ。それに関して、年齢も性別も関係ないのだから。
「さっきから何考えてるの?」
一人で険しい顔をして気を引き締めていると、隣を歩きながら出店を眺めていたレイラさんが僕の方に向き直って訪ねてきた。
良く見たら、輪状の形をした食べ物が三つ連なり、一本の串に貫かれた謎の食べ物をその手に持っていた。始めて見るものだ。少なくとも、ルピス村にはない。
「いえ、ちょっと……」
言葉を濁す。幾ら仲良くなったレイラさんとは言え、彼女は美しい年上の女性で、僕は未成年とは言え一人の男児。不安になっている、なんて格好悪いところは見せたくはない。僕はこう見えても見栄っ張りなんだ。
僕がそういうと、そう? とレイラさんは引き下がった。勿論、多少の疑念は残ったままだろうが、深く追求するつもりは無さそうだ。こちらとしても、それは有難い。
……まあ色々悩んでしまうのは僕の悪い癖だ。要は、粗相を働かなければ良い。それだけの事なのだから。田舎の子供とはいえ、それなりに礼儀礼節は弁えているつもりだ。
城下町を抜けると、城まであっという間だった。目の前にまで来ると、流石に圧巻の一言だ。一ヶ月の旅をして、盗賊の襲撃を受けるという出来事があったというのに、未だに夢でも見ているかのような感じ。
祖父や父、祖母や母は、何度かこの都市まで来た事があったらしいが、詳しい話はしてくれなかった。父や母は、どうやらその喧騒や空気が自分に合わなかったらしい。今まで田舎も田舎、辺境の地で暮らしていたのだからそれも致し方無いように思える。
一方で僕は、未だに現実味が無いのか、合う合わないという問題にすら行き着いていない。きょろきょろと物珍しげに辺りを見渡す僕は、さぞや滑稽に映った事だろう。
「港湾都市アスリル代表者、レイラ=フィン・アスリルとルピス村代表者、レフィ=ルピスだ、確認を頼む」
城門の前に来て、ジーガスさんは門番をしていた二人の騎士に話し掛けた。レイラさんの性にあるアスリルで薄々気付いていたが、やはりレイラさんは港湾都市の出だったらしい。
特別近くはない距離なのだが、リレフィアからルピス村に来る場合、アスリルは少し道をずらせば行ける場所にある。だからこそ、僕たちは同時に運ばれることになったのだろう。どちらかと言えば、ルピス村の僕の方がオマケなのだろうが。
ちなみに、大小四つの村も通ってきたらしいが、ルピス村を襲ったものよりも大きな魔物の軍勢に襲われ、その対応で招集を拒否したらしい。緊急事態ということで、特例としてそれが許されている。
さて。港湾都市、と銘打っているだけあって、アスリルは海と面している。ソルレント王国の中でも魚介類の収集は一番であり、尚且つ国一番の港としても機能している為、かなり重要な街だ。ルピス村とは違う。
……いや、ここで卑下してどうするんだ、僕は。平和に過ごせればそれで万々歳なのだから、何も文句はない。
「確認出来ました。お帰りなさいませ、ジーガス第二団長及び団員様方。良くぞいらっしゃいました、アスリル様。ルピス様」
「ああ」
そうこう考えているうちに、どうやら確認を終えたらしい。護衛してくれていたジーガスさんと騎士の後を追うように、僕たちは城の中へ入っていく。
中央の階段へと続く赤いカーペットが、まず第一に眼を引いた。一ヶ月も旅をしてきた汚い靴で歩いて良いのだろうか、と不安になってしまうが、レイラさんやジーガスさんは気にしていないようなので、僕もその心を押し殺す。
階段を上った先にあったのは、二枚の肖像画だ。金髪の男女。どちらも非常に美しく、美男美女という言葉がこんなに相応しい二人は他に居るのだろうか。もしかして、この二人は現国王様と王妃様なのだろうか。
……と思ったが、良く見たら肖像画の下に初代国王サント、初代王妃ルナリ、と書いてあった。
僕は感動しているというのに、隣で歩くレイラさんを見てみると、特に変わった様子は無くすたすたと歩いていた。レイラさんの神経が図太いのか、それとも僕が田舎者なのか。余り考えたくなかったのでそこで思考を遮断する。
