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大魔王ビックベンの伝説・その腹痛は世界を救う  作者: 水源


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1/10

伝説の始まり

 ――大魔王ビッグ・ベン。


 アウラシア大陸北方、シュベーリア地方。


 そこに突如として現れた大魔王は、圧倒的な力で魔族を従え、人間の町や村を次々と滅ぼしていった。


 北方の城塞は陥落。


 ソォン王国軍は敗走。


 王国北部の半分は、わずかな期間で魔王軍の支配下へと落ちた。


 人類に残された時間は、もう長くない。


 誰もが、そう思っていた。


 だが――。


 絶望の中で、女神は四人の人間を選んだ。


 光り輝く聖剣パンパースを操る勇者――ムーニー。


 黄金色の魔力をまとい、斬りつけた者を蝕む魔剣ブリブリブリンガーを操る剣聖――グーン。


 攻撃から支援まで、あらゆる魔法を使いこなす賢者――メリーズ。


 回復と防御魔法を極めた聖女――オヤスミ。


 この四人こそ、人類最後の希望。


 魔王を討ち、人類を救う英雄たち。


 ――そうなるはずだった。


     ◆


「ポコおねえちゃーん!」


「はいはい。どうしました?」


 ソォン王国南西部。


 王都から遠く離れた山間の小さな村で、少女ポコは一人の少年を迎えていた。


 ポコ。


 薬の知識にかけては、村の誰も敵わない薬師である。


 そんな彼女の前で、少年は涙を浮かべながら腹を押さえていた。


「ポンポン痛いー!」


「あらあら。またですか?」


 ポコはしゃがみ込み、少年のお腹にそっと手を当てる。


「何か悪いものを食べました?」


「…………」


「どうしました?」


「……食べてない」


「本当ですか?」


「…………ちょっとだけ」


「何を食べたんです?」


 少年は気まずそうに視線を逸らした。


「……お供え物」


「…………」


 ポコは深いため息をついた。


「また神様のお供え物を食べたんですね?」


「だって、おいしそうだったんだもん!」


「だからといって、食べていい理由にはなりませんよ」


「……ごめんなさい」


「ちゃんと謝れたなら、きっと神様も許してくださいます」


 ポコは少年の頭を優しく撫でる。


「それより今は、神様より先に、このお腹を治しましょう」


「うん……」


「では――」


 ポコは少年のお腹に手を当てた。


「痛いの痛いの、とんでけー」


「痛いの、とんでけー……」


 少年も真似をする。


 その瞬間だった。


 ――カン、カン、カン、カンッ!


 村中に、けたたましい鐘の音が鳴り響いた。


「……え?」


 ポコの表情が変わる。


 穏やかな昼下がりを切り裂くように、村の外から怒鳴り声が響いた。


「魔物だ!」


「北の街道に魔物の群れが出たぞ!」


「村長を呼べ!」


 村の空気が、一瞬で変わった。


 少年が怯えた顔でポコを見上げる。


「お姉ちゃん……」


「あなたは教会へ行ってください」


「ポコおねえちゃんは?」


 ポコは立ち上がり、薬箱を手に取った。


「私は薬師ですから」


 そして、いつものように微笑んだ。


「怪我をした人がいるなら、助けに行かないといけません」


     ◆


 村の中央へ向かうと、すでに大勢の村人が集まっていた。


「北の街道から魔物の群れが来ている!」


「数は分からん!」


「女子供は教会へ!」


 村長が必死に指示を飛ばしている。


 だが、この村に兵士はいない。


 いるのは農民と職人。


 老人と子供。


 まともに戦える者など、ほんのわずかだった。


 そして――。


「グルルルル……」


 村の入口から、低い唸り声が響いた。


 土煙の向こう。


 巨大な影が姿を現す。


 二本の角。


 鋭い牙。


 血走った赤い目。


「オーク……!」


 一体。


 二体。


 三体。


 その後ろから、さらに魔物たちが姿を現す。


「逃げろ!」


 悲鳴が上がった。


 村人たちが一斉に逃げ始める。


 だが――。


「……あ」


 ポコは気づいた。


 逃げ道の先にも、魔物がいる。


「まずい……」


 完全に包囲されていた。


 一体のオークが、ゆっくりとポコへ近づいてくる。


 その視線が、ポコの薬箱へ向いた。


「薬師か」


「……はい」


「薬を持っているな」


「ええ」


 オークは自分の腹を押さえた。


「治せ」


「……え?」


「人間との戦いで負傷した者がいる」


 オークは剣を抜いた。


「治せなければ、この村を焼く」


「…………」


 怖い。


 逃げたい。


 それでも。


 目の前に怪我人がいる。


 薬師として、それを見捨てることはできなかった。


 ポコは小さく息を吐く。


「……分かりました」


 そして薬箱を開いた。


「治療します」


「ポコおねえちゃん!」


 遠くから少年の声が飛んできた。


 ポコは振り返り、笑った。


「大丈夫ですよ」


 そして、もう一度だけ言う。


「私は薬師ですから」


 そのときだった。


 ――ドォォォンッ!


 空から何かが落ちてきた。


「な、なんだ!?」


 土煙が一気に舞い上がる。


 そして――。


 煙の向こうから、一人の青年が現れた。


 豪華な装備。


 堂々とした立ち姿。


 そして、その手には――。


 眩い光を放つ聖剣。


 青年は魔物の群れを見渡した。


「……ようやく見つけた」


 オークたちが一斉に武器を構える。


「何者だ!」


 青年は聖剣を肩に担いだ。


「俺か?」


 不敵な笑み。


 そして――。


「女神に選ばれた勇者――ムーニーだ!」


「勇者……!」


 村人たちから歓声が上がった。


 人類最後の希望。


 魔王を討つため、女神に選ばれた英雄。


 誰もが、そう思った。


「うおおおおおおおっ!」


 ムーニーが魔物の群れへ突撃する。


 ――ズバァァン!


