第三話 裏山へ
昼を少し回るころ、ケイはソウジの家へ寄った。
軒先ではソウジが斧の柄を締めている。削りたての木の匂いと、油の匂いがした。
「遅かったな」
「サトんとこ寄ってた」
「ほう」
ソウジは顔も上げずに言う。
それだけで、何だか見透かされたような気がして、ケイは薪を下ろしながら鼻の頭をかいた。
「戸がまたずれてたから」
「ほう」
「それだけだよ」
「誰も何も言っとらん」
ケイは少しむっとした。
「爺さま、最近そういう顔多いよ」
「どういう顔じゃい」
「わかってるくせに黙ってる顔」
ソウジがようやく顔を上げた。目尻に細い皺が寄っている。
「わしが何をわかっとると?」
「知らないよ」
「知らんなら気にするな」
「気になる言い方するからだろ」
ソウジは肩を揺らして笑った。
それから、締めたばかりの斧を一度持ち上げ、重みを確かめる。
「おまえはな」
「うん」
「気になる娘の前ほど、どうでもええ顔をする」
「何だよそれ」
「図星か」
「違うって」
反射みたいに否定してから、ケイは口をつぐんだ。
違う、と言い切るほどでもない気がしたからだ。
サトのことは、たしかに気になる。
一人で何でもやってしまうところも、無理をして平気な顔をするところも、見ていて放っておけない。
だが、それが何なのかと聞かれると、よくわからない。
ただ、あの家の戸の隙間や、昼飯の少なさを見ると、胸のあたりが落ち着かなくなる。
ソウジはそんなケイの顔を見て、また少し笑った。
「まあええ。若いのは勝手に考えろ」
「爺さま、絶対おもしろがってる」
「少しはな」
そう言いながらヨロリと立ち上がると、裏山へ持って行く道具をまとめ始めた。
斧、砥石、縄、木槌。だが途中で、ソウジは眉をひそめた。
「しまった」
「何」
「細いノミを置いて来た」
「なくても何とかなるんじゃないの」
「おまえはいつも何とかで済ませるのぉ」
ソウジは道具袋を確かめながら、ぶつぶつ言った。
ケイはその横で、斧の刃を光にかざして見る。
裏山の木は硬い。今ある斧でも切れなくはないが、すぐ鈍る。
昨日もその前も、何度も刃をだめにした。
「もっと丈夫なのがあればな」
思わずそうこぼすと、ソウジがちらりとこちらを見た。
「丈夫なだけの道具はろくでもない。切れ過ぎる道具は危うい」
「また爺さまの道具談義」
「これは年寄りの嫌な予感じゃよ」
「嫌な予感ばっかりだなぁ」
「長く生きると、そういうのが増えてくるぞ」
ケイは苦笑した。
だが、本音を言えば、良い斧がほしかった。
もっと切れて、もっと長持ちして、もっと早く仕事を片づけられるものが。
そうすれば、裏山の木ももっとたくさん出せるし、稼ぎも増える。
稼ぎが増えれば、自分のことだけじゃない、困っている家にも手が回る。
さっき見たサトの家の戸が、ふいに頭に浮かんだ。
あの家は風が入る。冬は寒いだろう。雨の夜も、きっとろくに眠れない。
せめて隙間くらい、ちゃんと直せたら...
ソウジが荷を背負いながら言った。
「行くぞ」
「うん」
二人は村のはずれへ向かって歩き出した。
夕方にはまだ早いが、山の方には薄い雲が溜まっている。風が少し湿っていた。
道の途中で、ケイは村を一度振り返った。
サトの家の屋根が、木々の隙間に小さく見える。戸口にはもう姿はない。
たぶん、今ごろ裏で薪を割っているか、畑の畝を見ているころだ。
「何だ」前を行くソウジが言った
「別に」
「そうか」
ケイは黙った。
だが胸の中には、さっきの焼きおにぎりを受け取ったサトの表情と、戸の隙間から入る風のことが残っていた。
それが、自分にとって何なのかは、まだわからなかった。
ただ、裏山の木を見て来たら、今度はもっとましな板を切り出してやろうと、そんなことを考えていた。
村の音が少しずつ遠くなる。
鶏の声も、女たちの笑い声も、もう聞こえない。
かわりに、湿った土を踏む音と、木々の枝葉のこすれる音。
ソウジが前を向いたまま言った。
「裏山に入ったら、余計なことは喋るなよ」
「まだ明るいよ」
「明るくても山は山じゃ」
「はいはい」
「返事が軽い」
「爺さまは慎重だな」
ソウジはふっと鼻で笑ったが、そのあと少し間を置いて、低く続けた。
「夜になって、もし戸の外に誰か立ってもな...」
「うん」
「向こうから口をきくまでは、こっちは黙っとれ」
「また鬼刃の話?」
「そう、またじゃ」
ケイは笑って受け流した。
だが、笑ったあとで、ほんの少しだけ背中が冷えた。
山道の先は暗くない。木洩れ日もある。
なのに、そう言われると、まだ見えない裏山の奥に、口を閉じた何かが立っているような気がする。
「喋らなきゃいいんだろ」
「おまえはそれが苦手そうじゃ」
「そうかなぁ」
「当たっていると思うぞ」
ケイはまた笑った。
けれど、その笑いは力が無かった。
二人はずいずいと裏山に入って行った。




