第2話 消された男
端末の画面に表示された文字は、紛れもなく相馬蒼のIDと、そのステータスを『除籍』へと書き換えるエラーコードだった。
目の前で怯えていたはずのシステムエンジニア・佐藤学が、急に遠くの存在のように思える。
「な、なんだよ……一体、何が起きたんだ……?」
佐藤が震える声で呟いた。その足元に落ちていたはずのスマートフォンが、突如として激しい電子音を鳴らし、画面がブラックアウトする。彼のポケットや衣服に仕込まれていた発信機や追跡タグも、一斉に機能を停止した。
『――相馬先輩! 応答してください!』
イヤホンから、結城のパニックに満ちた声が飛び込んでくる。
「落ち着け、結城。状況を報告しろ」
相馬は自身のスマートフォンを取り出し、画面を確認した。すでに圏外表示になり、内閣府のセキュア回線へのアクセスはすべて弾かれている。先ほどまで自分が保有していたはずの官僚としての権限は、完全に霧散していた。
『た、大変です……! 本庁のメインサーバーから、除籍係の全権限が管理者によって強制ロックされました。しかも、たった今のデータ処理で……!』
「俺の戸籍が消されたな」
『はい……! 佐藤学のデータを取り消した瞬間に、その逆アセンブルの罠が作動したようです。先輩のIDが『ターゲット』にすり替えられ、国家の全データベースから……相馬蒼という人間の存在が綺麗に消去されました!』
相馬は小さく息を吐いた。
綺麗にハメられたらしい。
佐藤を消すための罠ではなく、佐藤を助けようとした(あるいは接触した)除籍係の人間、それも現場の担当者を丸ごと社会から消し去るための巧妙なシステム的トラップだったのだ。
「……相馬さん?」
佐藤が恐怖に引きつった顔で、目の前に立つ相馬を見つめている。
数分前まで「除籍する側」だった男と、「除籍された側」の男。立場は綺麗に逆転していた。
「おい、お前も……俺と同じになったのか?」
「あぁ、そういうことらしい」
相馬は淡々と答えながら、自分のジャケットのポケットを探った。
身分証、財布、そして自宅の鍵。それらすべてが、今の日本という法と秩序の国家において「ただのゴミ」に成り果てた。銀行口座は凍結され、クレジットカードは使えず、警察に駆け込んでも「身元不明の不審者」として拘束されるだけだ。
『先輩、どうするんですか!? 今すぐ車でそちらに向かいますが、周囲の監視カメラや警察のパトロールが急に動き出しました! 先輩の姿が全域の検問システムに共有されています!』
結城の焦燥しきった声が耳を打つ。
「来るな、結城。お前まで巻き込まれる」
『しかし……!』
「お前はそのまま車を隠せ。そして、今日の任務のログをすべて暗号化してバックアップを取れ。俺が消されたということは、上層部の何者かがこの除籍係のシステムを私物化して動いている証拠だ」
相馬はそう告げると、躊躇うことなくイヤホンを引き抜き、アスファルトの隙間に放り捨てて踏み潰した。
これで、完全に連絡手段は断たれた。
組織からも、同僚からも切り離され、彼は文字通り「日本国に存在しない人間」になった。
「なぁ……どうすればいいんだよ、俺たちは……」
佐藤がその場に膝をつき、絶望に満ちた顔で頭を抱える。
路地裏の冷たい風が吹き抜け、遠くでパトカーのサイレンの音が近づいてくるのが聞こえた。国家のシステムという巨大な歯車が、自分たちという「誤差」を排除するために動き出している。
だが、相馬の表情に焦りはなかった。
むしろその瞳の奥には、冷徹な光が宿っていた。
「泣いても何も変わらない。立歩け、佐藤」
「え……?」
「お前を消そうとした連中と、俺を消した連中は同じだ。そして、奴らはこの国の行政システムの中枢にいる」
相馬は路地裏の影から、明るい大通りへと目を向けた。
「国家のシステムが俺たちを消したと言うなら――その仕組みごと、すべてひっくり返してやればいい」
完全なるアウェイ。武器も身分も奪われた元・官僚の男が、日本という巨大な迷宮の中で、反撃の狼煙を上げる。




