第八話 届かない気持ち
朝露に湿った土や草の匂いが漂う。
朝の村はもう動いていた。
井戸端で洗濯をする音や話し声、薪を割る乾いた音、味噌汁の匂い。
サトは井戸から水を汲み、桶を持った。細い肩が重さを耐える。
昨日より重く感じるのは、寝不足のせいかもしれない。
裏に回って薪を割る。斧を振るうたび、手のひらに衝撃が残る。刃は少し鈍っている。割れ目が思ったように走らない。
「もう...」口に出してから、すぐに口を閉じる
独り言が増えると、余計に静けさがのしかかってくる。
足音。
振り向く前にわかる。
ケイが来た。
肩に縄、手にはあの黒い斧。
「朝からやってるな」
「うん。溜まってたから」
ケイが、散らばった薪を見て、すぐ手を出す。
「まとめとくか」
「いいってば」
言いながらも、サトの手が一瞬遅れる。その隙に、ケイが薪を集める。
「薪割りはキツいよな」
「平気」
ケイは集めた薪を縄で縛る。軽い動き。
サトは横目で斧を見る。黒い刃が朝の光を吸っている。
広場の方から笑い声が近づいて来た。年上の娘たちだ。
「ケイ、また山?」
「今度は何本倒したの?」
「その斧、良さそうねえ」
ケイは軽く笑う。
「まあな」
娘たちは近づいてくる。
「触っていい?」
「重くないの?」
ケイが差し出す。娘のひとりが持ってみるが、すぐ顔をしかめる。
「変な感じ」
もう一人の娘も持ってみる。
「あぁ...軽いのに、なんか嫌な感じ」
サトは少し離れて見ていた。何も言わない。
何か言いたいのに、言葉が出てこない。
娘たちはくすくす笑う。
「サトは触らないの?」
「やめときなよ、子供には危ないよ」
サトは首を振る。
「触らなくて、いい」
ケイがちらりと見る。
「触ってみるか」
「いいって」
サトは口をへの字に曲げて悲しそうな目つきになった。
娘たちが顔を見合わせる。
「ほんと、遠慮ばっかりだねえ」
「ケイが可哀想」
サトはむっとする。
だが、何も言えない。
「やめろって」ケイが困った顔で言った
娘たちは笑いながら離れていく。
若い娘たちの華やかさが遠のくと、場の空気がしんみりとした。
サトが口を開く。
「別に平気なのに」
「何が」
「さっきの」
ケイは薪を担ぎながらサトを見下ろす。
「平気な顔じゃなかった。つらそうだった」
「大丈夫」
そう言ってサトはうつむいた。
図星だと、どうしてこう言い返したくなるのだろう。
「お前、ああいうの苦手だろ」
「うん」
素直に出た。
言ってから、しまったと思う。
ケイが微笑む。
「知ってる」
その言い方は軽いのに優しい。
サトは顔をそむけてしまった。耳が熱い...
家の前に戻る。
ケイが真っ直ぐな目でサトを見下ろして言った。
「なぁ、困った事があったら言えよ」
サトはケイから目を逸らして言った。
「大丈夫。放っといて」
サトは自分の吐いた言葉にゾッとした。ひどい言葉。
ケイが驚いたように振り返ってサトを見下ろす。
「何でだよ」
「自分でやれるから」
言った瞬間、サトは胸苦しくなった。
本当は違う。たぶん自分ではできない事ばかり...
でも言えない。
頼ったら、ケイの負担になる。
ケイしばらくジッとサトの家を眺めていた。
肩を落として。
「そうか」
それだけ言って、道具を持ち直す。
「山、行ってくる」
「うん」
それ以上が言葉が出ない。
ケイが背を向ける。
黒い斧が肩で揺れる。
呼び止めたい。
でも、言えない...
昼過ぎ、村の空気が変わった。
どこか浮ついている。人の声が増える。
広場に人が集まっている。
ケイが戻ってきた。
荷車に積まれた木。太くて、まっすぐだ。
「もう切ってきたの?」
「早いねえ」
ザワザワと村人たちの声が上がる。
ケイは軽く笑う。
「運が良かった」
運じゃないと、サトには何となくわかった。
あの斧だ。
娘たちがまた近づいてきた。
「すごいね」
「ケイはもう村一番かな」
ケイの腕に気軽に触れる。背中にもたれかかる。
サトは少し離れたところで見ている。
でもケイのそばに行けない。足が動かない。
ケイが困った顔で笑っている。
だが、娘たちを払いのけない。
サトは胸が苦しくなった。
何だこれ、と戸惑う。
自分でもわからない。
ケイが荷を下ろし終えて丸太の一つに腰掛けていた。
もう、周りに人はいない。
サトはようやく近づけた。
「いっぱい切ったね」
「まあな」ケイの顔が誇らしげだ
でも、その笑いを少し遠く感じる。
サトは言葉を探す。
何か言わないと。
「無理し過ぎてない?」
「全然、してない」
ケイは軽々と答えた。
サトはうなずく。
でも、もう何を言えば良いのか、言葉が出ない。
ケイが一歩近づいた。
サトは下がってしまった。
そんな自分に、息が詰まる。
ケイの顔が曇る。
「やっぱり邪魔か...」
「違うよ」
今度は強く言い返した。
でも、それ以上が出ない。
ケイは少しだけ黙ってから笑う。
「ならいい」
そのまま背を向けて離れて行った。
夜。
戸の隙間は昨日よりは良くなった。
それでも隙間風は入る。
サトはあきらめて、古びた掛け布団を肩まで引っ張り上げた。
「平気...」
声に出す。誰もいない。
遠くで、木を打つ音。昨日より速い。
サトは耳を澄ます。
胸の奥が落ち着かない。
音は止まない。
虫の音に混じって、ずっと続いている。
サトは強く目をつぶった。
自分には何もできない。
そして、木を打つ音が続く。




