61 その行き違いだいぶ違います
リリック様に聞かれて振り返ってみたが、啓示などという大層な事でも何でもない。ただただお嬢様の鬱憤がたまり、それを吐き出しただけに過ぎない。
その方法が少々特殊だったというだけだ。そして目を見張るほどの情熱を注いだ。結果として出来上がったものが類を見ないほど精巧だったのは「お嬢様だから」という言葉で片が付くと思っていたが……違うのだろうか。
本来の下手な絵。あの、子どもがこねくり回したような、とてもいい年をした令嬢が描いたとは思えないド下手なあの絵は、しかしあれもよくよくみると、尺寸はあっている。下地はすでに持っていたのだろう。
その尺寸の正確さもさることながらじっと見つめることで、より細かいところまで見えるようになり、それが練り上げられ緻密といわれるまでになったのだと思われる。
父の愚行に耐えきれなくなった娘の鬱憤が具現化されたそれは、隠されて見えないのであれば、自分で描いて目につくところに置いておけばよい、との思いから生まれた技法。
ハンナは当時見た事に、独自の見解を加えて話した。
これが聞きたくて来たのであれば、その相手にハンナを指名したのは正解である。
奥様は当時、体調が優れずほとんど屋敷の外に出ていないし、旦那様はお嬢様と距離を取っていたのでハンナほど詳しくはない。
「なるほど。やはりハンナは慧眼の持ち主だな」
「恐れ多いことです」
「いや、婚約当初、ハンナだけがこの家で唯一わたしに向ける視線の種類が違った。他の者はどこか不安を滲ませていたが、ハンナだけはミスリードを誘うように感じたが違うか?」
ハンナはぞくっとした。全ての行動を監視されていたような気分になった。
「いえ、違いません。申し訳ありませんでした」
「別に責めているわけではない。それがなんなのかいつも不思議に思っていただけだ」
慧眼はリリックの方だ。ミスリードの視線まで気づかれているとは思わなかった。自負するわけではないが、それなりに訓練を受けておりこれまで気づかれたことは一度もない。もっとも、本職のリリックからすれば、すこし齧った程度の技なら見破るのはたやすいのだろう。団長は伊達ではない。
リリックが最年少の団長となったとき、国中がリリックの話題で持ち切りだった。ほとんどが好意的な内容だったが、中には、公爵家の次男が金を積んでその地位についただとか、王家が忖度したとか、不敬なものも飛んでいた。その飛び交う中でもっとも印象に残ったのが「虎に翼」
誰も敵う者がいないではないかと笑いながら、それについて立ち話をする男たちの姿をハンナは今でも容易に思い出せる。
忖度でもなければ金も積まれていない、リリックが団長になったのは正しく精査された結果だと深く頷ける。
「……それで、ここからが本題なのだが」
騎士団長ともあろうお方がなんとも情けない顔で聞いてきた言葉に、ハンナは耳を疑った。
「……わたしはフルールの婚約者としてふさわしくないだろうか?」
もう一度よろしいですか? と聞きたいところを寸前のところで飲み込んだ。
それはリリックが不安そうな、というより初めてのことに直面した、どうしたらいいのかわからないというような子どもの顔を見せたからだ。
「相応しいか相応しくないかを端的に申し上げれば、お嬢様が相応しくございません。というお答えになります」
「それはどのようなことで?」
「色々ございますが、何をおいてもお嬢様のその趣味にございます。既に承知の事実とのことですので隠さずにいいますと、男の尻を追いかけている些か頭のおかしい女が、公爵家に嫁ぐなど、普通はどうあがいても出来ることではないのです」
「……な、なかなかに辛辣だな」
「口が過ぎました。申し訳ございません」
驚いた拍子に、ついうっかりいつもの調子になってしまった。
「いや、こっちが腹を割って話がしたいと言ったのだ」
「ではこの際はっきりと申し上げます」
「ああ頼む」
ハンナの言葉に、顔を固くするリリック。
「リリック様ほどの婚約者はお嬢様にはもったいないお方だと、わたくしどもは常々感謝しております。その為、婚約破棄されぬよう常にお嬢様の側に付き、お嬢様が絶対的な失態をしないよう、その言動を制限しておりました。そのひとつがさきほど仰っていた視線で、お嬢様の悪癖から目を反らせるためのものです。このように、使用人の目から見てもとても褒められたものではないのですが、リリック様はあのお嬢様のどこを気に入って婚約の継続となったのでしょうか?」
リリックはなにやら趣が違うと感じた。
ハンナはこの機会に、お嬢様のどこが気に入ったのかを聞いて、今後の参考にするべくと息巻いた。
遅くにきた初恋と、使用人の忠誠心が行き違った結果である。




