18.本の中の姫
古書『魔法使いと囚われの姫』を胸に抱えたまま、デイトナは王家図書館の暗がりの中で立ち尽くしていた。
300年。
あまりにも永く、気の遠くなるような年月。
光の届かぬ本の世界で、彼女はただひとり、絶望と孤独に耐え続けてきたのだ。
(夜の9時から12時までの3時間だけ、現実世界に滲み出すことを許された境界……)
デイトナは慎重に本を棚へと戻し、鎖を元通りに掛け直した。
いまこの本を力任せに持ち出せば、図書館長や警備の騎士に不審がられ、本そのものを押収されかねない。それに、本を破壊すれば中のトリスタンにどんな影響が及ぶかも分からなかった。
(いま私に必要なのは、彼女のすべてを受け止める覚悟だ)
夕闇が訪れ、夜が城を包み込んでいく。
デイトナはいつものように西の中庭へと向かった。
時計塔が夜の9時を告げると同時に、中庭の柱の影に淡い金色の光が揺らめいた。
光の粒子が集まり、透き通るような美しい少女——トリスタンの姿が形作られていく。
「……デイトナ様」
トリスタンは今夜も、どこか切なげな、申し訳なさそうな瞳でデイトナを見つめていた。
自分が関わることで、この優しき騎士に危害が及ぶことを恐れているのだ。
デイトナは無言のまま、ゆっくりと彼女のもとへ歩み寄った。
そして、戸惑う彼女の華奢な肩を、あたたかな両手で優しく包み込んだ。
「デイトナ……様……?」
「トリスタン……いや、初代王女トリスタン殿下」
その言葉が聞こえた瞬間、トリスタンの身体が大きく跳ねた。
息を呑み、血の気が引いた顔でデイトナを見上げる。その瞳には、隠し続けてきた秘密が暴かれた激しい動揺と恐怖が走っていた。
「なぜ……その名前を……」
「今日、図書館の禁書棚にあった古書を読んだ。『魔法使いと囚われの姫』——300年前、姿を消した王女の伝承を」
「あっ……!」
トリスタンは弾かれたように後ずさろうとしたが、デイトナの大きな手が逃がさぬよう、けれど決して傷つけぬよう優しく引き留めた。
「デイトナ様、駄目です! 見てはいけないものを見てしまったのですね……! 今すぐ私から離れてください! あの本に関わってはいけません!」
トリスタンの声が悲鳴となって夜気に響く。
涙がボロボロと溢れ落ち、彼女の身体は恐怖で激しく震えていた。
「バーンが……あの恐ろしい魔術師が気づいてしまいます! あの者は、私に近づく者、私を救おうとする者すべてを容赦なく滅ぼす悪魔なのです……! お願いです、私を忘れて……!」
自分自身が囚われていることよりも、デイトナがバーンの毒牙にかかることを何より恐れて泣き叫ぶトリスタン。
デイトナはそんな彼女を力強く抱き寄せた。
実体を持ったばかりの彼女の冷たい身体が、デイトナの胸の中で震えている。
「忘れることなどできない。……逃げるつもりもない」
デイトナは彼女の頭にそっと手を添え、耳元で固く、強く囁いた。
「300年の暗闇を、よく耐えてくれた。……もう一人で怯えなくていい、トリスタン。私が必ず、君をあの本の中から救い出す」
デイトナの胸の中で、トリスタンは絶望と希望が交錯する激しい涙を流し続けていた。




