20.塔の変調
深夜12時の鐘とともに現実世界から引き戻されて、トリスタンが目を開いた場所——そこは、見慣れた暗く冷たい石造りの塔の中だった。
窓の外には、永遠に明けることのない漆黒の夜空と、不気味な紫色の雲が広がっている。
300年間、トリスタンを閉じ込めてきた本の中の世界。いつもなら、ここへ戻るたびに深い絶望と強い孤独感が押し寄せていた。
しかし今夜、トリスタンの胸の奥には、確かな「温もり」が灯っていた。
デイトナの力強い腕の感触、胸の鼓動、そして「必ず迎えに行く」と誓ってくれた真っ直ぐな言葉。
彼にすべてを知られた安息と、自分を想ってくれる人がいるという奇跡。
頬に残るデイトナの指の熱を確かめるように、トリスタンはそっと自分の胸を抱きしめた。
(デイトナ様……私はもう、一人ではありません……)
心が塞ぎ込んでいた今までとは違い、希望の光が彼女の瞳に小さな輝きを宿していた。
——その時だった。
ゾクッ……!
突如として部屋の空気が凍りつき、床から禍々しい漆黒の霧が立ち上り始めた。
空間が歪み、重苦しい魔力が部屋全体を押し潰すように満たしていく。
「……ほう」
影の中から現れたのは、長い黒髪に冷酷な面立ちを浮かべた男——300年前、トリスタンをこの本の世界に封じ込めた魔術師、バーンだった。
「王家の保護」の加護があるため、バーンは彼女の身体に直接触れることはできない。しかし、至近距離まで踏み込んできたその鋭い眼光が、冷たくトリスタンを射抜く。
「……妙だな、トリスタン」
バーンの黒い瞳が、怪しい光を放ちながら彼女の表情を細かく観察する。
「お前を護る『王家の保護』の結界……その強固だった魔術の壁に、かすかな揺らぎが生じている。それだけではない。300年もの間、絶望に塗れていたお前の瞳に……なぜそのような光が宿っている?」
「っ……!」
トリスタンは息を呑み、必死に感情を押し殺して視線を外そうとした。
だが、触れられずとも放たれるバーンの圧倒的な魔力の威圧と、その鋭い洞察眼をごまかすことはできなかった。
「現実世界へ繋がる夜の3時間……そこでお前は何を見、誰と触れ合ったのだ?」
バーンの声が低く冷ややかに響く。
トリスタンは固く口を閉ざし、デイトナの存在を必死に隠そうと耐えた。
「口を開かぬか。……フッ、言わぬでもよい」
バーンは冷酷な笑みを深めると、トリスタンを取り囲むように指先から不気味な黒い魔力を渦巻かせた。
「お前の心を揺らす『虫ケラ』が、現実世界に現れたようだな。お前に余計な希望を抱かせる愚か者が……」
「違います……! 誰も……誰もいません……!」
トリスタンの必死の叫びを無視し、バーンは翻した漆黒のローブの隙間から、さらに濃密な暗黒の魔力を繰り出し始めた。
「安心しろ。お前の心を汚す不協和音は、私がすぐに摘み取ってやる。お前を永遠に支配するのは、この私だけだ……」
暗黒の魔力が渦を巻き、本の世界の空気が激しく振動する。
直接触れられずとも、トリスタンの変化から現実世界の「異物」——デイトナの存在に勘づいたバーンは、冷酷な排除の動きを見せ始めたのだった。




