↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
5/30

5. 鍛錬場の影

シュッ、シュッ――

月明かりだけが照らす静寂の中庭に、幾度も空気を引き裂く鋭い風切り音が響く。

トリスタンは柱の陰から、じっとその姿を見つめていた。

剣を振るう若き男――デイトナ。

若くして王家近衛騎士団の副団長へと上り詰めた彼は、城内でも「氷の副団長」と噂される実力派だった。

「ふぅ……」

短い吐息とともに、デイトナがぴたりと剣を止める。

額から一筋の汗が顎を伝い、首元へと落ちていく。彼の身のこなしには一切の無駄がなく、流れるような美しさがあった。

トリスタンは、300年間一度も感じたことのない高鳴りを胸に覚えていた。

これまで見てきた貴族や騎士たちは、誰もが身分や手柄、己の欲望のために動いていた。300年前に彼女を攫った魔法使いバーンもそうだ。「自分を愛せ」と押し付けてくるばかりで、そこに純粋な心など存在しなかった。

けれど、いま目の前にいる青年は違う。

誰に見せるためでもなく、ただ己の誇りと責務を全うするために、人知れず夜の闇の中で努力を重ねている。その愚直なまでの誠実さが、佇まいから溢れ出ていた。

(こんなにも……澄んだ剣を振るう人がいるなんて)

トリスタンは思わず、柱の陰から一歩前へ踏み出していた。

どうせ自分は、誰の目にも見えない幽霊のような存在だ。どれだけ近くに寄っても、気づかれるはずもない。

彼女は音もなく石畳を踏み、デイトナの数歩手前まで近づいた。

月光に照らされた彼の横顔を間近で見上げる。

薄い唇、すっと通った鼻筋、そしてどこまでも深く澄んだ瞳。

デイトナがふと手に持った剣を鞘へと納める。カチリ、と硬質な音が夜の空気に溶けた。

「……ッ」

その瞬間、トリスタンの胸が激しく締め付けられた。

触れられる距離にいるのに、触れられない。

話しかけられる距離にいるのに、声は届かない。

幽霊のように浮遊する自分と、たしかに命を燃やして生きている彼。

これまで「見えない存在」であることに諦めを感じていたトリスタンだったが、初めて——『この人に気づいてほしい』という、叶うはずのない強い願いが胸の奥底から芽生え始めていた。

デイトナは大きく息を整えると、汗を拭い、再び剣の柄に手をかけた。

(明日も……彼はここに来るかしら)

気づけばトリスタンは、残り少なくなった現実世界での時間を惜しむように、彼が剣を振り終えるその瞬間まで、食い入るように視線を注ぎ続けていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。