十話
「‥‥‥これで表面的な返り血は落ちました。服で隠した汚れは途中の泉で綺麗にして下さい」
「分かりました」
ルイスさんの待つ馬車へ戻って最初に、着替えつつ手持ちの水で血を洗い流した。これである程度の気持ち悪さを拭う。
「にしても一人で暗殺部隊と対峙するとは、とんだ蛮勇ですな」
「うっ」
呆れの混じった言葉はお叱りだろう。確かにルイスさんを頼ればもっと楽に戦えたし、背中を刺されることもなかったかもしれない。ノア様の目に付かない場所で戦いたかったという理由はあるが、自分勝手な判断で間違いないため、甘んじて受け入れる。
「撃退したことは賞賛に値しますが、独断での戦闘は今後お控え下さい」
「すみません‥‥‥」
生きていたから良しということだろうか、場所が悪ければ死んでいた割には軽い注意で済んだ。勿論反省はする。
「さて、取り敢えず今日のところはもう寝るべきですな。夜も遅いですし、何より疲れたでしょう?」
「まあ‥‥‥思ったよりかは元気ですけど」
「まだ体が冷めてないからでしょうな。少し動かなければ眠くなりますから、荷台で横になりましょう」
「はい」
自分が思っているより疲れていることは良くある話だ。特に何かすることがある訳でも無いので、言われた通りにする。
荷台の中は既にランプが点いていて、先着が一名、ノア様が荷物に囲まれながら奥の隅っこで膝を抱えて座っていた。
「あ‥‥‥」
「何もしませんよ。休むだけです」
目が合ったと思うと身構えられたので、目的を伝えて少し離れたところに座る。彼女自身まだ頭を整理しているところだとしても、そんなに怖がられるとは考えてもいなかったので、ちょっと傷付いた。
「ご、ごめんなさい。えと‥‥‥邪魔でしょうか?」
「?、別に」
「そ、そうですか‥‥‥」
「‥‥‥」
微妙に会話が続かず、何とも言えない沈黙が流れる。必要最低限しか答えないせいである。
というのも、さっきから何か言いたそうな雰囲気をノア様から感じるので、妨げないために多くを語らないようにしている。この沈黙の間も気にせず休んでるように演じて、横目でノア様が自ら話し始めるのを見守っている。
「‥‥‥‥‥‥あ、あの‥‥‥その‥‥‥」
「ゆっくりで良いですよ。しばらく暇なので」
元々引っ込んだ性格なのだろう。上手く言葉が出ない彼女に、焦らないよう促して待つ。
「は、はい‥‥‥。えっと‥‥‥た、助けていただき‥‥‥あ、ありがとうございます。何か恩返し出来ればと、思ったんですが‥‥‥」
ノア様はそう言うが、続きが出てこないあたりから分かる通り、返せるものなど無いだろう。
「そんなこと考えなくていいですよ。お礼が欲しくてやった訳でもないですし」
お返し目的なら命を賭け過ぎて割に合わないし、そもそもそんな打算的な考えで人助けするのは気分が悪い。ただ単純に助けたいから助けたに過ぎないのだから、返礼など要らない。
「そ、そう言われましても、おんぶに抱っこは良くないと言うか‥‥‥」
「ノア様は守られる側ですから、それで良いんですよ。特に子供の内は」
女性や子供は守られるべき存在なんてのは、農民にも浸透しているくらいには絶対的な世の中の常識だ。だから自分がノア様を守るのだって普通のことで、礼を受けるようなことじゃない。
「で、でも‥‥‥恩義を感じたなら報いなさいって、お父様に言われていますし‥‥‥」
(‥‥‥強情だなぁ)
引っ込み思案で押し切られる性格だと思っていたが、頑なに譲らない側面もあるらしい。このまま要らないで通しても平行線なので、言い方を変える必要がありそうだ。
「そうですねえ‥‥‥じゃあいつか返せるようになったら、気持ちの分だけ返して下さい。今は必要ありません」
先延ばしにして、時間に全てを消し去ってもらうことにした。子供の会話だし、大人になった頃には忘れているだろう。
「わ、分かりました!絶対返します!」
こちらの思惑などいざ知らず、ノア様は声を張って何度も頷いた。ここまで純粋に恩を返そうとされると、なんだか騙しているようで申し訳無くなってきた。
(‥‥‥まあ、少しは元気になったかな?)
