第8話 歪んだシステム
地下二階の冷却ファンが吐き出す冷気が、張り詰めた室内に重く漂っていた。
壁に押し付けられた神谷は、手首を押さえつけられたまま息を荒らげ、相馬の顔を凝視した。
「相馬……蒼……か。まさか生き延びて、ここまで嗅ぎつけてくるとはな」
「神谷統括官。除籍係のアクセス権限を上書きし、俺と佐藤のデータを消去したコマンドのログ、そして休眠戸籍の売買リスト。すべてそのハードディスクの中か」
相馬は表情を変えず、神谷の手元にあるケースをアタッシュケースごと奪い取った。
神谷は痛みに顔を歪めながらも、嘲笑うような笑みを浮かべた。
「奪ったところでどうする? 警察に持ち込むか? 裁判所に提出するか? 言ったはずだ、お前はもう『存在しない人間』なんだよ。そのディスクをどこに持ち込もうと、ただの出所不明な違法データとして破棄されるだけだ」
「法的な手続きで裁くつもりはない」
相馬はアタッシュケースを開き、内部のポータブルドライブに、結城から渡されていた暗号化ドングルを接続した。データのクローン作成が静かに始まる。
「国家のシステムを私物化し、不都合な人間を消し、その戸籍を裏社会や外国の工作員に売り払う。それが特定政策調整室の目指す『国家の最適化』か」
「最適化だよ!」
神谷が声を荒らげた。
「この国には、行政のコストばかり食い潰して何の価値も産まない人間や、国家の重大な秘密に触れてしまった危険な分子が山ほどいる! 奴らを社会的に消去し、余った戸籍を有効活用して莫大な裏資金を作る。それの何が悪い? 国が生き残るための必要な経費だ!」
「その理屈で、俺たちを消したのか」
「システムに反抗するバグは排除される。それが世界のルールだ」
ポータブルドライブのアクセスランプが緑から青へと変わり、データの複製が完了したことを告げた。
相馬はドングルを引き抜き、ポケットに収めると、神谷の拘束を解いた。
「な……逃がすのか?」
拍子抜けした顔をする神谷に対し、相馬は冷静に言い放った。
「言ったはずだ。地上には今、国税局の査察が入っている。お前がそのケースを持って地上に上がれば、脱税および不審な資産隠匿の現行犯で拘束される」
「くっ……!」
「そして、お前が捕まれば、特定政策調整室はお前という存在を切り捨てるだろう。『神谷』という人間が、今度は除籍される番だ」
神谷の顔から一気に血の気が引き、膝が激しく震え始めた。自分が構築に携わったシステムによって、今度は自分がシステムから排除される恐怖。それが神谷の頭を支配した。
相馬は静かに背を向け、エレベーターへと歩き出した。
「バグは俺たちだけじゃない。お前たちが作ったシステムそのものが、最初から破綻しているんだ」
地上へと戻るエレベーターの中で、相馬は使い捨て端末を操作し、待機していた結城へ短くメッセージを送った。
『コアデータの回収に成功。撤収する』
国家という巨大な迷宮の闇に、確かな風穴が開いた瞬間だった。




