第10話 退路なき包囲網
東十条のアパートの廊下に、冷たい朝の空気が流れ込んでいた。
結城は手早くノートPCを防水バックパックに押し込み、相馬から渡された使い捨て端末のバッテリーをその場で外して破壊した。
「先輩、基地局スキャンのシグナルが急速に接近しています。あと三分でこのブロック全体が電波補足の網に入ります!」
「行くぞ。裏の非常階段からだ」
相馬は佐藤の腕を強引に引き寄せ、部屋のドアを静かに閉めた。
木造の古い階段を足音を殺して下り、アパートの裏手にある狭い私道へと出る。両側を古びた民家のブロック塀に囲まれた、車一基通れないほどの路地だ。
「おい……表の通りに、黒いワンボックスカーが止まってるぞ……!」
先頭を歩いていた佐藤が悲鳴に近い声を殺して足を止めた。
路地の出口、表通りとの交差点に、スモークガラスのワンボックスカーが静かに停車していた。車内から降りてきた男たちは、作業員のような服装をしているものの、その隙のない立ち振る舞いと耳元に装着された無線インカムが、彼らが民間人でないことを雄弁に物語っていた。
「特定政策調整室の実行部隊だ」
相馬は瞬時に状況を分析した。
「神谷が拘束される直前に、このエリアのログを上に打診したな。奴らは俺たちが『除籍係の古い拠点』を使う可能性を計算に入れていた」
「挟み撃ちですか……!?」
結城が振り返ると、アパートの反対側の路地からも、同様の男たちが静かに距離を詰めてくるのが見えた。退路は完全に塞がれている。
「相馬さん……もうダメだ……捕まったら消される……!」
佐藤が壁に背を預け、恐怖で膝を震わせる。
「諦めるのはまだ早い。奴らは『銃や刃物で俺たちを殺害する』ことはできない」
相馬は冷徹な声で二人に向かって言い放った。
「ここは住宅街のど真ん中だ。暴力事件を起こして警察の事件データに残れば、国家の裏で動いている奴らにとっても致命的なバグになる。奴らの狙いは、俺たちを安全な場所へ拉致し、行政手続き上で『病死』か『完全な自己都合による失踪』として処理することだ」
「つまり……暴力ではなく、拘束を狙ってくるってことですね」
「そうだ。なら、こちらが突くべき隙は一つしかない」
相馬はポケットから、東洋都市総合研究所の地下から回収したアタッシュケースの金属製鍵パーツを取り出した。
「結城、アパートの電送盤にアクセスした時の外部接続スクリプトは生きているか」
「はい! ローカルに保存してあります!」
「路地の角にある自動販売機のスマート決済ユニットに接続しろ。一秒間だけ、過電流のアラートを本庁の防災センターへ飛ばす」
結城は即座に指を走らせた。
次の瞬間、路地に設置された自動販売機の制御システムが異常電力を検知し、甲高い警告音とともに、街頭の防犯緊急通報スピーカーが周囲に響き渡った。
『警告、異常電圧を検知しました。警備会社および警察へ自動通報を行います』
静まり返っていた住宅街に、大音量の警告音が木霊する。近隣の民家の窓が次々と開き、住人たちが顔を出し始めた。
「何だ……!? 警報器か!?」
接近してきていた実行部隊の男たちの足が一瞬、止まった。人目を避けるはずの潜伏任務において、この突発的な大音量と住人たちの視線は致命的な障害となる。
「今だ、走れ!」
相馬の鋭い指示とともに、三人は混乱する男たちの隙間を突き、表通りへと一気に駆け出した。