「本当ならば、このまま一度陛下に会ってもらう予定だったのだが、アイツは多忙でな。まずは王妃様に会って貰う」
国王陛下をアイツ呼ばわりとは……ジーガスさんって、思っていたよりも大物なのだろうか。僕がそんな事言った日には、打ち首にされる前に緊張に押しつぶされて終了だ。一発ノックアウト。南無。
しかし、王妃様……いくらそれぞれの都市の代表として来ているとしても、そんなすぐ会えるものなのだろうか。国の財政を支えているレイラさんはともかく……。
「何、緊張してるの?」
「そりゃ、そうだよ……だって王妃様だよ? レイラさんは大丈夫なの?」
「ええ。元々、緊張とかには強い方なのよ」
僕からしたら、それはもう強いとかの次元じゃない。羨ましい限りだ。小心者の僕は、背中に嫌な汗を掻きまくりだというのに。
そうこう話している内に、ジーガスさんが一枚の扉の前で立ち止まった。僕の二倍はありそうな巨大な扉だ。
「ジーガス団長。自分たちはこれで」
「ああ」
名も顔も知らぬ数人の騎士が去って行く。ここから先はジーガスさんとレイラさんと僕の三人だけらしい。少しだけ心細い。
ジーガスさんが三度、扉にノックをする。数秒の後、どうぞ、という鈴の音色のような透き通った声が聴こえてきた。耳から脳へ心地良い響きをする綺麗な声だ。この声の主が王妃様だろうか。
ジーガスさんが扉を開く。
「……ぁ……」
半開きの口から、空気が漏れた。そこに居たのは、女神だった。
長い金髪はそのまま背中まで流麗し、蒼い水晶が埋め込まれた銀色のティアラと強くマッチしている。その水晶以上に透き通った蒼い瞳はまるで雲一つない綺麗な空のようで、どこまでも吸い込まれてしまいそうだ。
神自らが創り出したと思えるような顔の造形は完璧なまでに揃っており、一つ微笑みを浮かべれば、老若男女問わず魅了し、虜にしてしまうだろう。根拠は無くとも、何故か確信に似た思いを持ってしまうのも、彼女のある種の才能なのだろうか。
あまりの美しさに、生唾を呑み込んだ。
「ちょっと、レフィ」
「ぁ……」
隣に立つレイラさんに肘で軽く小突かれ、僕は我に返った。どれくらいそうしていたのだろうか。気付くと、ジーガスさんが苦笑し、レイラさんはどこか呆れたような表情をしていて、女神……もとい。王妃様は困ったように眉を下げていた。
うぅ……恥ずかしい。レイラさんやジーガスさんだけではなく、本人である王妃様にさえ見惚れていたことを気付かれていたとは。顔が熱くなるのを感じる。
「ま、恥じる事はねぇよ、坊主。初めて会った奴は、大体そんな反応するもんだ。特に男はな」
「あら。その言い方だと、まるで魔物のようじゃない?」
「強ち間違ってねえだろ、腹黒女」
な、なんて言い草なんだろう。陛下をアイツ呼ばわりした時から思っていたけれど、昔からの知り合いなのだろうか? いや、知り合いだったとしても、相手は王妃様だし……。
僕が内心で頭を抱えていると、王妃様は椅子から立ち上がり、流れるような動作で頭を下げた。一挙手一投足が絵になる女性だ。本当は物語の人物で、何らかの魔法や呪いでこの世界に舞い降りた、と言われても信じてしまいそうな。
レイラさんのジト目が続く。惚けるのもこれくらいにしておかないと、近い内に手が出て来そうだ。
「お、お初にお目に掛かります、王妃陛下。ルピス村次期領主、レフィ=ルピスと申します」
「同じく港湾都市アスリル次期領主候補、レイラ=フィン・アスリルです」
領主候補……やっぱりそうだったらしい。ところで、他にもその候補が居るのだろうか。ルピス村のような辺境ならともかく、アスリルのような大きな都市は男性が領主になる事が多い。他に子供が居ないのか、それとも何らかの理由があるのか。
