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エルネスト(仮)  作者: 腐った生ゴミ
4/8

3話

第三話 友達


 四歳になっても、エルネストは家の近くから離れて遊ぶことを許されていなかった。


 歩けるし、走ることだってできる。調子のいい日には、庭で木片を並べているうちに昼になってしまうこともある。それでも、突然訪れる深い眠りだけはどうにもならなかった。


 遊んでいる途中でも、食事の途中でも、前触れなく意識が遠のく。ほとんど毎日のように訪れるその眠りから目覚めた後は、しばらく手足を動かすことさえ難しい。どうして今は元気なのに、次には動けなくなるのか。自分でも分からないのだから、母ちゃんたちが心配するのも仕方がない。


「エル。庭で遊ぶのはいいけど、道へ出るんじゃないよ」


 グレタは鍛冶場へ向かう前に、いつものように言った。


「うん」


「父ちゃんか母ちゃんの声が届くところにいるんだよ。分かったね?」


「うん。庭にいる」


 もう何度も聞かされていることだった。それでもグレタは返事を確かめてから、ようやく鍛冶場へ戻っていく。ヨハンも裏手の作業場にいて、ときおり庭を覗いてくれた。エルネストが家から遠くへ行けないのは残念だったが、庭にも気になるものはたくさんある。


 家の裏にはグレタの鍛冶場があり、庭の一角にはヨハンが仕事に使う板や角材が置かれている。眺めているだけでも、何か作れそうな気がしてくる。もっとも、鍛冶場の鉄片を勝手に持ち出そうとしたときには、グレタにあっさり見つかっている。


「これ、曲がってるよ」


「直せば使えるだろ」


 それなら別の欠片はどうかと手を伸ばしたところで、グレタの視線までついてきた。どうやら、使えなさそうに見えるものでも、母ちゃんには使い道があるらしい。


 だから今日は、ヨハンに使ってもよいと言われた短い木片だけを庭に並べていた。


 木の端を重ねる。少しずらす。向きを変えて、また並べる。何かを作ろうとしていたはずなのだが、どんな形にしたかったのか、まだうまく決まらない。ひとまず二本を立てかけたところで、片方が滑って倒れた。


「何してるの?」


 庭の入口から声がして、エルネストは顔を上げた。


 そこには、同じくらいの背丈の男の子が立っている。何度か村で顔を見かけたことがあった。確か、アールハイドという名前だったはずだ。


「……作ってる」


「何を?」


「まだ分からない」


 アールハイドは目を瞬かせた。その脇には、使い古した鍬の柄が抱えられている。何か言いたそうにエルネストを見たが、笑いもせず、もう一度木片へ目を落とした。


「決まってないのに作ってるんだ」


「うん」


「そっか。……それ、立てたいの?」


 エルネストが頷くと、アールハイドは倒れた木片を一本拾い、さっきまで立っていた方の端にそっと添えた。二人で手を離すと、しばらくは立っていたものの、やがて傾いて土の上に転がった。


「あ、倒れた」


「つながってないから」


「じゃあ、つなげればいいんだね」


「うん。でも、道具がない」


 アールハイドは「なるほど」と頷き、転がった木片を拾い直した。


「もう一回やってみる?」


「うん」


 何を作っているのか分からないと言ったのに、この子は気にせず一緒に考え始めている。エルネストは、アールハイドが支える木の端へ自分の指を添えた。


 しばらくして、ヨハンが裏手から顔を出した。


「アールハイド、来てたのか。頼まれたものは?」


「あ、これです。お父さんが、鍬の柄を見てほしいって」


 アールハイドは脇に抱えていた古い柄を差し出した。傷んだところを確かめたヨハンが、修繕できるか見てみようと言って受け取る。アールハイドはその手元を眺めていたが、帰る前にエルネストへ振り返った。


「エルネスト、だよね?」


「うん」


「僕はアールハイド。……また遊びに来てもいい?」


 エルネストは少し考えた。遊ぶといっても、何をするのだろう。けれど、さっき二人で木を立てようとしたのは、少し面白かった。


「うん」


「じゃあ、またね」


 アールハイドは手を振り、門へ向かった。


 門を出る前に、一度振り返った。エルネストの手元を見て、何か言おうとしたらしい。けれど、そのまま笑って歩き出した。


 エルネストはしばらく庭の入口を見つめてから、倒れた木片を拾い上げた。さっきとは違う置き方を、もう一度試してみたくなっていた。


     ◇


 それから数日後、アールハイドがまた家を訪ねてきた。


 その間にもエルネストは、いつもの深い眠りに落ちていた。目を開けたとき、見上げた梁も、頬に触れている手も、すぐには今の自分のものと結びつかなかった。


「エル。母ちゃんだよ」


 グレタに呼ばれ、何度か言葉を交わすうちに、ここが自分の家だと思い出した。庭で木を並べていたこと。見知らぬ男の子が一緒に木を支えてくれたこと。アールハイド、と名前が浮かんだのは、そのあとだった。


