九話
「はぁ‥‥‥はぁ‥‥‥」
走り始めて少し経った頃、息切れしてきたところで暗闇の中から見覚えのある馬車が現れる。
「おかえりなさいませ。お怪我はありませんか?」
「攻撃は受けましたけど、治療済みです」
「そうですか。ご無事で安心しました」
帰還早々に健康状態を確認すると、出迎えたルイスさんは安堵の息を吐いて胸を撫で下ろした。
「それで、この少女がノア・アラクシス領主令嬢で間違いないでしょうか?」
「おそらく」
目的達成で満足感のある雰囲気も束の間、視線を少し落として、抱えている少女の話に移る。
「邸宅からここまで揺れたでしょうに、随分深い眠りですな」
ルイスさんは御令嬢の寝顔を覗きながら、こちらと同様の疑問を呈する。先程から感じている異常性は間違いではなかったようだ。
「睡眠薬を飲んでいるらしいんですけど‥‥‥多分、それだけじゃないと思います」
「同意見です。少なくとも、普通の睡眠薬だとは思えませんな」
とはいえ脈は正常で、異変があるようにも見えない。
「ふむ‥‥‥純魔水を飲ませてみましょうか」
「えっ、窒息してしまうのでは‥‥‥?」
少し考えるような仕草を見せた末に提案された。確かに純魔水の底知れない回復効果を以てすれば、睡眠薬の効果が打ち消される可能性は大きい。だが寝ている人の口に液体を入れる危険性は無視できない。
「少しずつ飲ませれば死にはしないでしょう」
「本当に大丈夫なんですか?」
「勿論。それとも目から入れますか?粘膜に触れていれば口以外でも効きますので‥‥‥」
「‥‥‥飲ませましょう」
想像するのも憚られるようなことを言い出されたので、流石に飲ませる方に賛同した。
「それでは仰向けに寝かせてください。後は私にお任せを」
「分かりました」
思うところはあるが、自分より長く生きているルイスさんの能力を信じることにして、言われた通りに少女の軽い体を地面に寝かせる。
「それでは純魔水を」
「何本ですか?」
「一本で十分でしょう。そしたらリグ殿には、御令嬢の背中を支えていただきたい」
言われた通りに小瓶を渡し、高そうな寝間着と土の間に手を入れて次の指示を待つ。
「私が顔を持ち上げるのに合わせてください。首が曲がらないようにお願いします」
「えぇっと‥‥‥これくらいですか」
「良いですよ。後は量に気を付けて飲ませれば‥‥‥」
力加減を調節して、御令嬢の上半身から頭を斜め上に向かせると、ルイスさんは褒めるのと並行して、少しずつ小瓶の中身を口に注ぎ始める。
「‥‥‥うぁ‥‥‥うぅ‥‥‥」
「お目覚めのようですね」
どうやら上手くいったらしく、御令嬢は小さな呻き声を上げながら目を覚ました。
「会話は出来ますか?ノア・アラクシス様」
「あ、えと‥‥‥誰‥‥‥?ここは‥‥‥?」
ルイスさんの呼び掛けに反応はしたものの、状況を上手く噛み砕けていないのか、混乱した様子でふらふらと周囲を見回している。
「我々は隣町のレニーから訪れた者です。御身が危険に晒されていましたので、誠に勝手ながら誘拐させて頂きました」
「ゆ、誘拐‥‥‥!?それに危険ってどういう‥‥‥」
「あちらにぼんやりと光が見えるでしょう?領主邸で火事が起きたのですよ」
ルイスさんの指先が向く方向を辿ると、鮮明に見えはしないが、行って帰ってくる前より明るく大きくなった赤い光が夜闇を照らしていた。
御令嬢の表情を横目で伺うと、衝撃的な話にやはりと言うべきか絶望感のある顔色で、言葉を失って唖然としている。
「ノア様も、彼が来ていなければ、今頃黒焦げになっているところでしたよ」
