12.副団長の追跡
「私を忘れてください——」
最後に残された涙の混じる声と、切ない微笑み。
トリスタンの姿が光の粒となって消え去った後も、デイトナはその場所に佇んでいた。
静まり返った中庭に、冷たい夜風が吹き抜ける。
包み込んでいたはずの小さな手のあたたかさは、すでに夜気の中に溶けて消えていた。だが、胸の奥に残された焦燥感と熱気は、消えるどころか増すばかりだった。
(忘れることなど、できるはずがないだろう……)
デイトナはぎゅっと握りしめた己の手を見つめた。
彼女は「自分に関われば恐ろしい災いが降りかかる」と言っていた。その恐怖に満ちた眼差しは嘘や偽りなどではない。彼女は何者かの影に脅かされ、身を潜めるように暗闇の中を彷徨っているのだ。
だが、デイトナが彼女に惹かれたのは、手と手が触れ合った今夜が初めてではなかった。
(——あの夜も、そうだった)
デイトナの脳裏に、数日前の記憶が蘇る。
夜毎の鍛錬の最中、視線の端で気配を感じたのが始まりだった。
柱の陰から、透き通るような美しい少女が、息をひそめて自分を見つめていることに気づいた夜。
最初は刺客か怪しい者かと警戒した。だが、彼女の瞳には害意など一切なく、ただ切ないほどの眼差しで己の剣を見つめていた。
デイトナはあえて気づかないフリをしながら鍛錬を続け、ある夜、12時近くになって彼女が静かに姿を消す際、密かに後をつけたことがあったのだ。
気配を消し、距離を保って後を追うデイトナ。
靴音ひとつ立てずに廊下をすり抜けていく少女は、迷うことなく城の西側——王家図書館へと向かっていた。
そして、閲覧が禁じられている奥深い書棚の前まで辿り着くと、時計塔の12時の鐘とともに、まるで煙のようにふっと姿を消してしまったのだ。
(あの日からずっと、気になっていた。彼女は一体何者なのか、なぜあんなにも寂しそうな顔で図書室へと消えていくのか……)
そして今夜、ついに彼女と言葉を交わし、その手に触れることができた。
彼女は己の名を「トリスタン」だと教えてくれたが、なぜ夜しか現れないのか、なぜあんなにも怯えているのかは、固く口を閉ざしたままだった。
「私に見えるのが奇跡なら……その奇跡を、ただの奇跡で終わらせはしない」
デイトナは蒼い瞳に鋭い決意を宿すと、力強い足取りで歩き出した。向かう先は、やはりあの王家図書館だった。
深夜の図書館は、静寂そのものだった。
高くそびえる書棚が整然と並び、古い紙とインクの匂いが漂っている。デイトナは以前彼女の後をつけた時の記憶を頼りに、禁書エリアの手前へと向かった。
頑丈な鉄格子と重厚な南京錠で閉ざされた棚の前。
床にはホコリが積もっていたが、その前にだけ、かすかに金色の粒子の残り香が漂っていた。
(ここに……彼女が隠している秘密がある)
デイトナは固く閉ざされた鉄格子を見上げた。
なぜ彼女は自分の事を語ろうとしないのか。何を恐れているのか。
「待っていてくれ、トリスタン。君が何を抱えていようと……必ず私が突き止めてみせる」
彼女が話してくれないのなら、自分が彼女の絶望の正体を解き明かすまでだ。
夜明けの光が城の窓を白ませ始める中、若き副団長は静かな決意を胸に刻んでいた。




