65 どこからか漂う物騒な香り
「リン」
公爵夫人が呼べば、その後ろに控えていた侍女が進み出た。
ハンナは、何事かと不思議に思いながらもその侍女を見れば、どこかで会ったことがあるといわれたら頷くほどに、惹かれ、気持ちが逸る。
……まさかね。
リンと呼ばれた侍女もじっとハンナを見ている。
見合っていた侍女の左目からすっと涙が流れた。
それを拭った下から薄っすらと見える黒子。
「……まさかとは思うけど」
泣き黒子の上を次々と通る涙によって、その正体がよりはっきりしてくる。
双子の泣き黒子。
「……人ちがいでしたら」
ひとつが濃くてひとつが薄い、並ぶふたつの黒子。
そんな黒子はみたことがない。
孤児院で一緒だったあの子以外に。
人違いであるはずがない……。
でも……まさか……ほんとうに?
驚きと困惑のハンナの耳に幼い声がきこえた。
「──ちがわないよ、おねぇちゃん」
気が付けばハンナも泣いていた。
なんという巡りあわせ。こんな未来をあの時の誰が予想できただろう。
「……リリー?」
そうだ彼女の名前は確かリリー。わたしとクララよりも前からあの孤児院にいた、年下のかわいい女の子リリー。泣き顔はあの頃のままだ。
気を利かせくれたのか、気づくと夫人はいなかった。
「そうだよ。リリーだよハンナお姉ちゃん。でも今はリンて呼ばれてる」
「そうか、ならあたしもリンて呼ぶよ」
「うん!」
想い出が二人を巻き戻したように、言葉も昔のそれになっている。
答え合わせをするように、その答えを噛みしめながら、昔話に花を咲かせて、ふとハンナはどうしてわかったのだとリンに聞く。
「昨日フルールお嬢様の口からお姉ちゃんの名前がでて、帰ってきたリリック様からも同じ名前がでたの。でもそれだけなら特に気にしなかったかも。前にここにも同じ『ハンナ』って名前の使用人いたから。確信したのは坊っちゃんの口から『ミスリード』が出たときよ」
なるほど。それならば結びついてもおかしくない。特に二つ目の単語は、普段生活していて滅多に聞く言葉ではない。
ひとしきり話をした頃に夫人がワゴンと共に戻ってきた。ワゴンにはどこの御貴族様が口にするのだというような、豪華な焼き菓子やフルーツが盛られている。
「さあ、泣いた分の水分補給よ。話はそれから。今日はあなたにも話に加わってもらうからハンナの隣に座りなさい」
告げられたリンは戸惑うことなく座った。
「ふふっ、おどろいた? 奥様は時間の無駄遣いを一番嫌うの。だからうちでは、普通なら言わないことをいわれても『しかし』っていってはダメなの」
「そのとおり。ハンナもこれからは長い付き合いになるから覚えておいてね」
「畏まりました」
うちも変わってるけどここも相当ね。
「さて、ここからの内容は三人だけの秘密よ」
「旦那様と奥様にもでしょうか?!」
「ええ。といってもこれからの内容を聞いてハンナが決めていいわ。私はいわない方が賢明だとおもうからそうした方がいいと思うけど、伯爵も夫人も耐えられるのなら問題ないわ」
使用人として公爵夫人との会話の内容を主に伝えないのはどうかと思うが、なにやら物騒な香りがする。しかも無駄に高級な香りのする物騒だ。
これは確かに二人に伝えるのは考え物だ。
「直球で聞くけど、ハンナがあの家の頭脳よね?」
「ブレーン? いえ、わたくしはそのような立場にありません」
「そう? リリックはあなただけが怯えずにフルールちゃんを守っていたといっていたけれど、違うの?」
どんな伝わり方だと苦笑するが的確だといえばそう言えなくもない。
「その意味ではあっていますが、ブレーンという訳ではありません。旦那様と奥様の負担をできるだけ軽くしているだけです」
「充分だわ」
満足そうに微笑んだ夫人は何でもないことのように、微笑んだそのまま、恐れたとおりの物騒なことを口にした。
「ドゥユビエール侯爵家をぶっ潰すわよ!」
はい、旦那様にも奥様にも、ナート家の者にはいいません。
「そして、その空いた爵位をリリックとフルールちゃんにあげるわよ!」
言えません。ええ。とてもではないですが言えません。
「昨夜リンからあなたのことを聞いて、これを考え付いたの。もちろん協力してくれるわよね」
「……はい」
できません。など言えるわけもなく、隣のリンも苦笑気味だが、確かに目障りなものは早急に処分するに限る。
夫人はわたしとリンが繋がったことで勝利を確定したらしい。
「これもリリックとフルールちゃんが繋いでくれた縁だわ。リンの力ならひとりでできなくもないけど、接触するにあたって少々不自然な点がでてくるのよ。公爵家の侍女が子爵家の娘と会うには。しかもそこでまた要らぬ勘違いも生まれそうで、どうしたものかと。準備段階ではなるべく想定外の事態は抑えたいわ」
下準備として何回か会わなければいけないのが、三強と呼ばれているリリックの取り巻きである侯爵家のビアンカと、同じく侯爵令嬢のステラド、子爵家のアリー。
そして敵対するドゥユビエール侯爵家の娘セリーナ。
侯爵家の令嬢三人は、公爵家が呼び出してもなんら不思議はない。
だが、アリーだけは不自然なだけではなく、予測不能なことをしでかすことも考えられる。なんといっても親も親のトンデモ家族だ。
夫人の計画は、いかに公爵家の名を出さずしてアリーに近づくことができるかが一番のカギだった。
四家全てに公爵家が近づけば、結果としては同じでも、どうしてもそれが浮かび上がる。アリーまでリンが引き受けてしまうと急に不信感がでるそれだ。そこから綻びが出ないとも限らない。公爵家の力でねじ伏せるのは最終手段となる。後々を考えるのであればごく自然な流れを通すのが賢明だろう。