意気込んでいるノア様の顔色は、最初に会話した時から随分良くなった。不安定な中で、気持ちが下向いてばかりにならないのは、彼女の精神的にも良いことだ。
(‥‥‥疲れが出てきたな。寝よう)
体温が下がってきて、誤魔化されてきた疲労が押し寄せる。あっという間に睡魔が身体中を支配し、気付いた時には意識が飛んでいた。
◇
「‥‥‥んぐ、うーん‥‥‥」
道端の石にでも引っ掛かったのか、荷台が大きく揺れてその拍子に目を覚ました。夜も明けたようで、隙間明かりが幌の中を僅かに照らしている。そして首より下には誰が掛けたのか、一枚の毛布が全身を覆っていた。
(なんか‥‥‥左に嫌な予感が‥‥‥)
目が覚めた瞬間からずっと、毛布とは別で左半身が妙に温かく、左耳にくすぐったい微風が吹いている。そこにいるであろう存在にぶつからないようゆっくり頭を左に向けると、淡い金髪の少女がこちらを向いて、心地良さそうに寝息を立てている。
異性の認識が薄い幼少期と違って、十二にもなると意識するものがあり、この状況はとても恥ずかしい。
(どうしたものか‥‥‥)
なんとかしてこの状況を脱したいところだが、少しでも動くと起こしてしまいそうで動けない。そうして途方に暮れている内に、またも荷台が大きく揺れた。
「ん‥‥‥んぅ‥‥‥」
結局離れることは出来ないまま、ノア様は寝言を立てながらまぶたを細目程度に開いた。寝起きは弱いのか目が合ってもぼんやりとしていて、もうしばらくは離れそうにない。
「‥‥‥朝ですよ。起きて下さい」
「ふぇ‥‥‥へ‥‥‥?」
このまま完全に起きるのを待っていても居心地が悪いだけだったので、恥も承知で肩を揺さぶりながらの呼び掛けを敢行した。
すると寝ぼけていたノア様も強い刺激に目を覚まし、淡くもはっきりとした赤色の瞳と今度こそはっきり目が合う。そこでようやく、自分が人と寝床を共有していることを把握したのか、薄暗い中でも分かるくらい顔を真っ赤にして毛布の中に隠れた。
「ご、ごめんなさい!毛布が一枚しか無くて‥‥‥」
「別に気にしてないですよ。それより腕を‥‥‥」
「あっ、ごめんなさいごめんなさい!」
目覚めたのになぜ追加で腕を抱きしめられたのかと思ったが、共寝の方に思考が行き過ぎて気付いてなかったようだ。それが余程恥ずかしかったのか、ノア様は大慌てで腕を解き、そのまま対岸の方でうずくまってしまった。
(‥‥‥取り敢えず、もうちょっと光を入れよう)
恥をかかせるつもりはなかったので申し訳無く感じながらも、自由になったので出入り口の垂れ幕を上げに行く。こうも室内が暗いと憂鬱な気分になるものだ。
開け放たれた外の世界を見渡す。上空は一面青の快晴で、陽の光とたまに吹く風が心地良い。周囲に広がる森は茂っているが、木漏れ日と春風が鬱蒼とした印象を吹き飛ばしてくれる。
「あの‥‥‥今は中立都市のレニーに向かっているのですよね?」
「そうですが、それがどうかしましたか?」
「いえ、その‥‥‥少し、これからのことが気になってしまって‥‥‥」
ノア様は影のある表情で呟いた。言葉は濁しているが、先行きが不安なのだろう。
(まあ、当たり前だよな)
気付いたら街から連れ出された状態で親の死を告げられ、居場所を失っているのだ。不安にならない訳がない。その不安を払拭するのは、連れ去った側の責任だ。
「身の安全は保障します。何かを強制することもありませんし、自由な生活が出来ると思いますよ」
「そう‥‥‥ですか」
安心させようと言葉を並べても、ノア様の顔色はあまり上向かない。不安を完全に拭うのはそう簡単じゃないということだろう。
「あの、本当に自由なのですか?例えば私が‥‥‥は、背教者、だったとしても?」
震えた声で恐る恐る尋ねられたのは、現状この世界で最も悪意ある肩書きについて。そしてその話が出てくるということは、事前情報通りノア様もそれに含まれているのだろう。
「大丈夫ですよ。俺も背教者ですから」
「‥‥‥え?」
