第十三話 踏み越える
近い。サトはそう思う。
まだ何も見えないのに、あそこにいる気がする。
コツ、コツ...
微かにあの音が聞こえる。
サトの歩幅が少し速くなる。気づかないままソウジを追い越し、前に出る。
ソウジの手がサトの肩をつかみ、引き戻した。
それでもサトはソウジの手を振り払って前に出る。
今、行かなくちゃ...
サトはそう思った。
サトの足がさらに速まる。その視線が一点を見つめる。
はっきりと音が聞こえてきた。
コツ、コツ...
サトは踏み出す。気が急いて脚がもつれ、木の根を踏んだ草履が滑った。
体が前に傾く。倒れそうになりながら足を踏み出した。
さっきまであった怖さが、薄くなっていく。
代わりに、妙な確信が広がる。
近い。今なら行ける。
そう思う理由はない。
それでもサトはさらに前に出る。足が軽い。体が勝手に進む。
とどまる理由が浮かばない。視線が前方に集まり周りがぼやけてきた。
コツ、コツ...
音がはっきりする。もう少し進めば見える。今ならケイを連れて帰れる。
昨日はうまく行かなかった。だが今は違う。今なら間に合う。きっと!
サトから迷いが消えた。もう一歩、もう一歩と体が進む。
激しい呼吸。しかしその苦しさも感じずに追い求める。
突然、背後から強く引っ張られた。
襟首をつかまれ体が宙に浮く。
そして、山道に叩きつけられた。背中に硬い衝撃が走る。
息が詰まる。視界が定まらない。
背中が痛い。
サトはそのまま動けずに胸を激しく上下させた。空気を吸おうとするが、うまく入らない。
さっきまでの高まっていた感覚が急に遠のく。
自分は何をしていたのか...
前へ前へと走った。
今なら行けると思っていた。ケイを連れて帰れると確信していた。
どうしてそう思ったのか、わからない。
サトは痛みに体を震わせながら起き上がった。
さっきまで目指していた前を見ると、ただ木立があるだけ。
あの音もしない。
さっきまで確かにあったはずの何かが消えている。
サトが振り返ると、ソウジが無言でこちらを見ている。
暗い表情。
怖い。
あれは、助けられたのかもしれない。
自分はたぶん変になっていた。
それでも体がすくむ。
ためらいも無く自分を叩きつけた。あの瞬間が頭に残る。
サトは視線を落とす。泥だらけの手が震える。
あのまま自分一人で行っていたら、どうなっていたのだろう...
ソウジは何も言わず、先へと歩き出した。
サトは痛む体に呼吸を乱しながら、少し遅れてソウジの背を追う。
しかし、距離を取る。近づきすぎないように。
さっきの恐ろしさが頭から離れない。
音は無い。それでもまた聞こえる気がする。
サトは歩く。怖い。山も、ケイも、ソウジも。
どれも信用できない。それでもソウジの後について行く。
木の間を抜ける。空気がまた変わる。
かすかに音がした。
コツ...
サトの足が止まった。今度は止めた。胸の奥がキリキリと痛む。
視線を前に向けて、深く息を吸い込んだ。




