第20話 死角の回廊
西新宿のビルの谷間から見上げる夜空は、捜査ヘリのローター音とサーチライトの光で不気味に蠢いていた。
大通りを通り過ぎる警察車両の赤色灯が、濡れたアスファルトを真っ赤に染め上げる。機動隊による検問ラインの構築は迅速だった。特定政策調整室が「テロ容疑者」として全警察機構に通達を出したことで、首都の治安維持システムが一斉に作戦行動へと切り替わったのだ。
「相馬さん……路地の出口にも、私服の警察官が二人配置されてます」
佐藤が自販機の影に身を潜めながら、かすれ声で囁いた。彼の顔は恐怖で青ざめ、呼吸は浅く荒い。
「落ち着け。動揺は動作に出る。警官の視線は『不審な挙動』を探しているだけで、俺たちの顔を正確に識別しているわけじゃない」
相馬は物陰から私服警官の配置と視線の動きを冷静に観察していた。
「結城、新宿駅の構内監視カメラのトラフィック状況はどうなっている」
結城は壁に身を寄せたまま、手のひらサイズの小型端末の画面を凝視した。端末は地下の廃配線から分岐させて取得した限定的な内部ログを表示している。
「監視カメラネットワーク『プロジェクション・ゼロ』のアルゴリズムは、現在、新宿駅の改札周辺と地下街のメイン通りに認識リソースの80%を集中させています。私たちが地上へ出たという予測データに基づいて、人の流れが多い場所を優先的にスクリーニングしている状態です」
「つまり、管理されていない『物流と設備のための導線』はがら空きだ」
相馬はポケットから、地下施設で回収していた一通りの鍵束を取り出した。それらはかつて相馬が『特別住民除籍係』として現場で暗躍していた際、行政施設やインフラ構造物の裏口を自在に行き来するために保持していた特殊なマスターキーの類だった。
「どこへ行く気ですか、相馬先輩? 新宿から脱出するにしても、これだけの包囲網じゃ……」
「目的地は霞が関だ。逃げるのではなく、向こうからこちらへ踏み込ませるための仕込みを行う」
相馬の言葉に、結城と佐藤は息をのんだ。
行政と司法の中枢であり、御厨が陣取る本丸・霞が関。そこへ自分たちから飛び込むという決断。
「最高検へ送ったデータは、確かに特捜部を動かした。だが、検察が内閣府の特定政策調整室へ踏み込むには、行政手続き上の『現行犯立証』あるいは『不可逆な証拠の固定』が必要になる。御厨がデータを抹消し、俺たちを物理的に消去してしまえば、特捜部の捜査も政治的圧力を受けて立ち消えになる」
「だから……僕たちが直接、証拠を『確定』させに行くってことか……!?」
佐藤が震える声で尋ねる。
「そうだ。奴らが一番触れられたくない心臓部に、こちらから手を突っ込む」
相馬は路地の奥にある、ビルの搬入用エレベーターの前に立った。鍵穴に特殊キーを差し込み、静かに解錠する。金属の重い扉が滑り、暗闇の空間が口を開けた。
「地下のインフラ回線網を伝い、都庁の地下エネルギーセンターを経由して、地下鉄丸ノ内線の未公開連絡坑道へ入る。そこから霞が関まで地上に出ずアプローチする」
「……旧都営線と地下インフラが交差する、あの未記載区域ですね」
結城の瞳に、恐怖を上回る理知的な光が戻った。
「ええ、あそこなら最新の監視AIも『路線データが存在しない空間』としてブラインドタッチになります」
「よし。行くぞ」
相馬を先頭に、三人は暗闇のエレベーター坑道へと足を踏み入れた。
背後で重い鉄の扉が閉まり、新宿の街に響くサイレンの音が遮断される。湿った冷気と油の匂いが漂う地下の回廊。
国家という巨大な構造体の死角を突き、存在を消された者たちの反撃が、静かに、そして確実に霞が関の足元へと迫っていた。




