66 火のついた導火線
「承知致しました。では、わたくしがアリーを引き受けます」
「ハンナならそう言ってくれると思ったわ!」
「わたくしの錆びた剣でどこまで切れるかわかりませんが……」
「その力はあなたの方が上だとリンから聞いたけど?」
「……お嬢様には効きませんでした」
「あらま!」
公爵夫人がふふふふ、と嬉しそうに笑うのはなぜでしょう?
「フルールちゃんは神のいとし子だもの。特別よ!」
ハンナは遠い目になる。
領地でもこんな顔をした領民たちをわんさか見た。
──フルール信者。
その歳にして領地を掌握したお嬢様は、散歩と称して練り歩く先々でわざわざ足を止め、領民みんなに手をふりながら声をかける。そして大きな声で呼べばみんなも「おじょうさまーー」と呼び返し大きく手を振ってくれる。何度仕事の手を休ませてはいけないといっても聞きやしなかった。声をかけずにはいられないのだ、その逞しい腕を振ってほしいから。しかし領民からすれば、わざわざ足を止めてくれて手を振ってくれるなんて────お嬢さまは天使だ! となるわけで。
お嬢様。どうでしょうこの際、神のいとし子として狼煙を上げ国をつくりませんか?
殿方に向かっているその熱意を注げばできそうですよ。軍事力だけが異常に高い国が。
「仕掛けるのはやはりデビュタントですか?」
「ハンナ。あなたはやはり話が早くていいわ」
「恐れ入ります」
「そうよ、来月のデビュタントの余興にするわ。フルールちゃんとリリックはもちろん、三強とドゥユビエール侯爵家のセリーナも参加する。全ての役者が舞台にあがるの。一番効果的で手っ取り早いわ。ふふふっ」
今回、アリーは同じデビュタントだし、侯爵令嬢三人はすでに系譜の子息のパートナーとなっている。
本来、淑女の社交界デビューを指すデビュタントだが、この国は男性も同じようにお披露目する。もっとも、女性が婚約者や父親などにエスコートされて顔見せするのとは違い、男性の場合は物心ついたときから父親について回るため、既にお披露目を済ませているようなものだ。その為この場では家同士の繋がりを明確にするための意味合いが強い。
婚約者がいなければ、従姉妹などの系譜の者を伴うもよし、事業親交がある貴族令嬢に頼むもよし、その時に一番親しい家との交流を公然と示すのだ。それは高位の家であればあるほどよいとされている。つまり虎の威を借りるのである。
変動する貴族の繋がりを現在進行形で見ることで、情報交換するのにはうってつけの場所としてデビュタントに参加する家もある。情報の中には打診されたが断った、などの裏事情も見えるのだ。
前回、リリックの兄の時は、多すぎる打診にうんざりした公爵夫人が、姪である隣国の王女にお願いしたまではよかったが、借りた虎が大きすぎたせいか、最終的に国王が隣国の王に筆を認めることになってしまった。──自分が至らないばかりに妹殿下にご迷惑をかけて申し訳ないと。
今回はすでにリリックはフルールのエスコートに決定しているから、くだらない打診はないだろう。──そう思っていたのだがドゥユビエール侯爵家から打診がきた。
リリックとフルールの婚約が決まってすぐのことだ。
「これまでの禍根を断つ頃ではないだろうか」となんとも都合のよい言葉で乗り込んできた侯爵の本音は、娘を嫁がせ、その子が生んだ子どもを傀儡にして本家を乗っ取りたいのだと丁寧に顔に書いてあった。どうやら出る前に顔の確認を怠ったらしい。
公爵家にとっては旨みがないどころか厄介事を持ち込む元凶にしかならない。昔の二の舞はごめんである。
「寝言は寝ている時に仰ってくださらないと困りますわ。そんなことをしたらうちが契約ひとつできない家だと思われてしまいますもの」
婚約者を変更しろとはなんともバカげた話ですわと、公爵夫人は鼻で笑って返した。
こんなことを言い出すようになってきたとは面倒だわ。さっさと潰しましょう。そう思った矢先、侯爵の一言が夫人の導火線に火をつけた。世界で一番太くて短い導火線に。
「そのようなことを言ったつもりはないのですが、伯爵家の娘ではエーデル家の名が重いのではないかと心配になったもので。ご嫡男の時は従姉妹とはいえ王女殿下でしたし、せめてデビュタントだけでもうちの娘の方が良いのではないかと思ってのことです。親切心からで他意はありません。出過ぎたようでしたら申し訳ありません」
フルールを侮辱する発言をしたのだ。
ハンナからすれば御尤もとなるところだが、夫人は烈火のごとく怒り狂った。子どもの時から狙っていた娘がやっと手に入ったのだ。今後リリックの宝物となる者はフルールしかありえない。
それならば、お望み通り今後は心配ごとがないように家自体を消し去ってあげましょうとなったわけだが──。
公爵家に連なる家だけに、当主の一言で瞬殺するのは簡単だ。しかし、じわじわと関係者も含め追い詰めて、完全に孤立させた上で爵位を取り上げたい。価値なしと知らしめ、後々、手助けする者が出ないようにする必要がある。完膚なきまでにぺしゃんこにするつもりらしい。
それほどまでに侯爵家は公爵夫人を怒らせた。
ここまで聞いたハンナは、一瞬ぎくりとし、これまでのフルールに対する行いを思い出してみたが、なんら恥じることはないと胸をなで下ろした。
すべてお嬢様のために尽くしたと胸を張れるわ!
……ええ。
……たぶん。
──そしてついに波乱のデビュタントがはじまる。