経緯を並べていく中、自分が話題に挙げられ、視線を移したノア様と初めて目が合った。
「あ‥‥‥貴方が私をここに?」
「はい、そうですが‥‥‥うおっ!?」
問い掛けに頷いて肯定すると、ノア様が急に距離を詰めてきて裾を掴まれた。突然のことにその手を振り払おうとしたが、今にも泣きそうな表情で裾を握る少女の姿を目にして、無理に引き離そうとは思えず固まった。
「お、お父様とお母様は‥‥‥無事、ですよね?避難、してますよね‥‥‥!?」
「それは‥‥‥えっと‥‥‥」
父であるアラクシス領主は、それらしき人の死体を確認した。母の存在は気にしていなかったが、状況から判断すれば死が濃厚だ。
だがそれをはっきり告げてしまって良いのか。確定した情報もなく、断定的にこの少女の希望を断ち切ってしまって良いのだろうか。
「‥‥‥嘘、ですよね‥‥‥?お父様お母様が死ぬなんて‥‥‥あ、あぁ‥‥‥」
結局、回答に困っている内に流れた沈黙が答えとなってしまった。ノア様は力無く裾から手を離してへたり込み、次第に泣き崩れてしまった。何か言葉をかけようにも、言い出そうとする全てが間違っている気がして躊躇する。
「‥‥‥落ち着く時間が必要でしょうな。外は冷えるので、荷車へ案内しましょう」
「お願いします。俺は‥‥‥少し散歩してきます」
ルイスさんの言う通り、一人にしてあげることも大事だ。いざという時も、彼なら機転が効くだろうからとノア様を任せ、自身は散歩と称して残したことを片付けに行く。
(アラクシス方面から魔力‥‥‥ほぼ確実に追手だ。二人と距離がある内に潰しておかないと)
追ってきたということは、目的は御令嬢の殺害だろう。万が一に取りこぼしても彼女に被害が及ばないよう、そしてその取りこぼしが起きないよう、馬車から十分離れた街道のど真ん中で接触を待つ。
程なくして、全身を黒で包んだ集団が見えてきた。
「‥‥‥止まれ!」
彼らの誰かが掛けた号令によって真っ黒な集団は走るのを止め、互いに攻撃出来ない間合いで会敵する。
「ノア・アラクシスを誘拐したのはお前だな?」
「そうだな」
「今なら命は許してやる。ノア・アラクシスを引き渡せ」
「断る」
話し合えるのかと期待したが、結局そんな様子はなく、威圧的に要求してくる。どうせそんなところだとは思っていた。勿論、躊躇うことなく突っぱねる。
「あの者は背教者だ。天の使いに反抗し、許されざる力を持った。それでも匿うか?」
「引き渡したら殺すんだろ?」
「当たり前だ。許されざる力を持った者は生きること自体が罪なのだ」
「ふざけるな!」
攻撃的な言葉を重ねられる度に、価値観の違いを思い知らされる。自分達の存在そのものを否定されたところで限界を迎えた。これ以上は話す意味を感じられず、怒りのままに剣を抜く。
「お前達みたいな狂信者を先には行かせない!ここで終わらせてやる!」
剣を強く握り、魔力を込めた状態で鞘から勢いよく抜いた。飛び出した魔法の刃は夜闇に紛れて進み、集団の真ん中の一人を首を刎ねた。
「なっ!?反撃しろ!」
一人の怒号が開戦の合図となり、草むらに隠れていた数人も姿を現す。夜風が静かに流れる草原を戦場に、本気の殺し合いが始まった。
(残る敵は七人、その内弓使いが二人、後は短剣か。こっちの手持ちは投げナイフ五本と純魔水三本‥‥‥出し惜しみはできないけど、無駄遣いもできないな)
不快で腹立たしい、目の前の狂信者共を今すぐ斬り伏せたい。そういう感情は間違いなく持っているが、リグは自分でも不思議なほど冷静だった。