 それでも身体はすぐに動かせず、しばらく寝台で過ごしてから、ようやく庭へ出られるようになったところだった。グレタが何度も顔を覗きに来るのは、いつまた倒れるか分からないからだろう。


 今度のアールハイドは一人ではなかった。後ろには、明るい声の男の子と、その子に何か言っている女の子がいる。


 アールハイドはエルネストを見つけると、ぱっと顔を明るくした。後ろの二人へ何か言ってから、庭の入口に並んで立つ。


「エルネスト、また来たよ。今日は友達も連れてきたんだ」


 声を掛けられ、エルネストは持っていた木片を置いた。


「こっちはルーカスとリリー。ここで一緒に遊んでもいい?」


「俺、ルーカス! 城作ろうぜ!」


「まだ城に決まってないでしょ!」


 リリーが言い返す。ルーカスは気にした様子もなく胸を張った。


 アールハイドが、返事を待つようにエルネストの顔を覗いた。


 エルネストは三人を見比べた。庭なら遊んでもよいと言われている。けれど、友達を呼んでよいかまでは聞いていなかった。


「母ちゃんに聞いてくる」


 鍛冶場へ声を掛けると、グレタは庭へ顔を出した。三人を見てから、エルネストへ視線を戻す。


「庭で遊ぶんだね? エルはここから離れられないから、あんたたちも道まで出ないでおくれよ」


「うん!」


 ルーカスが真っ先に答え、リリーとアールハイドも頷いた。グレタは子供たちの顔をもう一度見てから、仕事へ戻っていった。


「じゃあ、何して遊ぶ?」


 アールハイドが尋ねるより早く、ルーカスは地面に棒で大きな四角を描き始めた。中へもう一つ小さな四角を描き、外側の線を指さす。


「ここが壁で、ここが門! 真ん中が城!」


「外側も城じゃないの?」


 リリーが尋ねると、ルーカスは首を振った。


「外は壁!」


「壁も城の一部でしょ?」


「じゃあ全部城!」


「……さっきと違うじゃない」


 リリーの眉が寄る。アールハイドはその横で笑っていた。エルネストは絵を覗き込み、棒で描かれた壁を眺めた。


 城。門。高い壁。


 ふと、石の壁を見上げていたような気がした。自分がいつ、どこで見た景色なのか、考えようとすると遠ざかっていく。


 けれど、壁の近くにもっと高い場所があれば、そこから中が見えてしまう。そんなことは分かった。


「ここに山があったら?」


 エルネストが四角の横へ線を引くと、アールハイドが身を乗り出した。


「山?」


「壁より高いところが近くにあったら、上から見える。矢も飛んでくる」


「じゃあ山をなくせばいい!」


「山はなくならないよ」


 リリーの返事に、ルーカスは少し考えた。


「じゃあ壁をもっと高くする!」


「山の方が高かったら同じだよ」


「もっと高くする!」


「ずっと?」


「ずっと!」


 エルネストは山と壁の線を見比べた。どこまでも高くできるなら、確かに見下ろされなくなるだろう。けれど、山より高い壁を作るとなれば、材料も人手も足りそうになかった。


「……それなら大丈夫かも」


「ほら!」


 ルーカスが得意そうに胸を張った。


「本当に作れるの?」


「作ればいいんだよ!」


 そう言って、ルーカスは立ち上がった。


「よし、本物の城を作るぞ!」


「今のは絵じゃなかったの?」


「次は本物!」


「本物は無理だよ」


「小さいの!」


 ルーカスは両手を広げて見せた。四人で入れるくらいのものが欲しいらしい。


 石を積んだ城は無理でも、木を使った囲いならどうにかなるかもしれない。エルネストがそう言うと、ルーカスは待っていたとばかりに頷いた。


「木ならある!」


 ルーカスは庭の隅にある木片の山を指さした。


     ◇


 使うことにしたのは、ヨハンが庭の端へ分けておいた短い板や角材だった。


 アールハイドは並んだ材木を見渡した。小さな城を作ると言い出したのはルーカスだが、何をどう組めばよいのか、誰も決めていない。エルネストは木片の長さを見比べ、使えそうなものを選んでいた。


「この木は、父ちゃんが使っていいって言ったやつ」


 エルネストがそう教えると、ルーカスは嬉しそうに駆け寄った。グレタは鍛冶場の戸口から使う木を確かめ、危ないものや重いものは持ち出さないよう言って、また仕事へ戻った。


