83 貴族の夢①
「フルール、やはりハンナと一緒が良かったか……」
少し落ち着いたフルールは言葉もなく馬車の揺れに身をゆだねている。
「いいとか悪いではなくて……離れることがあると思ったことがなかったの……」
「そうか……」
俺にも覚えがある。
今のフルールは、ロノフスがずっと側にいるわけではないと知らされた時の俺だ。
生まれたときから母の生き写しだと言われた美貌は俺を苦しめた。
兄も部分的に母の面影があるが、どちらかと言えば精悍な父親似で、“美貌”というよりは“整った顔”だった。
この中世的な顔立ちは男として生まれたからなのか、何処へ行っても人を誑かし狂わせた。美貌と言うよりもはや呪いに近い。
しかし母にそんなことは言えず、母に瓜二つの俺を溺愛する隣国の伯父にはもっと言えなかった。
誘拐未遂が続けば「そんな者などすぐに始末してやる」と口癖のようにいう伯父に対し、この人は本当にやるだろうと思えたのだから、心の内を打ち明ける術はない。
誰かの耳に入れば伯父の耳に入ったも同じで、それは血生臭い事件に直結するのだ。それが嫌だった。自分で怖い思いはしても、それを誰かに返すのはこわくて、そっとしておいてほしかった。
幼少期から色々な意味で狙われていた俺は、ふさぎ込み人間不信となり、使用人でさえも近づくことは許さなかった。そのくらい気を張って生活していて、父も母も多忙で留守がちな家は常にピリピリしていた。
兄は家にいるにはいたが、筆頭公爵の嫡男としての教育は多岐に渡り、常に時間に追われていた。そのせいで顔を合わすこともなく他人のようだった。今なら兄が子どもながらにどれほど大変だったかわかるが、あの時の俺には自分以外を気づかう余裕などなく、人に会わない籠城生活の中にのみ安らぎを求めた。
それに付き合ってくれていたのがロノフスだ。
外に出ろとは言わずに、好きなものだけをそっと置いていく。たまに入って来ては空気の入れ替えやリネンの交換をして出ていく。むりやり外に連れ出されたことは一度もない。
そのうち庭師のイワンが用意してくれる花を飾るようになって、外との繋がりを感じさせてくれるようになると、少しずつ行動範囲を広げていった。
今思えば父も母も、あの時は公爵家に取り入ろうとする者や、その反対に、何とかその力を削ごうとする者たちの排除をしていたのだと思う。だから俺が籠っているのは丁度よく、目隠しをすることなくその暗部を見せなくて済むのなら引き籠っていてくれるのは、親として安心だったのだろう。
ある時期を境に不穏な空気がぴたりと止み、父も母も家にいる時間が多くなった。使用人からの視線も減った。それはある程度処分がおわり、その息のかかった使用人も排除したということだったのだろう。
俺の顔に過剰に反応した者に便乗し、公爵家の子どもを誘拐するのではなく、麗しの美貌をもつ子どもを誘拐するのだとした輩もすべて捕まったらしい。
どこまでがこの顔の呪いにかかった者で、どこからが政敵だったのかはわからないが、俺が庭に出てイワンと花の手入れをするようになった頃には、家の中も風通りが良くなっていた。
騎士になりたいとぼんやり考えるようになったのはそんな時で、それまでの恐怖が拭い去れなかったのかもしれない。公爵家の私兵を以てしても、狙われるときは狙われる。特に使用人の中に手引きする者がいれば最後は自分で自分の身を守るしかないのだ。
誰かに頼るよりも、自分が一番頼りになるのであればそれが一番の安心材料となる。そんなことを考えた末の騎士だった。
その思いをロノフスに伝えれば先ずは体作りからと言われ、私兵に教えを仰ぎたかった俺は消沈したが、ロノフスの中では最初から私兵に託すという考えはなかったようだ。たぶん俺の気持ちがどれほどのものか試してから、その先を決めようとしたのだろう。
ロノフスに認められ私兵と練習を共にするようになっても、朝の走り込みから、素振り、筋肉をつけるための食事、就寝時間、すべてロノフスが管理してくれた。ロノフスにも仕事があるのに、いつ寝ているのだと思うほど力になってくれていた。
ずっと一緒にいてくれた。
さあ明日からは騎士団ですよ、というときも「坊ちゃんおめでとうございます」と何も変わらない笑顔で送り出してくれた。公爵家の息子だからと宿舎に入らないわけにはいかない。騎士団は爵位無用の実力重視だ。一兵卒は皆同じ規則で動くのだ。その笑顔が心を穏やかにしてくれて、気負うことなく騎士団の門を叩けた。
最初の一年は本当にきつかった。覚悟してきたといえ、別の覚悟が足りなかった。ごつい男の中に綺麗な顔があるということがわかっていなかった。呪いは解けていなかったのだ。入団初日から視線を感じていたが、寝込みを襲われるとは思わず油断した。火事場の馬鹿力というのだろうか、その時は実力以上のものがでたような気がする。
上官はすぐに対処してくれたが、そこからの俺はとにかく技術を渇望した。剣術だけにとどまらず体術、戦術、馬術。何を置いても“術”というものをすべて会得しなければ気が休まらなかったのかもしれない。
そして気が付けば近衛隊の副長にまで上り詰めていた。
あの日寝込みを襲った男を捻る潰せるほどの腕になって。
そいつは俺の地位が副長の次席にあたる補佐役になる頃にはもういなかったが、あの男が復讐されると恐れをなして逃げ出したのだと聞いてからは、自分に少し自信が持てるようになった。
そうした頃やっと家に帰ろうと思ったのだ。
ロノフスにもこの事を直接伝えたかったし、久しぶりにイワンと土いじりもしたかった。
父は王宮に呼ばれることも多くたまに顔は合わせていたし、兄も一緒に登城することが当たり前になると会話も多くなった。母も同様で王妃の相手をするときは必ず差し入れをくれた。家族とは会っていたが、家に帰る事はなかったので使用人とはこの間まったく会っていなかった。
二人は絶対に喜んでくれると思ったし、その顔が見たかった。