最初に飛んできたのは二本の矢。水魔法を模した壁で矢を受け止め、考えるより早く反撃に出る。
まずは自身に魔力を纏わせ、夜の闇と同化することで視認性を下げる。相手が見失った一瞬の隙に、一人の懐に入り込んだ。
「っ!?ぐはっ!」
防御より先にリグの短剣が男の腹を貫き、大量の血が噴き出した。即死とはいかないが戦闘不能だ。
「このっ‥‥‥!」
横にいた仲間が短剣で斬りかかるが、リグは刺した剣を力一杯引き抜くと、その勢いのまま振り上げて相手の剣を弾き飛ばした。
武器を失い無防備な相手の脇腹に魔力を込めた蹴りを入れると、一発でよろめいて頭への追撃で地面に叩きつけられた。どうやら頭を強く打ったようで、意識を失っている。
「固まれ!一対一を作らせるな!」
一人の声で短剣持ちの三人が集まって、弓持ちの前で盾になるように立ちはだかり、その後ろから弓矢がリグを襲う。
(厄介だな。どう攻めるべきか‥‥‥)
突撃すれば事故が起きかねない。だからといって大きい魔法を使って目立つのは避けたい。どちらにもならないような都合の良い反撃方法を、断続的に飛んでくる矢を水の壁で防ぎながら考える。
「くっ‥‥‥もういい!三人でかかるぞ!」
「おっと‥‥‥」
切らしたのは矢かそれとも我慢か、短剣持ち三人が息を合わせてリグに飛びかかる。リグはそれを見てもう一本の剣も抜き、後退しながら絶え間無い剣撃を躱し打ち返して好機を伺う。
剣が空を斬る音と金属同士がぶつかる音がしばらく続いた。そして一人が後ろに回り込もうとした瞬間、僅かに攻撃の手が緩む。
リグはその一瞬の隙を突いて、自分に振り下ろされた剣を弾くと、切り返して無防備な男の首元に深い傷を入れる。出血量からして、長くは持たない。
次は隣の短剣持ち。懐を狙ってきた攻撃を間一髪で止め、擬似風魔法付きの蹴りで吹き飛ばす。大した一撃にはならないが、打ちどころが悪ければ骨折くらいは期待できる。
最後は後ろに回り込んだ者。しかし対応するより早く、リグの背中に激痛が走った。
剣が貫通したらしく、腹の方からも血が滲んでいる。放っておけば死んでしまう重傷だと、一目で分かる。
だが今更、その程度の傷で喚くほどリグは脆くなかった。歯を食いしばり、横目に一瞬だけ見えた影を見逃さず短剣を突き刺す。ほどなくして、後ろで人が倒れる音がした。
最後に投げナイフを一本、離れたところで立ちあがろうとしている男の脚に命中させ、短剣持ち全員の処理を終えた。
「て‥‥‥撤退!」
まだ終わりじゃないと次の魔法を用意していると、弓持ちの一人が叫び、もう一人を連れてアラクシス方面に姿を消した。
(‥‥‥終わった)
「‥‥‥うっ!」
見渡す限りの草原に、自分を攻撃してくる者はもういない。その事実にうっかり気が抜け、抑えていた色んなものが押し寄せてくる。
腹を抉る痛み、吐き気を催す強烈な血の匂い、緊張から解き放たれた倦怠感等々、詰め込まれた強い不快感が頭の中を支配する。取り敢えず、傷を負った部分に純魔水を小瓶一本分浴びせる。
(足りない。他での消耗分も使わないと)
ここまでかなり激しく魔法も体も運用した。傷は塞がったが、かなり深刻な怠さが残る。幸いにも純魔水の予備はまだあるので、出し惜しみせずにもう一本、喉から体内に流し込む。
「さて、後は‥‥‥」
変に生かして復讐に来られては困る。ということで生存者にトドメを刺すため、戦いの跡を辿る。
後ろで倒れている男は心臓を刺していたようで、とっくに絶命していた。最初に斬った者も、首を斬った者も腹を刺した者も死んでいる。そして五人目、意識を失っている男の前に到着した。
