希望と絶望
「なんだか気持ちの悪い所ね」
ハルヲ達は無事底に辿り着き、空を見上げた。靄がかかる空は、どんよりと重く、気分を沈ませる。
「マイキー」
嗅覚が発達している犬豚のマイキーが、ハッハッハッと尻尾を振りながらハルヲに駆け寄った。
ずんぐりとした短い胴に短い手足、名前の由来通り豚のような鼻をフガフガ動かしている。
ハルヲは、マイキーにキルロの服の匂いを嗅がせた。マイキーは豚のような鼻をひくひくさせて、前方を見つめる。
大型兎のアントンの愛嬌のある姿に騙される者が多いのだが、パワーと気性の荒さを合わせ持っていた。大きな背負子を背負っていても、軽々と軽快な足取りを見せ、荷物持ちとして冒険者達に大変重宝されていた。常にキョロキョロと首を動かし、落ち着きない姿も、いつもの姿だった。白蛇と白虎は、重苦しい雰囲気にもいつもと変わらず冷静な姿を見せている。
マイキーが匂いの痕跡を求めて動き始めると、動物だらけのパーティーがそれに続く。
「行くよ!」
動いた痕跡があるという事は、底についた時点では生きていた。
きっとまだ生きている。
マイキーの動きに、希望の灯がともった。
◇◇
全く、面倒臭いわね。
歩みのスピードを上げたいのだが、次から次へと現れるモンスターとのエンカウントに、パーティーのスピードは、一向に上がらない。
エンカウントが多すぎるのよ。
ハルヲは、溜め息まじりにモンスターを屠りながら苛立ちを募らせる。厄介な怪物とのエンカウントがないのは、せめてもの救いだ。だが、何度も足を止められるストレスに、焦りを募らせる。進まない足の苛立ちを、ひたすらモンスターにぶつける。
『クァッー! クァッー!』
頭上からの醜い鳴き声に、ハルヲは視線を上げた。
1Miを優に超えるカラスの化け物が一羽、パーティーの頭上を旋回しながら追いかけていた。ゆっくりと羽ばたく姿が、忌々しく感じハルヲの警戒心を煽る。
真っ赤なくちばし?
カラスじゃない?
『『グアァァァッーー!』』
頭上を悠々と羽ばたきながら、汚い鳴き声を響かせた。
チッ。
その忌々しさに舌打ちをする。手の平にイヤな汗が滲み、冒険者としての経験と勘が警鐘を鳴らす。
視界が暗くなったように感じた。羽ばたき音が明らかに増えた。
見上げた空が暗い⋯⋯。
霞が濃くなった?
いや、違う!
気がつけば、黒い怪鳥が頭上を覆いつくしていた。怪鳥の群れが、空を黒く染めていた。頭上を覆いつくす怪鳥の群れに視線向ける。
あの気持ち悪い凸凹なくちばしって、苺口鳥か。
黒い群れが同方向へ羽ばたき、大きな渦を描きながら、頭上をついてくる。
怪鳥の群れが、まるでパーティーを値踏みするかのように見下ろしていた。無数の羽ばたきがまるで、一羽の大きな怪物のように黒い大きな渦を作り蠢いている姿に、心臓が高鳴り、黒い渦が作る闇が不安を煽った。
「ゴー!」
空を覆う闇から逃げようとパーティーは駆け出した。岩壁に沿って、必死に足を動かしていく。
だが、逃げられない。
頭上は闇で覆われたまま。だが、空で蠢く黒い渦がパラパラと解け始める。
ハルヲの青い瞳が逃げきれないと覚悟を決め、腰の鞭を解いた。解けた鞭が、地面に渦を描く。
闇から羽ばたきを止めた鳥が、パーティーへ一斉に上空から襲い掛かる。
降り注ぐ怪鳥を睨み、狙いを定めた鞭の一閃が唸りを上げながら苺口鳥の首を刎ねた。首を失った怪鳥が、しばらくの間地面で体をひきつかせる。
開戦の火蓋は切られた。
ハルヲの鞭が、降り注ぐ怪鳥の雨を地面へ振り落とす。そして、グラバーとキノが、地面でのたうちまわる怪鳥を潰して回る。
地面が赤く染まっていく。だが依然として、頭上は黒く覆われたままだった。
どれだけいるのよ⋯⋯。
アントンの背負子をおろすか⋯⋯。
さあ、あなたのやる気を見せてちょうだい。
「クエイサー! バック」
大きな虎が、小さな犬豚を守るようにハルヲの後ろへ下がった。
闇が、空が、蠢く。
手の届かないそれがもどかしい。
闇から赤いくちばしが降り注ぐ。それはまるで巨大な赤い雹のように、乱暴に降り注いだ。直撃は死を意味し、そしてヤツらの餌となる。
そんなものはお断り。
降り注ぐ赤い雹を振り払い、なぎ払い、地面に落ちたそれを叩き、潰し、噛みつき、怪鳥の攻撃に抗い続ける。
突っ込む、突き刺す、降り注ぐ、単純ながらも、効果的に空から襲いかかる。眼下に見えている餌に、群れは本能のままに狂喜していた。
ハルヲの頬も、服も引き裂かれ始め、ミスリル製の胸当ては凹み、剥き出しの肌から血が滲む。降り注ぐくちばしがハルヲを捉え始め、傷が増えるのを止められない。
「ハァ、ハァ、ハァ⋯⋯あれ? みんな!?」
突然、降り注いでいたくちばしが止んだ。ハルヲは辺りを見回していく。
少し離れたところで、キノとグラバーに赤いくちばしが、容赦なく強襲し続けている。
後ろで待機しているクエイサーとマイキーに、群がる黒い塊が蠢いているのが見えた。
クソッ!