安心させるよう優しい声色で、惜しげも無くその罪深い肩書きを口にする。そして揺るぎない証拠として、掌に輪郭が曖昧な深紫の球体を浮かばせる。
ノア様は目を見開き、唖然とした表情で魔力の塊を凝視している。その赤い瞳からは驚きの他に、恐怖心を感じ取れた。
「‥‥‥怖いですか?やっぱりこの魔法は」
外れ者でも智天教信者だ。逸脱した魔法に抵抗や恐怖があるのは仕方ない。それを分かっていても、拒絶的な反応をされると悲しくなった。だが表に出しては情けないと、取り繕うように自虐的な笑みを浮かべて尋ねる。
「あ、えと‥‥‥その‥‥‥」
答えに困ったノア様は、吐き出しかけた言葉を引っ込めて狼狽えている。その行動全てが、図星だったことを語っていた。
「‥‥‥まあ、そうですよね。一目見て恐怖するくらいじゃないと、処刑にならない」
今更ながら、自分の持つ魔法が他者からどう見えるかを実感した。きっとあの時の聖職者の爺も、巨大な恐怖心から処刑を言い渡したに違いない。そう考えると少し、あの日の理不尽も理解出来た。
「しょ、処刑って‥‥‥その魔法のせいで‥‥‥ですか?」
「はい、彼らにとってはそれ程までに罪深い力ですから」
捕まった時に反抗的な態度をとったのもあるが、手心を期待させないためにも余計なことは言わず、自分達にとって敵対的な集団であることを暗に伝える。
「それは‥‥‥私の魔法でも、同じですか‥‥‥?」
「よく知られている五種類でなければ、同じ結果になると思います。邪悪な力だと一括りにされるでしょうね」
縋るような問いでも、希望になりそうな答えは返さない。むしろ一回絶望した方が、未練無く断ち切れる筈だ。
「そう‥‥‥ですよね」
ノア様は何となく察していたように頷くと、膝を一層強く抱えてより小さくうずくまった。
揺れる荷車の中に沈黙が流れる。しかし何か話題を振るようなことはしない。時間は掛かるかもしれないが、これは彼女が自力で乗り越えないといけないことだと思う。
「‥‥‥も、もし、次の街でも追われるようなことがあったら、私は‥‥‥」
「安心していいですよ。あり得ないでしょうし、仮あったとしても、俺が護りますから」
連れてきた側の人として、知らない街で生活する彼女を助ける責任がある。悪意ある者の手から遠ざけるのもその一つだ。
(まあ、俺も大して知らないんだけど)
なんて不必要なことは言わない。そしてそんな無駄口より、ノア様の顔色を確認する。
「ま、まもる‥‥‥って‥‥‥」
「?‥‥‥何か変ですか?」
「い、いえ!ただ、その‥‥‥見知らぬ人に向けて言う言葉では‥‥‥」
「あぁ、あー、そういう‥‥‥」
追及されるような言葉ではない筈と一度は首を傾げたが、ほんのり頬が染めながら話すノア様を見て察した。
「まあ、護りますよ。それ以上は言いません」
言わないというか他に良い言葉が無いというか、どちらにせよ話が変な方向に逸れているので、広がらないよう打ち切った。
「そ、そうですか‥‥‥嬉しいです」
「当たり前のことですよ」
「それでも、嬉しいのです。生きててもいいってことですから」
ノア様はそう言って、ほんのり笑みをこぼした。少しは希望を持ってくれたと捉えていいだろう。
だが喜んでいる裏には、これくらいで喜べてしまうような環境がある気がしてならない。もしかしたら家族からも‥‥‥なんてことを考えたが、今は少しでも明るいことで満たさせておこうと、心の奥にしまい込む。
「これからよろしくお願いします。えっと、リグ‥‥‥様」
「様は辞めて下さい‥‥‥って、どこで俺の名前を?」
少し恥じらいを残した表情で名前を呼ばれるが、上の立場である筈のノア様から様付けされるのは分不相応で違和感だ。それはそうと名前を教えた覚えが無いのだが、どこかで聞いたのだろうか。
「ルイス様から伺いました。昨晩リグ様が散歩に出られていた時に」
「ああ、あの時‥‥‥」
昨晩といえば追手を払いに出ていた。確かにその時なら、知らないところで名前を知られていてもおかしくない。
「あの‥‥‥リグ様は、敬称を付けられるのがお嫌いなのでしょうか?」
「ええまあ、そうですね。俺は庶民ですし」