(これでいい‥‥‥これでいいんだ)
そう自分に言い聞かせながら、仰向けの男の左胸に短剣を突き立てた。
無抵抗な相手に刃を向けるのは、まだ耐えがたいものがある。だが自分と、御令嬢の身を確実に守るため、必要だと割り切って息の根を止める。
(‥‥‥あと一人)
残すは少し離れた草むらで脚を庇っている短剣持ちだけ。まだ抜け切ってない疲労でふらつくのを誤魔化しつつ、見下ろす形で男と対峙する。
「答えろ。誰に言われて領主邸を襲った?」
暗殺だろうということなら、殺す前に情報を吐かせるべきだろう。男の首元に剣を立て、脅すように質問する。
「背教者に話すことなど無い!」
「そうか」
まあ期待はしていなかった。とはいえ相手はまだ元気そうなので、少し工夫して聞き出すことにする。
「答えないなら仕方ない」
「‥‥‥ぐっ!」
手始めに投げナイフを一本、男の脚に追加で突き刺した。男は顔を歪め、苦痛に満ちた呻き声を上げる。
「もう一度聞く、裏で手を引いているのは誰だ?」
「そんな者などいない!」
「嘘だな。正直に言った方がいいぞ?」
「ぐあああっ!」
まだ足りないらしいので、刺さったナイフを踏みつける。出血量が一気に増えて、聞くに耐えない悲鳴が夜闇に響く。
正直、気分の良いものではない。敵を明確にするために必要なことだと割り切っているからやっているだけで、すぐにでもこの場を離れたいくらいには、一帯に敗者の空気が漂っている。
「‥‥‥ふっ、あの小娘は悪運が強い。寝ている間に我々に始末されておけば、苦しまずに死ねたというのにな」
「生きていることが悪運だと?」
「ああ悪運だ。生涯に渡って、追われる生活をするだろうからな。捕まれば生きたまま火炙りにされるだろう。我々は良心的な方だ」
何か語り出したので言わせてみると、案の定こちらを蔑むような話を並べられる。だが残念なことに、その内容は一理あった。
確かに、奴らに捕まれば火刑に処されるし、避けるために逃亡生活を強いられる。中立都市に入れば安全だろうが、その道中で野垂れ死ぬ可能性なんていくらでもある。それと比べれば、苦しまずに死ねるのは運が良いと言える。男の話はあながち間違いでもないのかもしれない。
「だが本当に運が悪いのは、あの小娘の親である領主夫妻だろう。なんせあの背教者の娘さえいなければ、殺されることはなかったのだからな。本当に不幸でならない」
「‥‥‥黙れ。お前が殺した者の不幸を語るな」
今の発言で、領主の安否に答えが出た。しかしそんなことはどうでも良く、殺した当事者が彼らを不幸だと嘆くことに、底知れない苛立ちを覚えた。
「あの小娘はこれからも不幸を撒き散らすだろう。仲間も、友も、将来の家族も、自分に手を差し伸べた者も、全員不幸にしていく。生まれながらにしてそういう存ざ‥‥‥」
言い切る前に、男の頭が地面に転がる。考えるより先に体が動いてしまった。
「‥‥‥もういい」
後付けで呟く。あれ以上生かしていても侮辱ばかりで、有益な情報など出てこなかっただろうと、斬り捨てた自分を納得させるためだ。
(死体の処理は‥‥‥しなくても大丈夫そうだ)
辺りの魔力の動きを察するに、死肉を食べる魔物が血の匂いにつられて近付いてきている。自分も巻き込まれる前に離れた方が良いだろう。
(戻るとして‥‥‥荷物の中に着替えがありますように)
気付けば返り血でローブも服も、なんなら顔や髪までベトベトになっていた。このままレニーまで帰るのは流石に嫌なので、予備にまだ服があることを祈りながら来た道を戻り始めた。