白く輝いていたクエイサーの毛が真っ赤に汚れている。抗った形跡が傷として、クエイサーに刻まれてしまっていた。怪鳥は、食欲を満たそうとクエイサーとマイキーを、狂ったようについばんでいた。
「アントン!」
ハルヲがキノとグラバーを指さすと、アントンはまさしく脱兎の如く跳ねて行く。アントンが高く跳ね上がり、キノとグラバーを襲い続ける赤いくちばしに強靱な蹴りを見舞っていった。
何かが潰れる音がする。怪鳥の醜い断末魔が響き渡る。そして、頭を潰された怪鳥が次々に地面に転がった。
続こう。
ハルヲはアントンの動きに呼応するように、クエイサーとマイキーへと疾走する。鞭を剣に持ち替え、そのまま怪鳥の群れへ飛び込んだ。
振る。
ひたすらに剣を振り、クエイサーとマイキーに群がる怪鳥を払い続ける。
首を跳ね、羽を刻み、胴へ突き刺す。
だが、その度にハルヲの頬がこすれ、腕は噛まれ、胴に鋭い爪が食い込む。
黒い塊を振り解け。
目の前に血飛沫が上がり続ける。呼吸は乱れていく。自分の荒い呼吸が耳障りに感じてしまう。
マイキーを背にするクエイサーの低い唸りが、ハルヲの耳に届く。怪鳥の群れは消え失せ、地面は赤く染まっていた。
羽ばたきが聞こえない?
ハルヲが空を見上げると、羽で覆い尽くされていたはずの霞んだ空が現れていた。
残りはわずか。
怪鳥の黒い影が、再び旋回を始める。
その姿を視界に捉えると、地面に剣を突き立て鞭を手にする。そして、頭上で円を描く黒い影を睨んだ。
「キノ! グラバー! アントン! バック!」
ハルヲの周りに呼び集め、旋回を続ける怪鳥に警戒を上げる。
バラバラと再び降り注ぐ怪鳥にアントンが跳ねる。その横をすり抜けるハルヲの鞭が、迫り来る怪鳥に唸りを上げた。
鞭は首を撥ね、アントンの足は怪鳥の頭を踏み潰す。
その隙を縫い、アントンの背を発射台にしてキノが飛び出した。
空中に放たれたキノが、怪鳥に絡みつき、地面へ落とすと怪鳥の喉元に牙を剥き、またひとつ赤いしみを増やした。
あれ?
もう一羽は?
空に影がひとつしかない。もうひとつが見当たらない。
視線を激しく動かしもう一羽を探す。
痛っ!
刹那、ハルヲの腿の裏に鈍い衝撃と激しい痛みが襲った。視線をその痛みの方へ向ける。腿の裏に深々と突き刺さっている忌々しい怪鳥の姿。感情が見えない赤い目とハルヲの青い瞳が交わり、腿裏から血が滲む。
衝撃と痛みに動けないハルヲへ、キノがすぐに疾走する。
グリュっとイヤな感触を腿裏から感じると、腿裏から血塗れのくちばしが抜け落ちた。絡み付いた蛇が、怪鳥を締め上げ地面に落とした。
ハルヲの腿裏から、血が吹き出す。
「⋯⋯くっ」
痛みと衝撃が体中を襲い、膝を落としてしまう。
グシャっという粉砕音が聞こえると、アントンが血まみれのくちばしごと頭を潰していた。
そして、最後の怪鳥は、一点高く舞い上がって行ってしまった。
逃げた? ⋯⋯終わった?
ハルヲは痛む足でゆっくりと立ち上がり、少しばかり安堵する。だが、キノも、クエイサーも、空を見上げたまま動かない。
なに?