 エルネストが細長い角材を一本抱えた。重そうには見えなかったが、横にして運ぼうとすると端が土を擦ってしまう。アールハイドは反対側へ回り込み、角材の端を持ち上げた。


「そっち持つよ」


「うん」


 二人で運ぶと、木を引きずらずに済んだ。リリーは短い板を選び、ルーカスは幅の広い木片を抱えてくる。


「これを門にする!」


 ルーカスが板を立てた。だが、手を離した途端にぱたりと倒れた。


「あれ?」


「支えがないから」


「じゃあ持ってればいい!」


「ずっと?」


 リリーの問いにルーカスの手が止まる。板を押さえたままでは、城へ入ることもできない。


 ルーカスが石を集めて板の両側へ置くと、今度は立った。ところが、確かめるつもりで横から押した途端にまた倒れる。


「ほら、倒れた」


「じゃあ押さなきゃいい!」


「風でも倒れるよ」


「風は押さないだろ」


「押すよ」


 ルーカスが空を見上げた。ちょうど頬をかすめた風に髪を揺らされ、しばらく黙ったあと、板へ視線を戻した。


「……ほんとだ」


 アールハイドが笑い、リリーもつられて笑った。


 アールハイドはまだ口元を緩めたまま、倒れた板を拾い直した。城を作るならまず土台から、などと考えている間に、ルーカスはもう次の木を運んでいる。あの勢いに押されていると、考え込んでいる暇もない。


 その横で、エルネストが板を立て直し、短い木を斜めに添えた。父親の仕事を見て覚えたのだろうか。


「こっち、押さえてくれる?」


「うん」


 アールハイドは板の向こう側へ回り、手を添えた。さっきよりぐらつかなくなった。


「反対にも一本あった方がよくない?」


「いる」


「じゃあもう一本探そう」


 アールハイドが使えそうな木を探していると、エルネストが指さした。


「その短いの、ちょうどいい」


「これ?」


「うん」


 渡された木を、エルネストが反対側へ添える。少し傾いたので二人で押さえ直した。


「これ!」


 ルーカスが運んできた板は、少し長すぎた。


「切ればいい!」


「どうやって?」


「……折る!」


「割れちゃうよ」


「じゃあ踏む!」


「それも割れると思う」


 今度はルーカスが黙った。リリーはため息をつき、アールハイドは短い木を二本並べて見せた。


「こっちを使えば、切らなくて済むんじゃない?」


 並べてみると、確かに使えそうだった。


「うん。これならできる」


 四人で木を運び、立て、倒れそうなところへ石を寄せていった。釘も縄もないから、思うようには組めない。エルネストは何度も板の継ぎ目を確かめ、時折、作業場の方へ目をやっていた。


「何か、使いたいものがある?」


 アールハイドが聞くと、エルネストは少し考えてから首を振った。


「今は、これで作る」


 ルーカスが大きな木を運んでくる。リリーは二人の足元に小さな石を揃えた。アールハイドも板を押さえながら、次に置けそうな場所を探した。


「それ、もうちょっと右」


 アールハイドに言われて板をずらすと、木と木の間にできていた隙間が小さくなった。


「こう?」


「うん、そっち」


 アールハイドは板から手を離し、少し離れて全体を眺めてみた。四人で手を動かすたび、最初は土に描いただけだった城が、少しずつ形になっていく。


 やがて、四人がしゃがんで入れるほどの囲いができた。壁は低く、屋根のつもりで渡した細板も半分ほどしかない。斜めの支えは寄り掛かっているだけで、まだ丈夫な城とは言えなかった。


「完成!」


「屋根、まだないよ」


「城だ!」


「半分しかないのに」


「城!」


 リリーは呆れたように眉を寄せたが、口元は少し笑っていた。


 エルネストが中へ入り、アールハイドもその後に続いた。屋根の隙間から空が見える。風が板の間を抜け、膝の辺りをくすぐった。さっきまでただの庭だった場所に、小さな別の場所ができた気がする。


 エルネストが壁に触れると、板がわずかに揺れた。


「まだ弱いから、寄り掛からないで」


「うん。分かった」


 アールハイドは壁から少し身を離した。


「エル!」


 先に外へ出ていたルーカスが、囲いの向こうから顔を出した。


「敵が来た!」


「敵?」


「城を攻める!」


「誰が?」


「俺!」


「さっき、城の中にいたじゃん」


「今は敵!」


「………」


「なんか言えよ!」


 アールハイドが吹き出し、リリーも声を漏らした。ルーカスだけは不満そうだった。


 さっきまで、どうすれば倒れずに作れるかと考えていたはずなのに、今はルーカスが何を言い出すか分からないことの方が面白い。アールハイドは自分が笑っていることに気づき、また少しおかしくなった。