それはともかくとして、レイラさんは頭を下げた後、口を開く様子はない。領地が広い人間の方が実質的な地位は高い訳だし、レイラさんが何か言うべきなのではないだろうか。それともそれは僕の思い違いなのか……。
何にせよ、僕は短い静寂を破るべく、口を開いた。
「今日は、勇者召喚の儀式を行う決意をしたという事で我らをお呼び頂き、誠に感謝致します。それを――」
「良いわ、そういう堅苦しいの、余り好きじゃないの」
僕の言葉を遮って、王妃様は嘆息気味に言った。隣ではジーガスさんが肩を竦めている。どうやら堅苦しいのが嫌いなのは本当のようだ。しかもこの様子だと、かなり前からそうらしい。
僕としても、こういうのは得意じゃない。何せ今まで小さな村の中で生活してきて、偉い人間と関わる事など無かったのだから。
「それに、娘と同じくらいの子に頭を下げられると、どうも調子が狂っちゃうのよ」
王妃様の娘、というと、お姫様というやつか。今まで読んで来た本のイメージから、お姫様はイコール我が侭な女の子、という固定観念がある。払拭しないととは思うのだけれど、どうも上手く行かない。
数日間はこのお城に寝泊まりする以上、お姫様とは会う可能性があるのだから、失礼のないようにしなければ。イメージ通りだろうと、違っていたとしても。
「貴方たち、今、何歳?」
「私は十七になります」
「自分は、約一ヶ月後に十五になり、成人します」
正確には一ヶ月と少し。予定では、誕生日は村で過ごせそうだ。勿論、天候や盗賊の強襲などといった事態で長引く可能性はあるだろうけれど。予定通りに進む事を願う。
僕たちの答えを聞いた王妃様は、まあ! と両の手を合わせた。手の平同士が小気味良い音を立てる。
「もうすぐ成人なのね! 若いって良いわね……思い出すわ。私の成人した日の事」
「ああ……お前が酒に酔って暴れたあの日か」
「あら、そうだったかしら」
「思い出したんじゃねぇのかよ」
やはり、二人は昔からの顔馴染みだったらしい。もしかして、同い年だったりするのだろうか。ジーガスさんの見た目は四十代……若しくは三十代後半で、王妃様はどう見ても二十代にしか見えないが。
……考えるのは止めておこう。女性は怖い生き物だ、と父も口を酸っぱくして言っていたのを思い出す。もしかしたら、この事を言っていたのかもしれない。
「なら、ルピス君はフィーナと二つ違いなのね」
フィーナ……何番目かは判らないが、お姫様…………王女殿下の事だろう。とすると、殿下は十六歳なのだろうか。それとも、僕が成人した後の話だとして、十七歳なのか。王族と関わる事なんて早々無い筈だから、あまり関係は無いか。今回が特別なだけなのだから。
「もし娘と会ったら、お兄さんお姉さんとして、宜しくしてあげてね」
年下だったらしい。十二か十三か。
良く考えたらもし十六か十七だったら、僕じゃなくレイラさんの名前を挙げてたか。
お兄さんとして、の前に大前提として僕は唯のちっぽけな村人であり、相手は王族の女性だ。そう言った上からの対応は難しいだろう。だからと行って王妃様の言葉を否定する事も出来ずに、僕は曖昧に頷いておいた。一方で隣のレイラさんは、勿論です、と自信ありげに頭を下げている。尊敬。
それから、世間話程度に挨拶を交わし、僕とレイラさんは部屋を出た。ジーガスさんは話す事があるそうで、王妃様と部屋に残っている。
部屋を出て、僕は真っ先に巨大な溜め息を溢した。こんなに緊張したのは初めてだ。
「そんなになるなんて、まだまだね、レフィ」
「普通はこうなりますよ。レイラさんがへ……凄いんです」
変なんです、と正直に言ってしまいそうになったのを押しのけて、僕は感想を述べる。事実、僕には真似の出来なかったことだ。見習いたいものである。
当たり前よ、とでも言うように胸を張るレイラさんを見て、僕は再び尊敬の念を込めた視線を送った。
――それから、時が経つのは早かった。緊張で記憶が曖昧だが、早々に五日ほどが経過し、勇者召喚の儀が行われる日がやって来た。