「そうなのですか‥‥‥でも、やっぱりリグ様はリグ様です。命の恩人ですから」
「そうですか。別に強要はしません」
どこか繊細で、とても可愛らしい。初めて見たノア様の笑顔を前に、断る選択肢は消え去ってしまった。
「嬉しいです。でも、私はむしろ‥‥‥」
「‥‥‥むしろ?」
「‥‥‥ノア‥‥‥と、呼んでほしい‥‥‥です」
照れくさそうに口元を隠し、こもった声でお願いされた内容は、あまりに不敬で頷き難いものだ。しかし、上目遣いで純粋な眼差しを向けられてしまっては、あまりに断るのが申し訳ない程小さなものでもあった。
「いやぁでも、立場が‥‥‥」
「私はもう貴族でもなんでもありませんから、気にしないで下さい。‥‥‥だめ、ですか?」
どうしても呼んでほしいのか、食い気味に反論されて、最後には可愛らしいねだり方を付け足してきた。自分を使い方をよく理解した、可愛くないやり方だ。
「‥‥‥善処しましょう。確約は出来ません」
「ふふ、お願いしますよ?」
「はいはい」
こちらが折れて渋々承諾すると、ノア様はご満悦そうに笑みを浮かべた。特に悪い気がしないのは、お互い外れ者がゆえの仲間意識のせいだろうか。
と、ノア様の気分も優れてきたところで、外の景色が止まった。目的の場所に着いたのだろう。
『泉の近くまで来ましたので、一時休憩と致します。体を洗うついでに、服も洗うのが良いでしょうな』
「分かりました」
布の壁越しに聞こえたルイスさんの言葉に従い、返り血を隠すように畳んだ服を持って荷車を降りる。
「少し離れます。すぐ戻ってくるので、くつろいでいて下さい」
「はい、行ってらっしゃいませ」
少しだと言ったにも関わらず、ノア様はどこかもの惜しそうに手を振るので、微笑ましく思いつつ振り返してから泉のある方へ向かった。
「‥‥‥さて」
ルイスはリグが十分離れたのを確認すると、ノアが一人残る荷車の入り口にやってきた。
「失礼致します。ノア様、よろしいですかな?」
「え?あ、はい。なんでしょうか?」
リグが居なくなった途端の訪問に、ノアは少し警戒しながら対応する。ルイスは、まだ彼女にとって信用に足る人ではないらしい。
「危害を加えるつもりはありません。少し、魔法について聞きたいことが‥‥‥」
「嫌です。答えません」
ルイスが言い終えるより先に、確固たる意志で拒絶した。その態度が、ノアからした魔法の位置付けということだ。
「しかし、強くなるには己の魔法を知る必要があります。そのための助力を‥‥‥」
「私は強くなろうと思っていません。なので助力も要りません」
ノアはまたも話を遮って断る。ここまで聞く耳を持たないのは想定外だったのか、ルイスは会話を構築し直す必要に駆られ、顎に手を置いて頭を回し始めた。
「そうですか‥‥‥もし、大切な誰かが危険に晒された時、後悔しないのなら、それでも良いでしょう」
「‥‥‥そんな人が今の私にいると?家も両親も失った私に?」
ルイスの挑発的な発言に、影を感じる眼差しでノアも言葉を返す。
「おや、随分とリグ殿を敬愛しているようにお見受けしましたが?」
「っ‥‥‥!」
狙い澄ました一言に、ノアは思わず目を見開いて息を呑んでしまった。それが肯定を意味することを知った上で、反射的に。
「だが彼が死んでも、大切な人ではないから後悔しないのでしょう?薄情な御方ですな」
「そ、そんなこと一言も‥‥‥」
「言いましたな。そんな人が今の私に、と」
「‥‥‥訂正します。リグ様は私にとって、唯一の大切な人です」
「でも貴方は強さを求めないのでしょう?その上で、彼の『護る』という言葉に便乗して、自分を背負わせる気でいる。とんでもないお荷物だ」
「そんな酷い言い方‥‥‥」
「事実です」
リグと会話していた時とは真逆、ルイスは棘のある言葉を投げ続けた。それを一対一で直接ぶつけられても言い返せず、口を噤むしかなかったノアの瞳は涙で揺れていた。
「‥‥‥よく考えておきなさい。それでは」
最後にそう言い残して、ルイスは持ち場に戻ってしまった。




