3.無慈悲な時間
バーンが去った後も、塔の部屋には重く冷たい静寂が居座り続けていた。
窓の外に広がるのは、星の光すらない底知れぬ夜の闇。本の世界には季節の移り変わりもなく、ただ同じ風景が、果てしない永遠のように繰り返される。
トリスタンは窓辺に歩み寄り、冷え切ったガラスにそっと額を押し当てた。
「一生、二人きり……」
バーンの吐き捨てた言葉が、頭のなかで何度も反響する。
——『この世界には私とお前しかいない』。
その言葉は、そのままトリスタンにとっての逃れられない呪縛だった。
300年という歳月は、人の心を麻痺させるには十分すぎる長さだ。
攫われたばかりの頃は、恐怖に震え、毎日のように涙を流し、いつか父や母が、あるいは国の騎士たちが自分を助けにきてくれると信じていた。窓の外に広がる闇に向かって叫び続け、助けを求めたこともあった。
だが、1年が過ぎ、10年が過ぎ、100年が過ぎても、誰も迎えには来なかった。
当たり前だ。外の世界では、彼女を乗せた馬車も、舞踏会を開いた王城も、彼女を愛した人々も、すべてが遠い昔の歴史のひとコマとなり、土に還っているのだから。
(私は、生きたまま歴史に埋もれた人形……)
トリスタンは自分の両腕をそっと抱きしめた。
歳をとることもなく、ただ18歳の姿のまま、この歪んだ塔の一室に閉じ込められている。
バーンは「いつか心を開いてくれる」と信じ込んでいるが、それは歪んだ執着でしかない。愛ではなく、所有欲。自分を自分の思い通りに動かしたいという、老いた魔術師の身勝手なエゴだ。
「心を開け、と言われても……」
トリスタンは唇を噛み締めた。
愛とは何か。温もりとは何か。それを知る前に世界から切り離されてしまった彼女にとって、誰かを愛することなどできるはずもなかった。ましてや、自分をこの鳥かごに閉じ込めた元凶であるバーンに、心が傾くなど一生あり得ない。
「……私には、何も無い。これから先も、ずっと」
絶望という言葉すら使い古してしまい、今ではただ諦念だけが胸の奥に澱のように溜まっていた。
その時、塔の階下から、バーンの低く唸るような詠唱の声が微かに響いてきた。
彼が自分の魔力を安定させるため、地下の祭壇へと降りていく物音だ。
あと数時間すれば、夜の9時が訪れる。
バーンが祭壇で魔力を補うその僅かな時間だけが、トリスタンが唯一、この息苦しい塔から「現実の世界」へと逃れられる隙間だった。
(……行かなくちゃ。あの冷たい部屋から、少しだけでも離れたい)
どれだけ現実の世界が自分を拒絶していようと、人の目には見えない幽霊のような存在であろうと、あの狭い塔のなかに閉じこもっているよりはマシだった。誰もいない夜の王城を歩くことだけが、今の彼女に残された唯一の救いだったのだから。
トリスタンは静かに目を閉じ、夜9時を告げる鐘の音を心の中で数え始めた。
無慈悲な時が、今日もまた彼女を現実へと連れ出す準備を静かに進めていた。




