第7話 隙間を突く者たち
午前六時。静まり返った港区麻布の高級住宅街に、見覚えのない黒のミニバンが二台、滑り込むように停車した。
『東洋都市総合研究所』――重厚な石造りの門構えを持つその建物の前に、スーツ姿の男たちが手際よく降り立つ。国税庁査察部、通称「マルサ」の査察官たちだ。
「ガサ入れだ。相馬先輩の狙い通り、現場が揺れ始めました」
通りを挟んだコインパーキングの陰から、結城が小さなオペラグラス越しに状況を観察していた。隣には、地味な作業着姿の相馬と佐藤が控えている。
研究所の正面玄関からは、急報を受けたであろう職員たちが青ざめた顔で走り出てきており、警察や上層部へ連絡を取ろうとパニックに陥っていた。
「内部の通信回線は今、国税の押収作業と緊急連絡で完全に混雑している。防犯カメラの監視ログをリアルタイムでチェックする余裕は、今の奴らにはない」
相馬は静かに立ち上がると、キャップを目深にかぶり直した。
「佐藤、お前はここで待機だ。結城は車内のLAN回線をジャックし、国税が踏み込んだ後の社内ネットワークのトラフィックを監視しろ」
「先輩、一人で行く気ですか!? 危険すぎます!」
「大勢で動けば目立つ。国税の査察官に紛れ込むのが一番確実だ」
相馬はそう言い残すと、躊躇うことなく道路を渡り、混乱する研究所の敷地内へと足を踏み入れた。
正面玄関は、査察官と慌てふためく研究所の職員たちでごった返していた。相馬は一切の視線を合わせず、あたかも最初から査察チームの一員であったかのような自然な足取りで、混雑するロビーを通り抜ける。
彼らが狙うのは、表向きの事務室ではない。地下にあるはずの「非公式サーバー室」だ。
エレベーターの前には、セキュリティ認証用のICカードリーダーが設置されていた。相馬はポケットから、先ほど結城が準備したダミーのアクセスカードを取り出し、リーダーにかざす。
結城が遠隔で仕掛けたスクリプトにより、認証システムが一瞬だけエラーを起こし、緑色のロック解除ランプが点灯した。
静かに扉が閉じ、エレベーターは地下二階へと降下していく。
チーンという電子音とともに扉が開くと、そこは地上とは一転して、冷却ファンの駆動音だけが響く殺風景なコンクリートの通路だった。
通路の先にある強化ガラスで仕切られた部屋の中で、一人の男が慌ただしくハードディスクの抜き取り作業を行っているのが見えた。
(あいつか……)
相馬は足音を殺して部屋に近づいた。
男の名は神谷。元・内閣府のシステム統括官であり、現在は特定政策調整室とこの研究所を繋ぐ実務の責任者だ。
神谷が抜き取ったハードディスクをケースに詰め込み、部屋を出ようとしたその瞬間、相馬が静かに扉を開けて立ち塞がった。
「誰だお前は! 査察官か!? ここは立ち入り禁止だぞ!」
神谷が叫び、胸ポケットに手を伸ばそうとする。だが、相馬の動きの方が速かった。相馬は神谷の手首を正確に掴んで捻り上げ、壁へと押し付けた。
「な、なんだ……! 警察を呼ぶぞ!」
「呼べばいい。身元照会をされて困るのは、そちらも同じはずだ」
相馬は至近距離で神谷の目を見据え、冷徹な声を低く響かせた。
「神谷統括官。いや……『存在しない人間』を売買する、市場の支配者さん」
神谷の顔から、一瞬で血の気が引いていった。




