第5話 潜伏と再開
午前四時過ぎ。東京・東十条の古い住宅街に佇む、木造二階建てのアパート。築四十年を越えるその建物は、看板もなく、住民の出入りもほとんどない。
相馬と佐藤は、ギシギシと鳴る外階段を上り、二階の突き当たりの部屋の前に立った。相馬がドアノブの鍵穴ではなく、ドア枠の隙間に小さな金属片を差し込むと、カチャリと軽い音がしてロックが解除された。
「入れ」
部屋の中は埃っぽく、最小限のパイプベッドと折りたたみテーブル、そして遮光カーテンが引かれた窓があるだけだった。
「ここは……?」
「除籍係が現場作業時に使う臨時待機所の一つだ。本庁のデータベースには登録されていない、完全なローカル管理物件だ」
相馬が照明を点けずに室内を進むと、暗闇の奥から人影が立ち上がった。
「……相馬先輩」
フードを深くかぶった小柄な人物が声を潜めて言った。新人の結城だった。彼女の足元には、黒い防水仕様のバックパックが置かれている。
「無事だったか、結城」
「なんとか……。指示通り、本庁のサーバーから即座に回線を切断し、現場用端末のローカルログを抽出して逃走しました。私のアクセス権限も、先輩の除籍と同時に失効していました」
結城は顔を上げ、焦燥と困惑の入り混じった表情で相馬を見つめた。
「先輩、本当に何が起きたんですか? 佐藤さんのデータ消去要求を本庁に送った直後、システム全体に割り込みが入りました。あんな権限操作、係長クラスでも不可能です」
「あぁ。俺たちを消した命令は、除籍係のさらに上――内閣官房の特定政策調整室から出ている」
相馬の言葉に、結城と佐藤が息を呑んだ。
特定政策調整室。それは国家の重要インフラや経済安全保障の名目のもと、法改正を伴わない裏の行政運用を管轄する最高幹部たちの集まりだった。
「佐藤」
相馬は部屋の隅で縮こまっている佐藤を振り返った。
「お前が勤めていたIT企業『データ・ソリューションズ』で、見たという『裏金データ』の正確な名称は何だ」
佐藤はゴクリと唾を飲み込み、記憶を辿るように絞り出すような声で答えた。
「え、えっと……『基盤システム維持管理費・特別勘定』という項目でした。でも、単なる裏金じゃないんです。その金の流れを追ったら、実体のないダミー会社を何社も経由して……最後は『休眠戸籍の買い取り』と『個人データの完全消去費用』として計上されていました」
「休眠戸籍の買い取り……?」
結城が眉をひそめた。
「そうなんです! 死亡手続きや失踪届が出されたあと、行政データ上で処理が滞っている戸籍を大量に買い集めて、それに別の人間を上書きしているような……そんな計算式が残っていたんです。気になって深くアクセスしようとしたら、翌日に俺のデータが消されそうになって……」
相馬は静かに目をつむり、思考を巡らせた。
話がつながる。
除籍係は単に「不都合な人間を社会から消す」だけの組織ではなかった。消された人間の存在や戸籍そのものが、国家の裏で別の「何か」のために再利用され、売買されていたのだ。
そして相馬自身もまた、その巨大な利権のからくりに触れそうになったため、システムごと切り捨てられた。
「先輩……私たち、これからどうなるんですか? 戸籍も職も奪われて、国家そのものから追われているんですよ……」
結城の声が微かに震える。
相馬は目を開き、暗がりの中で二人を真っ直ぐに見据えた。
「相手は国という巨大なシステムだ。正面から戦えば潰される。だが、システムというものは複雑になればなるほど、内部の矛盾に弱くなる」
相馬は折りたたみテーブルの上に、結城が持ってきた端末を置いた。
「俺たちが消されたということは、今の俺たちは国家のどの監視網にも引っかからない『完全なバグ』だ。姿が見えない敵ほど、奴らにとって恐ろしいものはない」