雹、いやそれはもう鋭い一本の槍と化していた。羽ばたきもせず体ごと落下している。
突き刺す、突き立てると、その怪鳥の意志だけが伝わる。
その槍は、クエイサーに狙いを定めていた。
ハルヲは動かぬ足に顔をしかめながら、その槍に向かって鞭を振るい、足掻いた。伸びていく鞭は、落下する槍の脇をすり抜けて宙へと伸びるだけ⋯⋯。
「クエイサー!」
ハルヲの悲鳴に近い叫びが響く。槍の風切り音がその勢いを伝え、貫かれるクエイサーの姿が頭を過った。
くっ!?
反射的に目を閉じてしまった。
見たくない光景、無残な光景を想像し、現実から目を閉じてしまう。だが、目を閉じるその一瞬、大きな白い影が飛び込んだように感じた。
風切り音が止み、グシャっと肉の潰れる音と骨の砕け散る音が聞こえた。
「グラバー!」
ハルヲは、飛び込んだ白い影の名を叫んでいた。
そして、粉々に砕け散った怪鳥が地面に転がっていた。
終わった⋯⋯。
今度こそホントの安堵に包まれる。
ハルヲが汗を拭うと、血の混じった汗が袖口を赤く染めた。
名を呼ばれた白虎がそばに寄って来ると、ハルヲは慈しみをもってその頭を撫でる。
「ありがとう。頑張ったね」
グラバーは嬉しそうにハルヲにすり寄って頭を預けた。
「クエイサー見せてごらん」
マイキーを守るため孤軍奮闘を見せていたクエイサーの傷を、ハルヲが確かめていく。
右前足の傷が深いわね。
応急処置だけでもしておかないと。
「良く守ってくれたね。助かったわ」
ハルヲは、クエイサーの頭を抱え自分の額をクエイサーの額にそっと重ねる。他の仔達も擦り傷や、切り傷などの裂傷を抱え、所々赤く染めていた。
みんなありがとう。
みんなが深い傷を負っていないのは幸い。だが、楽観出来る状態でもない。
一番の問題は自分の左足だった。抉られた腿の裏から出血が止まらない。
一度、休憩して止血をするべきか、ハルヲは逡巡する。
いや、止まってはダメ。
歩みを止めるという選択肢はない。一秒でも早く見つけなければ。
使命にも似た思いが、ハルヲを突き動かす。ちょっと動くだけで衝撃が走る。それでも、止まるという選択肢はハルヲの中になかった。
自身の腿を包帯で乱暴に縛り上げ、剣を杖代わりにして歩き始める。キノが心配そうに見上げてくると、ハルヲはキノの頭に手を置いた。
「これくらい、大丈夫よ。急ぎましょう」
そう言って、強がるハルヲはキノの頭をひとつ撫でた。
大丈夫このくらいじゃ止まらないから心配しないで。
ヤツの跡をたどろう。
光の届かない底。そこで微かな光に望みを託す。岩壁に沿って、足を引きずりながら進む。
遅々として進まぬ歩みと比例して、パーティーの疲労は加速度的に増えていた。痛みと疲労で体中が重く感じ、足取りが鈍る。
キノが歩みを止め、首をもたげた。前方を気にする仕草を繰り返している。
ここでエンカウントは避けたい。
ハルヲは、行軍を止め草陰に隠れ、息を潜めた。
前方からただならぬ気配を感じ、生唾を飲み込んだ。
その気配の主はゆっくりと現れる。
ゆっくりと歩く異形のモンスターの姿。
左目にナイフが刺さり、左腕を斬り落とされていた。
ハルヲは視界に捉えたものに愕然とする。
あの腕とナイフ⋯⋯対峙したのはアイツって事?
あの化け物とひとりで? あの姿が物語るのはなに?
どういうこと?
傷を与えた者はどこへいったの?
あんな怪物とエンカウントしたっていうの?
霧散させたはずの絶望が、一気に体の中心へ収束する。
両手を口に当て叫びたい衝動を抑える。涙が溢れ、震えが止まらない。
そもそも、なぜその姿で動けている。
絶望が頭の中で渦を巻き、答えを見出すことが出来ない。身動きの取れないハルヲの前に、キノと傷だらけのクエイサーが立ち上がった。
凛とした背中を見せ、まるでハルヲを鼓舞するかのごとく、目の前に現れた異形のモンスターに立ちはだかる。その背中は、絶望の淵に囚われていたハルヲに語る。
前を向けと。
その姿に絶望を振り払い、青い瞳に力を取り戻し自分を鼓舞していった。
しっかりしろ! 私!
今一度絶望を霧散させる。
絶望だと勝手に判断するな。
ハルヲは弓を手に取り、渾身の一矢を異形のモンスターに放った。
その一矢は、手負いのバグベアーに宣戦布告する。




