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第四話 山小屋

裏山に入ると、空気が変わった。

村で嗅いでいた味噌や煙の匂いが消えて、湿った土と木の匂いだけになる。

足元は柔らかく、踏むとじんわりと沈む。


「この辺りからだな」ソウジが言った


ケイは背負った道具を少し持ち直す。肩に食い込む縄の感触が変わる。

さっきまで軽かったのに、山に入ると急に重く感じる。


「木、見分けつくか」

「まっすぐなやつだろ」

「それだけじゃない。年輪が詰まってるやつを選べ」


ソウジは歩きながら、幹を軽く叩く。コン、と乾いた音が返る木もあれば、鈍く濁るものもある。


「音でわかる」

「まだわからないなぁ」

「そのうち嫌でもわかるさ」


少し進んだところで、ソウジが立ち止まった。一本の木を見上げる。まっすぐ伸びて、枝ぶりもいい。


「これは良い」


ケイは頷いて、斧を構えた。

一打目を入れる。ガツッと鈍い音がした。

刃が浅くしか入らない。

「硬いな」


二打、三打と振る。悪い衝撃で腕が痺れる。

刃先が木に負ける。幾らも深く刃が入らない。


ソウジも別の木に斧を入れてみたが、同じような手応えだった。


「思ったより手ごわいな」

「裏山の木はこういうのが多いぞ」


ケイはもう一度振り下ろす。

斧が食い込むが、思ったほど進まない。刃を引き抜くと、わずかに欠けている。

「またか...刃が弱いんだよ」

「腕のせいにされたくないか」

「されたくないな」


ソウジは少し笑ったが、すぐ真顔に戻った。

「今日は深追いせん方がいいかもしれん」

「まだやれるよ」

「やれるかどうかじゃない」


ソウジは斧の刃を指でなぞって、欠けた部分を確かめた。

「これ以上やると、全部だめにする」


ケイは口をつぐんだ。

正しいのはわかるが、ここで引くのは悔しい。

「一本だけでも倒そうや」

「意地を張るな。今日はやめだ」


言われても、手を止めたくはない。

もう一度振る。肩がきしむ。手のひらがジワジワと痛い。


その時、ふいに風が吹き抜けた。

木々の葉が揺れて、光がちらつく。


ケイは斧を止めた。

「何だ」


周りを見るが何もいない。鳥の声も遠い。

さっきまであった山の様々な音が、すーっと引いたように静かになっていた。


「気にするなぁ。山にはこういう時もある」ソウジが言った


ケイは頷いたが、さっきの一瞬が頭に残った。

誰かに見られたような感じがあった。


「今日はここまでにするぞ。一度戻って、刃を直すべぇ」ソウジが言う。

「わかった...」

ケイは斧を肩にかけた。

戻りかけて、もう一度だけ振り返る。

さっき打っていた木の切り口が、妙に黒く見えたような気がした。


 


小屋は、谷のくぼみにあった。

板壁は古く、ところどころ隙間がある。屋根の苔が湿って、色が濃い。


中に入ると、ひんやりとしていた。

隙間風が入るのか、囲炉裏の周りが灰で汚れている。踏むと木の床がきしむ。


「今日はここで休むぞ」ソウジが言った

ケイは荷を下ろして、壁にもたれた。

「はぁ〜っ...」気の抜けたような声が出る。

肩が軽くなる。しかし、腕のだるさは残っている。


「明日はもう少し上を見るか。ここより良い木があるかもしれん」寝っ転がったソウジが屋根裏を見ながらつぶやいた

ケイは竹筒の水を飲みながらうなずいた。


「ケイよ、斧、もう一本持っていくか」

「だなぁ」ケイも寝っ転がって答えた


その時、外でパキッと乾いた音がした。

二人とも音の方に顔を向けた。

「鹿か?」ケイが聞いた


ソウジはすぐには答えず、耳をすます。

風は無い。枝の揺れる音もしない。


パキッ

また、音がした。

今度は、さっきより近い。


「外、見てくるよ」

ケイが立ち上がると、ソウジが手を伸ばした。


「待て」その声はソウジにしてはいかめしかった

「音のする方には、すぐには行くな」


ケイは止まった。


「獣なら逃げる。人なら声を出す」ソウジの眼差しが厳しい

「そうか」


二人はそのまましばらく動かずにいた。

音は、それ以上しなかった。


「気のせいかもしれん」

ソウジが言った。


ケイは座り直したが、落ち着かない。

さっきの音が、ただの枝の折れる音とは違う気がした。


 


日が傾いてきた。

小屋の中に薄い影が伸びる。外の光が弱くなっていく。


ケイは火を起こした。乾いた枝に火がつく。ぱち、と小さくはぜる音。煙が少し上がる。


「今日はこれでいい」

ソウジが言う。

「無理してもろくなことにならん」


ケイは火を見ながらうなずいた。

「なあ、爺さま...」

「何だ」

「良い斧は、どれくらい違うんだ?」


ソウジは少し考えた。

「木によるな」

「裏山の硬いやつだと」

「倍は違う」

「倍か...」


ケイは火をつついた。

倍あれば、今日の木も倒せたかもしれない。刃を欠くこともなかった。


「でもな」

ソウジが続ける。

「切れ過ぎる道具は、使う人間を狂わせることもあるぞ」

「そんなことあるか」

「ある」ソウジは自分の言葉にうなずいた


ケイは黙った。

さっきの黒い切り口が頭に浮かぶ。



外が暗くなる。

囲炉裏の火だけが、部屋を照らす。

壁に二人の影がゆらゆらと揺れる。


ケイは床の硬さを感じながら寝ていた。

目を閉じても、すぐには眠れない。


昼のことが浮かぶ。

戸の隙間。焼きおにぎり。


サトの顔。

「慣れてるもん」


あの言い方が引っかかる。

慣れてる、なんて言うなよ。

そう思う。


それが何なのか、うまく言葉にならない。

ただ、あのままにしておくのは違う気がする。

俺がもっと稼げたら。

もっと早く、もっとたくさん木を切れたら。


ケイは目を開けた。

「爺さま」

「何だ」

「裏山の木、全部倒せたらさ」

「無理じゃな」

「仮にだよ」

「仮でも無理じゃ」


ケイは乾いた笑いが出た。

「じゃあ、いい斧があったらどうだ」


ソウジは答えなかった。


しばらくしてから、低く言った。

「そういう話は、ここではするな」


ケイは屋根裏を見た。

真っ暗だ。

その暗がりの向こうに、何かがあるような気がした。


外で、また音がした。

今度は、はっきりと。


コツ...


何かが、戸に触れる音がした。

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