48 ファンタジーのその先へ
「奥様。気をしっかりもって聞いてください。今、ミルが公爵家の馬車で帰ってきました」
「ミルが? 公爵家の馬車で?」
「はい、ミルだけが公爵家の馬車で帰ってきました」
「あの人は? あの人とフルールは?」
「旦那様とフルールお嬢様は、公爵邸にお部屋を頂いたそうです」
伯爵夫人はそのままゆっくりと倒れていった。
夕方に差し掛かると、ハンナは出陣した三人の帰りを今か今かと待っていた。
薄暗くなっても戻る様子はなく、遅くなる旨の連絡もない。中途半端な時間だけに、なにかあったのか、もう帰路についたのか判断が出来ずにいた。
こんなことなら行けばよかったと、腰を撫でながらハンナは歯がゆく思う。
そこへ来たのが公爵家の紋章入りの馬車である。伯爵家の馬車より一回りは大きい。
それだけでただ事ではない。
そして降りてきたのはなんとミル。
これはとんでもない事が起こっていること確定である。
ミルを支えて降りてきた年配の家政婦長が、事の次第を執事のロマネに丁寧に話していた。当然その場にはハンナもいる。
「旦那様と奥様が無理をいいまして、もうしわけありません」
家政婦長は感じがよく、言ってしまうと腰が低い。とても公爵家で長を名乗る者とは思えなかった。
公爵家の馬車が帰り、ミルの顔色が戻ったことを確認すると、ハンナは早速なにが起きたのかを訊ねた。
ロマネと使用人頭も一緒だ。
ミルの話にみんな耳を疑う。
しかし帰ってきたときのミルを思い出せば、疑う余地はなくなった。
「もうしわけありません」と謝るミルのことを誰も責めない。責めることなどできない。むしろよく無事で帰ってきたと労った。
リリックの存在を忘れ、ガロンとリュイに鼻の下を伸ばし、兵士たちの背中を見つめる敵に対し、かくなる思いで身を挺し、割って入るもそれは束の間で、恥知らずな淑女の皮を被った追い剥ぎが出たと思ったら、今度は魔物に石にされ、這う這うの体で帰路についたのだ。魔女と魔導士まで出たという。どこのファンタジーだ。しかし助けてくれたのは人間だという。とんだファンタジーである。
そして今、自由を謳歌する魔女と、その魔女を狙う魔導士が一緒にいることは明白だ。しかも、盾の旦那様は酒に飲まれてすでに夢の中だと聞くではないか。
ハンナは今すぐにでも公爵邸に乗り込みたかった。
しかし一介の使用人が門を叩くなど問題外だ。その上奥様はすでに寝込んでしまった。とても公爵家に赴くことなどできない。フユリお嬢様では、公爵家が部屋を用意すると言っているのに連れ帰るには立場が弱いし、無理がある。嫡男である次期当主は領地だ。八方塞がりである。
こうしている間にも、ハンナがせっせと貼った淑女のメッキは剥がれていき、痴女のレッテルに貼り替えられていると思うと、やるせなくなる。
腰が砕けても行くべきだった。
もう、後の祭りだが後悔しかない。
あとは祈るだけだが、すでに問題は起きている。なにをどう祈ればいいのかすらもわからない。
公爵家にいくこともできず、祈ることさえできない。
「あ、そういえば、公爵家の私兵が出動した件ですが、公爵家の思惑があり、お嬢様の騒動を利用したと公爵様も公爵夫人も仰ってました。どうやらリリック様にまとわりつく不快な家を潰したいそうです」
なるほど。
ミルの話を聞いてハンナは納得した。
やはり何かしらの意図があったのだ。
お抱えの私兵が出ることなど滅多にない。しかも、こんなといってはなんだが人探しくらいで動かすものではないはずだ。そしてそのことについても騒ぎにならないのがまた不思議だった。
リリックの婚約が発表され、置かず私兵の出動となれば、ナート家に探りを入れる者がいて然るべきだろう。フルールの家出騒動云々ではなくとも、エーデル公爵と繋がる窓口として世間話のついでに口にしても良さそうだが、使用人たちに聞いても、その手の話を持ち掛ける使用人仲間も一切なしときた。
普段は買い物途中で知り合いに会うと「西の公園付近で物取りが出ているから気を付けて」とか「あそこの靴屋が閉店するから今安いよ」とか、お互いの家の事はさすがに話さないが、日常的な情報交換やちょっとした噂話などは軽くしていた。
それなのに、いかにも食いつくようなことがスルーされている。
それこそミルが聞き込んできた、花屋カフェでの娘たちによる噂話が出回っていたというのに、そのことについても触れられない。
ほんとうにリリックに恋人がいると思われているのだろうか。だからといって気まずくて聞けないという雰囲気でもない。
ここまでくると不思議を通り越して不気味であると思っていた。
しかし公爵家がわざわざ事を大きくしたのならば、裏で引いていた糸が極めて太く、何かしらの符丁を打ったと考えるのが妥当だ。それにより、立場のある大人たちは口にすることが出来なかった。
出来たのはあの娘たちのように、無邪気に噂を噂として楽しむ者たちだけで、それさえ行き過ぎたのなら、さらに何かしらの動きがあったはずだ。




