19. 12時の別れと涙
「私が必ず、君をあの本の中から救い出す」
デイトナの胸の中で、トリスタンは溢れ出る涙をどうしても抑えることができずにいた。
300年という果てしない孤独の中、彼女の境遇を知り、その絶望を共有してくれた者はただ一人としていなかった。
『自分を知る者が現れた』という胸が締め付けられるほどの安堵。
このあたたかな光のある世界で、デイトナと共に生きたいと強く願う心。
そして、それらをすべて押し潰そうとする魔術師バーンへの絶望的な恐怖と、これから待ち受ける熾烈な運命への不安。
あまりにも多くの感情が一気に押し寄せ、溢れ出る涙は拭っても拭っても次から次へと頬を伝い落ちていく。
トリスタンはデイトナの胸に顔を寄せたまま、静かに、けれど深く涙を流し続けた。
デイトナは何も言わず、ただ彼女の溢れる感情をすべて受け止めきれるまで、優しく力強い腕の中で背中を撫で続けた。
彼女の身体が微かに震え、デイトナの胸元に温かな涙が染み込んでいく。
どれほどの時間が流れただろうか。
月が夜空をゆっくりと渡り、中庭を照らす光の角度が変わっていく。
絶え間なく溢れていた涙がようやく引き、静けさが戻ってきた頃、トリスタンはゆっくりと顔を上げた。
涙に濡れた長いまつ毛を震わせ、赤くなった瞳でデイトナをまっすぐに見つめる。
デイトナはそっと指先で彼女の頬に残る涙を拭うと、静かに微笑んだ。
「……少し、落ち着いたかい?」
「……はい。申し訳ありません……涙が、止まらなくて……」
トリスタンは掠れた声で呟き、デイトナの胸からそっと身を引き離した。
けれど、デイトナがあたたかな手で包み込んでくれた感触と、共に過ごした長い時間が、冷え切っていた彼女の心に消えることのない熱を残していた。
「デイトナ様……私は、あなたが無事でいてくださることだけを願っています。バーンの魔力は絶対なのです。人間の力では立ち向かえない恐ろしい相手なのです……」
溢れる涙を押し流した後のトリスタンの声には、ただデイトナの身を案じる、切切とした想いが込められていた。
「分かっている。危険な相手なのだろう」
デイトナは彼女の繊細な手を両手で優しく包み込んだ。
「だが、君が私の腕の中で、流し続けたその涙を見た以上、私は絶対に退かない。君を一人で泣かせ続けるくらいなら、どんな悪魔と戦うことになろうと怖くはない」
「デイトナ様……」
ふたりの手が重なり、静かな熱が通い合う。
言葉を交わさずとも、互いを想い合う心が中庭の夜気をやさしく満たしていく。二人で肩を並べて過ごすその時間は、あまりにも静かで、胸が苦しくなるほど愛おしかった。
しかし、別れの時は容赦なく訪れる。
ゴーン……ゴーン……
重く低い時計塔の鐘が、夜の12時を告げて響き渡った。
「あっ……」
鐘の音とともに、トリスタンの指先から淡い金の光の粒子が立ち上り始めた。
実体が失われ、デイトナが包み込んでいた手から、ふっと体温が抜け落ちていく。
「もう……時間なのですね」
トリスタンは涙の跡が残る瞳でデイトナを見つめた。
長く静かな時間を重ね、深く心を寄せ合ったからこそ、離れる瞬間の切なさは以前の比ではなかった。
「待ってくれ、トリスタン!」
デイトナが叫び、消えゆく彼女の身体をもう一度抱きしめようと手を伸ばす。
しかし、その手は虚しく空を切り、彼女の温もりを掴むことはできなかった。
「……デイトナ様、私を忘れないで……けれど、どうかご無事で……」
最後の光の粒へと溶けていくトリスタンは、愛おしさと切なさに満ちた微笑みを残し、夜の闇へと消えていった。
光の軌跡が王家図書館の方向へと流れていき、中庭には再び深い静寂が訪れる。
「忘れるものか。必ず……君を迎えに行く」
デイトナは彼女の涙の冷たさが残る己の手を固く握りしめた。
彼女が流した涙の意味を、胸の中で抱きしめたあの小さく震える体温を、副団長は生涯忘れることはない。




