84 貴族の夢②
帰って早々、庭にいたイワンを見つけた。
「坊ちゃん、おかえりなさいませ。近衛の副長になったとお聞きしました。おめでとうございます。ささやかなお祝いですが、お部屋に花を飾りました。どうか愛でてやってください」
「ただいまイワン。ありがとう。副長になったことロノフスにも伝えたら、また庭にくるよ」
そういった後のイワンの驚いた顔が不思議に映ったけど、ロノフスに早く伝えたくて、急ぐ俺の頭からその疑問はすぐに消えた。
でもそれが何を意味していたのかはすぐに分かる。
「なんで! なんで誰も教えなかった! 俺は聞いてないぞ! なんでロノフスがいないんだ!」
ロノフスは家中探してもいなかった。
領地に転属していたのだ。公爵家を辞めたわけではないので会おうと思えば会えるが近衛の所属になった今、王宮を離れるわけにはいかない。──会える気がしなかった。
近衛の副長という席はロノフスがいたからこそだと思っている。
甘やかさずに現実を教えてくれ、付き添ってくれた。寝込んだ時も「体調管理ができないようでは騎士にはなれませんよ」といいながらもずっとついていてくれた。
だから自分の口から伝えたかった。
ありがとう、と。
新たに執事になっていたのはロノフスの息子のハロン。
ロノフスの後を継ぐのだとずいぶん前から父に教えを乞うていたが、それを見て漠然と、この家の執事はハロンが継いで、辞した後のロノフスは俺が連れて行くのだと思っていた。
そう、フルールのように、ハンナと一緒にいるのが当然だと思っていたフルールと同じことを思っていたのだ。
家族よりも家族で、世話をかけた分その恩は使用人としてではなく祖父のように返そうと思っていた。それこそ葬儀は自分が取り仕切ってやると考えるほどに。
だからフルールの気持ちが痛い程わかる。
家族だけど家族じゃない、どうしようもないその現実が回避できない。
ましてフルールとハンナの関係は、俺とロノフスよりも手強い。
ノルディン事件。
たぶんフルールはこの事件を知らない。
俺も生まれるずっと前だから知らなくても当然だが騎士は職業柄、質の悪い事件や貴族の関与した事件は叩き込まれる。だからこの事件は騎士なら誰もが知っている。質が悪い上に貴族が関与しているのだから。当然下った処分もその後の対処もすべて。
そんな経緯から、ハンナが仕える家をこれ以上移れない事も知っていた。
ノルディン事件の子どもたちは、伯爵位以下の貴族の養子となりある程度の教育を施された上で職業を選ぶことができた。
ハンナと妹のクララは当時のライクラ子爵家の養女となり、シュトラーゼ侯爵家に仕えた。
姉妹で引き取ってくれるところならどこでもいいとのハンナの希望に手を上げたのが、シュトラーゼだった。そしてハンナは特例のもとナート家に移った。
しかしここからが問題でハンナとクララを養女にしたライクラ子爵は十年ほど前に没落した。縁故も絶え、跡継ぎに恵まれなく爵位を返上したのだ。
それならば、養女としたハンナでもクララでも婿を取ればよいではないかとなりそうなものだが、そこには一線が引かれていた。引き取りに際し、ノルディンの経緯で養子となった者には継承させないとの文言が入った。
それはお家騒動になりかねない家もあったからだ。
そして子どもたちの中にも、跡継ぎになるような教育を受けてもないし、今更そんなことはしたくない。もう大人の口車に乗って痛い目を見るのは懲り懲りだという気持ちをまっすぐ口にした子もいた。
だからライクラ子爵はそのまま絶えるしかなかった。因ってハンナもクララも拠り所はすでにないのだ。
このような事情でもどのような事情でも、大元が陥落しても本人たちの爵位は残るように計らわれているわけだが、ハンナもクララもあまり貴族にこだわりは見られない。仕える家の恥にならぬよう、そこだけを重視してきたのでそれさえ認めてもらえれば自身の爵位などあってもなくても関係ないという姿勢が強い。
しかし、職を辞してしまえばその身一つで生計を立てなければいけなくなる。そうなれば爵位があろうがなかろうが同じだ。平民と同じ生活をするところにちょくちょく侯爵夫人が訪ねるわけにもいかないだろう。
もっと言ってしまえば、その際に立ち会うどころか、亡くなった事さえも知らずに過ごすことにもなるだろう。
ロノフスは幸いに息子がいるからそんな事にはならないが、フルールとハンナの関係が手強いのはこの事情が横たわっているからだ。
車窓を眺めているフルール。流れていゆく景色をぼんやり見ているのだろう。心ここにあらずといった様子だ。
「フルールはハンナに今までと同じように仕えて欲しかったのか?」
「いいえ……ゆっくり休んでもらおうと思って。それで子どもができたら子守歌をうたってほしかったの。ハンナの、歌声は、……ってもきれいなの」
言葉にした途端堪えきれない想いが涙になる。
昨日ハンナとの別れを聞いたそうだ。
まだ気持ちが追い付かないのも無理はない。
ちっぽけな夢だと思う人はいるかもしれない。
でもそのちっぽけな夢さえ叶えられないことが貴族にはままあるのだ。
「フルール、────になってくれるか?」




