第一章3 『 涙をこらえるな』
一人の兵士が、円香の前に立つ女性へと近づいた。
「ニヴァ様」
彼女は警戒した様子で応じる。
「ん? 何だ」
兵士は近づき、巻物のような物を差し出した。ニヴァはそれを広げた瞬間、顔色を変えた。
「くそ……ラリアン、来い!」
「はい」
五十代ほどの男がニヴァの元へ歩み寄る。彼女は巻物を手渡す。
「これをプリンセスに届けろ。後処理はするな」
「承知しました」
その直後、男は瞬時に姿を消した。
「さて……次はお前だ、顔だけのクズ。王の裁きを受けに来い」
兵士たちが小声でざわつく。
『どうやって俺の居場所を……』
円香には理解できなかった。
だが今は、それどころではない。
「た、頼む……どうしてこうなったのか分からない……許してくれ……」
しかしニヴァは最後まで聞かず、円香の頭を踏みつけた。
「この小汚いクズが、命乞いか?」
「足をどけろ」
円香の声は揺れない。
「何だと?」
「足を……どけろ」
ニヴァはさらに力を込める。
「どけなかったらどうする?」
上からの圧力は鉄のように重い。息が詰まる。
『……重い』
「どけなければ、お前を殺す」
兵士たちは笑った。
しかしニヴァだけは笑わない。むしろ警戒している。
「静かにしろ!」
兵士たちは黙る。
「私に逆らったこと、後悔させてやる」
「閣下! プリンセスからの呼び出しです!!」
ニヴァが背を向けた瞬間、円香は一気に跳び上がった。
拘束していたものが脚にぶら下がったまま揺れる。
地面の穴から悲鳴が上がる。
どうやら地下で掴んでいた者の腕ごと引きちぎったらしい。
ニヴァは風を受けて振り返る。
円香が上空へ逃げたのを見て、顔を上げた。
「追え!!」
『この世界は何だ……魔法か?』
円香は空を飛びながら考える。
しばらく進んだ後、見えない壁に激突した。
「ぐっ……」
『壁……いや、結界か……』
「いたぞ!!」
下から声が上がる。
まだ追ってくる。
『戦うしかないのか……死にたくない……』
円香は一瞬、視線を落とした。
『そうだ……学校の制服だ……しかも血だらけだ……この世界でも“あの能力”は発動するのか……?』
次の瞬間だった。
発動した。
白いスーパーヒーローのような衣装が、円香の体にぴったりと密着するように現れる。背中には長い白いマントが広がり、胸には黄色の文字で「MC」が刻まれた。
「これでいい……」
安心したのも束の間だった。
無数の魔法弾が、雨のように円香へと降り注ぐ。
「くそっ!」
最初の一撃は回避した。だが数が違いすぎる。
「次はお前らだ! 飛翔ペガサス隊!!」
円香は空中にいた。そこが有利だと思っていた。
だが、騎乗した女たちも同時に空へと舞い上がる。
「かわいいな……」
「ブリアンナ、今はそういうこと言ってる場合じゃない!」
「す、すみません!」
「攻撃開始!」
ペガサスが一斉に円香へと突進する。
圧力がさらに増していく。
『俺が……押さえつけられてる……』
『獲物みたいに……肉みたいに……捕まえられてる……』
『どうすればいい……どうすれば……!』
円香は急降下し、次の攻撃を回避した。
「ちっ……どれだけいるんだよ!」
周囲を確認する。
前にはペガサス騎兵、後ろには見えない障壁、下にはすでに包囲を形成する兵士たち。
一人の騎兵が手を上げる。
「対象固定。圧力制御を実行」
「了解!」
ペガサスたちが一斉に体勢を変えた。
次の瞬間、空気が圧縮される。
「……圧力だと!?」
体が一気に地面へ引き戻されるような感覚。
重力そのものが増したようだった。
「くそっ、魔法か……」
歯を食いしばる。
『このままじゃ地面に押し潰される……』
一撃の魔法弾が直撃する。
「ぐっ……!」
元々の圧力に加えての衝撃。円香の意識が揺らぐ。
『魔法……こんなに痛いのか……』
視界が霞む。
そのまま意識を失い、地面へ落下していく。
だがその瞬間、一人の騎乗兵が円香を抱えた。
「間に合った!」
「ブリアンナ、何をしている!」
「す、すみません隊長……もう彼は危険じゃありません、気絶しています……」
「見れば分かる。だがなぜ捕まえた?」
「……」
ペガサスが小さく鼻を鳴らす。
「仕方ない。降ろしてニヴァ様に引き渡せ。あとは向こうの仕事だ」
「はい……」
ペガサスが地面に降り、ブリアンナは飛び降りた。
円香は気を失ったまま横たわっている。
そこへ兵士たちが近づく。
「やっと捕まえたか、この飛ぶクズが」
「ははっ」
「その言い方はやめてください。それはあなた方の仕事ではありません」
「何だと? 身の程をわきまえろ、ペガサス乗りが。じゃないと……お前を俺の騎乗にしてやるぞ」
「はははは!」
ブリアンナは俯いた。
『……』
ペガサスが低く唸る。
「何の騒ぎだ」
空気が一瞬で変わる。
「ニヴァ様! ご苦労様です!!」
兵士たちが直立する。
「解散しろ」
冷たい声だった。
兵士たちはすぐに散る。
「すまないな。最近こいつらがだらしなくてね」
「い、いえ……」
「こいつが例の逃亡者か」
「はい、引き渡すよう命令されました」
「分かった。引き取る」
「拘束して馬車へ運べ」
「はっ!」
円香は運び込まれる。
「持ち場に戻れ。門の監視を続けろ」
ニヴァはブリアンナを見る。
「助かった。ブリアンナと言ったな」
「は、はい!」
「失礼する」
ニヴァは馬車へ向かう。
「ニヴァ様!」
ブリアンナの声が止める。
「……?」
「ど、どうか……彼に優しくしてください……」
ニヴァは少しだけ目を細める。
「それは私の判断ではない」
そしてそのまま歩き去った。
ブリアンナはしばらくその背中を見送っていた。
「ブリアンナ、行くぞ!」
「はい!」
再びペガサスへ飛び乗る。
その頃。
円香は鉄の拘束具で目を覚ました。
石の壁、鉄格子。
牢獄のような場所。
『捕まったか……?』
「なぜだ……なぜ俺は戦わなかった……」
頭を抱える。
「いや……俺は……」
『スーパーヒーローだ』
『こんな鉄や壁で止められるわけがない』
『奴らは俺を見誤った』
円香は力を込める。
拘束具が砕け散った。
「出るしかないな……」
壁へ向かう。
拳を振り抜く。
石壁が崩れ、光が差し込む。
『外だ……』
そのまま空へ飛び、円香は姿を消した。




