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60 リリックもハンナも

 

 リリックは使用人であるハンナにも礼を尽くす。

「リリック様から先触れが来ました」

 受け取ったハンナは、そういう事ならと、その場で取り次ぎに諾の返事を渡した。


「では、お嬢様をどこかにやらないといけないわね」


 ハンナはすぐにエーデル家に使いをやった。なるべくフルールには聞かれたくないとあったので、先ずはフルールの一時預かりをエーデル公爵家に願い出た。

 公爵夫人がご在宅とのことで快く引き受けてくれた。


 昨日借りたドレスを返さなければならないと説得するまでもなく、公爵家と聞くや否やフルールは、闘牛のような鼻息でもって支度を終え、馬車まで一直線に駆け込んだ。まさに闘牛そのものだ。

 

 演習場への出入り禁止はまだ解けていない。描くことも禁止された。そんなフルールにとって公爵家へ行くことは、アップルパイをホールで食べていいと言われたようなものである。



 もちろん一人では行かせられない。ミルの代わりに年配の使用人に付いてもらう。

 ここは本来ハンナの出番なのだが仕方ない。ハンナにはもっと重要な役割がある。



 時間ちょうどにリリックが見えた。

 朝着ていたのは隊服だったと思うが、今は軍服に身を包んでいる。これは手紙にあった、仕事の一環として尋ねることができそうだから、明るいうちに行くことになる、と書かれていたことと関係するのだろうか。



「今日来たのは他でもない。昨日のことを聞いているだろうか」

 リリックは前置きもそうそうに本題に入る。

「はい、聞いたことは聞いたのですが……詳細までは……」

「…………ハンナ殿もか」


 いやな予感がする。『も』ということはリリック様()細かいことは聞き及んでないのだろうか。となると、どこまで話していいのか線引きが難しくなる。


「団長殿、お聞きしてもよろしいでしょうか」

 ハンナは先手必勝とばかりに仕掛ける。

「いつも言っているようにリリックでいい」

 どうやら着ている服の違いで呼び方を変えてくれるなと言っているようだ。


 ──それと今日は腹を割って話がしたい。と続く言葉にハンナの先手は封じられた。

 リリックからこう言われては全てを隠しきることなど出来そうにない。


「でしたらわたくしのこともハンナでよおございます。リリック様」

「ではハンナ、先にハンナの話しから聞こう」

「恐れ入ります。もし、旦那様の勘違いでしたら誠に申訳ないのですが、お嬢様との婚約は継続とお聞きしました。そちらは間違いないのでしょうか」

「ああ。間違いない。婚約は継続で婚姻まで繋ぐと言ったが、伝わっていなかったのか?」


 なんと! 旦那様申し訳ありません。疑っておりました。しかしわたくしの耳でも言質はしかととりました。


「ナート家の内情もご存じでしょうか」

 それでも念には念をと思い確認をする。

「聞いた範囲ではナート家に害意はないと判断したが違うのか」

「害意などあるはずありません。どこまで申し上げたらよいか当主のいない場で判断に困りますが、誓って害意などございません」

 キッパリ言い切ったハンナは理解した。これは尋問なのだと。


「すまない、そんなに硬くならないでくれ。聞きたいのはフルールのあの能力の事だ。あれはいつから身についたものかわかるか? 昨日目の当たりにしてとても驚いた。あんな緻密な絵をものの数分で仕上げたのだ。まるで魔法のようだった」


 答えられる内容で良かった。

 咄嗟にハンナはそう思った。


「フルールも伯爵も気づいたら出来るようになっていたと言ったが、それは本当だろうか。天恵にも等しいものだ、何か神の啓示のような、前触れのようなものはなかったのだろうか」


「いえ、お嬢様の仰ることに間違いはありません。当時わたくしもその場に居りました。リリック様は、お嬢様の本来の絵はご存じですよね。ええ、あのド下手くそのあれでございます」


 当時のことはよく覚えている。


「あれは淑女教育が始まり間もなくして、それが遅々として進まないことにより、お嬢様の癒しを旦那様が全て隠すという暴挙にでられ、旦那様とお嬢様の間に溝ができている頃でした」



 リリックの言う神の啓示などとは程遠が、何か前触れがあったとすればその頃で、気づくと、たまに会うサムに対して強い視線を飛ばすようになっていた。それこそサムが呼んでも気づかないくらいの集中力でもって。


 最初のうちは何かあったのかと様子をみていたが、無表情ながらも、だらしなく緩む口元の幻影が見えた気がしたのでそのままにしていた。つまり大したことではないと考えた。

ましてや、何かに、誰かに害をなす行為だとは思えなかったので、静かにしている分にはと、止めることはなかった。

 それが半月ほど続いたある日。

 突然絵を描きたいからスケッチブックを用意してくれと言い出した。

 何事かと思いながらも、家から出る様子はなく、大人しくしているのならとスケッチブックを与え、更にそのままにした。


 それからは淑女教育もなんとなく形になってきて、以前ほど滞ることはなくなったと記憶している。


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