↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
日本国・特別住民除籍係の記録  作者: ライド


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
1/24

第1話 存在しない男

午前二時の新宿歌舞伎町。ネオンの看板が濡れたアスファルトを青赤と妖しく照らし、通りには終電を逃した酔客や、深夜営業の店へと消えていく人々が行き交っていた。

 相馬蒼(そうまあおい)は、雑居ビルの隙間にある狭い路地裏で、煙草の煙を吐き出す男を少し離れた位置から観察していた。

 着古したグレーのパーカーに身を包んだ三十代前半の男。名前は佐藤学(さとうまなぶ)。

 三日前まで、彼はごく普通のシステムエンジニアとして都内のIT企業に勤めていた。しかし現在の彼は、日本のあらゆる行政データベースにおいて「存在しない」扱いになっている。

「……相馬先輩、対象を確認しました。戸籍、マイナンバー、保険証データ、すべて先ほど完全に削除完了のマークがつきました」

 耳元に装着した極小のイヤホンから、配属されて二ヶ月の新人・結城(ゆうき)の緊張した声が聞こえてくる。結城は数百メートル離れた路地に停めた偽装車両の中で、ノートPCの画面と格闘しているはずだ。

「了解。周囲の防犯カメラのログは」

「本庁の交通課および警視庁Nシステムを含め、当該エリアの映像データから彼に関するフレームのみリアルタイムで自動補正・消去処理が入っています。彼が今そこを歩いていても、監視カメラの記録上、彼は『最初から映っていない』ことになります」

「結構」

 相馬はポケットから黒い革手袋を取り出し、手に嵌めた。

 これが、内閣府直属の非公式部署『特別住民除籍係』の仕事だ。

 法律の限界を超えた不都合な事件、国家的な情報漏洩の危険を孕んだ人物、あるいはシステム上の理由で「社会から完全に切り離さなければならない人間」。それらの存在を、暴力ではなく「行政データとデジタル記録の完全抹消」によって抹殺する。

 殺すわけではない。ただ、日本という社会のあらゆるシステムから「いなかったこと」にするだけだ。

 相馬は足音を立てずに歩き出し、パーカーの男——佐藤の背後に近づいた。

「佐藤学さん」

 低い声で呼びかけると、男は肩を跳ねさせ、驚いたように振り返った。

「な、誰だ……? 俺を知ってるのか?」

「あなたのスマートフォンは一分前に圏外になり、保持しているクレジットカードはすべて無効化されました。銀行口座は凍結され、賃貸契約も解除手続きが完了しています。あなたの身元を証明する手段は、今この瞬間、地球上のどこにもありません」

 相馬は淡々とした声で言い放つ。佐藤の顔から急速に血の気が引いていくのが、路地裏の街灯に照らされてよく見えた。

「な、何を言ってるんだ……気違いか? 警察を叫ぶぞ!」

「呼んでも構いませんよ」

 相馬は表情一つ変えずに続けた。

「ですが、警察官が駆けつけてあなたの身元を確認しようとしても、身元照会システムには何も表示されません。あなたの指紋データも、警察庁のデータベースからすでに削除されています。彼らから見れば、あなたは『存在しない架空の人間』であり、身元不明の不審者として処理されるだけです」

「そんな……バカな……! 俺は……俺はただ、会社の裏金データをちょっと見ただけで……!」

 佐藤が震える声で叫び、後ずさりする。

(やはりな)

 相馬は心の中で納得した。

 今回、上層部から「即刻除籍」の命令が下りた理由は、単なる失踪や事件事故の偽装ではなかった。佐藤が務めていたIT企業は、大手官僚組織とパイプを持つインフラ系のシステム開発会社だ。そこで彼が「見てはいけないデータ」に触れてしまったため、国家の息がかかったこの除籍係に依頼が回ってきたのだ。

「佐藤さん。あなたに選択肢は二つあります」

 相馬は懐から、一冊の真新しいパスポートと、印字されていない一枚のICカードを取り出した。

「一つ目。このまま『存在しない人間』として街を彷徨うこと。誰とも契約できず、医療も受けられず、逮捕されても名前すら残らない。二つ目はこのカードを受け取り、提示された場所へ行くこと。そこでは別の名前と戸籍が用意され、二度と東京に戻らないことを条件に、新しい人生が保障されます」

 佐藤は息を呑み、相馬の手元にあるカードと、相馬の冷ややかな目交互に見つめた。

「君は……君たちは一体、何なんだ……?」

「ただの公務員ですよ。制度の隙間を掃除するだけの」

 その時だった。

『相馬先輩、緊急事態です!』

 イヤホン越しに結城の悲鳴に近い声が跳ね跳んだ。

『何だ』

『た、たった今、除籍係のメインサーバーに外部から侵入がありました! 対象・佐藤学のデータ消去処理に対して、上位権限によるオーバーライド(上書き)がかけられています!』

「何……?」

 相馬の眉がわずかに動く。

 特別住民除籍係のアクセス権限は内閣府の最深部に位置している。それを上書きできる存在など、この国に存在するはずがなかった。

『データが書き換えられています……! 佐藤学の戸籍消去がキャンセルされ、代わりに……代わりに……!』

「落ち着け、結城。何が書き換えられた」

『相馬先輩……! 先輩の戸籍とIDが今、システムから『除籍』処理されています!』

 夜の歌舞伎町の静寂の中、相馬の端末が一瞬だけ電子音を鳴らし、画面上の「認可ステータス」が真っ赤なエラー表示へと変わった。

 社会から消去されたのは、目前の男ではなく——自分自身だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。