「じゃあエルが守れ!」


「何から?」


「俺から!」


「分かった」


「分かるの!?」


 エルネストは首を傾げたまま、入口に立っている。どうやって守るつもりなのか、アールハイドにもよく分からない。


 そのとき、ルーカスが壁へ飛びついた。


「あ」


 エルネストは声を漏らした。止めるには遅かった。


 ルーカスの体重で板が内側へ傾き、添えてあった支えが滑り落ちる。隣の木まで押されて石が転がり、城はたちまち形を失った。


「わっ!」


 リリーが身を引く。アールハイドはとっさにその腕をつかみ、さらに引き寄せた。支えが外れるのは見えたのに、手を伸ばせたのは隣のリリーまでだった。エルネストが頭をかばうのが見える。細い板がその肩に当たり、木のぶつかり合う音が続いたあと、ようやく辺りが静かになった。


     ◇


 倒れた木の間から、アールハイドが先に立ち上がった。リリーとルーカスも続く。エルネストは倒れた板をよけ、まだ膝をついたまま三人を見上げた。


「痛い……」


 リリーの腕には細い擦り傷ができていた。ルーカスは額についた土を払いながら「俺は平気!」と言ったが、リリーの傷を見ると、その手を止めた。


「……ごめん」


「もう飛びつかないでよ」


「うん」


 いつも大きな声のルーカスが黙り込んだ。アールハイドも何も言わず、リリーは傷のついた腕をそっと押さえている。ついさっきまでの騒ぎが嘘のようだった。


「エル、大丈夫?」


 アールハイドが差し出した手を取り、エルネストも立ち上がった。


「うん。少し当たっただけ」


 そこで、崩れる音に気づいたグレタが鍛冶場から駆け寄ってきた。散らばった木と四人の姿を見て、まずエルネストの肩に手を添え、顔を覗き込む。


「エル、どこか痛いかい?」


「肩にちょっと当たった」


 グレタは肩を確かめると、ほかの三人にも怪我がないか尋ねた。


 リリーの腕に擦り傷を見つけると、グレタは家からきれいな水を持ってきて、ついた土を洗い流してくれた。浅い傷だと分かって少し表情を緩めたものの、崩れた板を見直すと、また眉が寄った。


「何やってんだい、あんたたち!」


「城を作った」


「……で、その城はどうしてこんなことになったんだい?」


「ルーカスが飛びついたから」


 答えてから、エルネストは倒れた支えを見た。飛びついたのはルーカスだ。でも、支えが板につながっていなかったから、押されたときに外れたのだ。


「……ちゃんと留めてなかった」


「そうだね。立っているだけじゃ駄目なんだよ。中に人が入るなら、ぶつかったときにも倒れないようにしなきゃね」


 グレタはルーカスにも、危ない飛びつき方をしてはいけないと注意した。そして、道具が足りないならヨハンに相談するようにと、エルネストにも言い聞かせた。


 四人で木を片づけると、城があった場所は元の庭へ戻った。何度も運んで立てたのに、なくなるときはずいぶん早かった。


     ◇


 三人が帰る支度をしている間に、グレタはエルネストを家の戸口へ呼んだ。


「危ないって分かってたんだろ?」


「うん」


「じゃあ、なんで中に入ったんだい?」


「城だったから」


「………」


 グレタは口を開きかけ、何を言えばいいのか迷ったように閉じた。それから頭を軽く掻き、エルネストを見下ろした。


「……次はちゃんと作るんだよ。父ちゃんに見てもらいな」


「また作っていいの?」


「そこじゃないよ」


 グレタは呆れたように言ったが、その口元には少し笑みがあった。


 庭の方から声が聞こえた。


「エル!」


 振り向くと、庭の入口でルーカスが手を振っていた。リリーとアールハイドも一緒だった。


「また明日な!」


「今度はちゃんと作ろうね!」


 リリーも言い、アールハイドが手を挙げた。


「また明日」


 エルネストは少しだけ立ち止まった。


 庭で一人、木を並べていたときには、作りたい形も決まらなかった。今日は四人で作って、結局壊れてしまった。それなのに、もう一度同じことをしたいと思っている。


 たぶん、城を作ったことだけが楽しかったわけではない。


 明日も庭にいられるだろうか。そんなことは分からない。それでも、また来ると言ってくれた。


「うん。また明日」


 返事をすると、アールハイドが笑った。その横でルーカスはもう次の城の話を始め、リリーが何か言い返している。


 エルネストはグレタの後について家へ入った。庭の入口から三人の姿が見えなくなっても、最初にアールハイドが掛けてくれた「何してるの?」という声が、ふと頭に浮かんだ。

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