 ――ドガァァン!


 オークが吹き飛ぶ。


 別の魔物が宙を舞う。


 その圧倒的な力に、村人たちは息を呑んだ。


「す、すごい……!」


 さすが勇者。


 これなら勝てる。


 誰もが、そう思った。


 だが――。


「…………」


 魔物をすべて倒したムーニーは、なぜか地面をきょろきょろと探し始めた。


「…………?」


 ポコが首を傾げる。


「どうしたんですか?」


「いや」


 ムーニーは真剣な顔で答えた。


「この辺に、俺のパンツが落ちてるはずなんだ」


「…………」


 村人全員が固まった。


「…………はい?」


「いや、女神から聖剣を授かったときにな」


 ムーニーは悪びれもせず説明する。


「勢い余ってパンツまで脱げちゃってさ」


「…………」


「だから、もし見つけたら――」


 ポコは満面の笑顔で言った。


「勇者様」


「はい」


「まず服を着てください」


「……あ」


 ムーニーが自分の下半身を見る。


「…………」


「…………」


「見なかったことにしてください」


「無理です」


 即答だった。


「村人全員が見ています」


「ですよねー……」


 人類最後の希望。


 勇者ムーニー。


 その第一印象は――。


 最悪だった。


     ◆


「まだ来るぞ!」


 誰かが叫んだ。


 森の奥から、地響きが響く。


「グルルルル……!」


 木々をなぎ倒しながら、一体の巨大な魔物が姿を現した。


「オーガ……!」


 ムーニーの顔から笑みが消える。


「なるほど」


 聖剣を構える。


「こいつが親玉か」


 オーガが巨大な斧を振り上げた。


 ――ドンッ!


 一瞬で距離が縮まる。


「速い!」


 ムーニーが聖剣を振る。


 ――ガキィィィン!


 斧と聖剣が激突した。


「ぐっ……!」


 押されている。


 ムーニーの足が地面へ沈む。


「勇者様が……!」


 村人たちが息を呑む。


 そのとき。


「ムーニーさん!」


 ポコが叫んだ。


「左です!」


「え?」


「オーガの左足!」


 ムーニーが一瞬だけ視線を落とす。


 確かに、踏み込みが甘い。


「なるほど!」


 ムーニーが笑った。


「助かった!」


 聖剣を引く。


 オーガの巨体が前へつんのめった。


「なっ――!」


「せいやぁぁぁぁっ!」


 ――ズバァァァァンッ!


 聖剣がオーガを切り裂く。


 巨体が吹き飛び、地面を何度も転がった。


 そして――動かなくなった。


「うおおおおおおおおっ!」


 村に歓声が響いた。


「勇者様だ!」


「勇者様がオーガを倒したぞ!」


 ムーニーは照れくさそうに笑う。


「いや、俺だけの力じゃないですよ」


 そしてポコを見る。


「彼女のおかげです」


「……私?」


「俺は剣を振ることしかできない」


 ムーニーは笑った。


「でも、戦いを見る目はあんたのほうが上だ」


 ポコは少しだけ驚いた。


 勇者。


 ただ強いだけの人だと思っていた。


 けれど――違う。


 自分より優れたものを認める。


 人の力を借りることを恥じない。


「……変な人ですね」


「よく言われます」


「褒めてません」


「それもよく言われます」


 ポコは思わず笑った。


 そのとき――。


 ――ヒヒーン!


 街道の向こうから、馬の嘶きが響いた。


 一頭の黒馬が駆けてくる。


 その背から、一人の男が降り立った。


 長い黒髪。


 鋭い眼差し。


 そして背中には、禍々しい魔剣。


「……あれは?」


 ポコが尋ねる。


 ムーニーは苦笑した。


「剣聖グーンだ」


「勇者ムーニー」


 グーンが近づいてくる。


「また女神から授かったパンツを紛失したそうだな」


「……誰から聞いた?」


「女神からだ」


「女神ぃぃぃぃぃっ!」


 ムーニーが頭を抱える。


 グーンは深いため息をついた。


「魔王を倒す前に、まず自分の下着を管理しろ」


「それは俺も反省してる!」


 ポコは思った。


 ――本当に、この人たちが人類最後の希望なのだろうか。


 しかし。


 その疑問を口にする暇はなかった。


 グーンが突然、北の空を見上げたからだ。


「……来る」


「え?」


 全員が空を見上げる。


 北の山々。


 その向こうから、巨大な黒雲が迫っていた。


 雷鳴が轟く。


 大地が震える。


 そして――。


『――人間どもよ』


 低く、不気味な声が響いた。


 ムーニーの表情が変わる。


「この声……」


 グーンが魔剣に手をかけた。


「魔王か」


 黒雲の向こう。


 巨大な影が姿を現す。


 膨大な魔力が空を覆った。


『我が名は――』


 魔王が両手を広げる。


『大魔王ビッグ・ベン!』


 ――ついに。


 人類最大の敵が、勇者たちの前に姿を現した。


 全員が身構える。


 魔王もまた、こちらを睨みつける。


『…………』


「…………」


『…………』


 沈黙。


 一秒。


 二秒。


 三秒。


 そして――。


『ぐっ……!』


 魔王の顔が苦痛に歪んだ。


「……?」


『ま、待て……』


「何を?」


『い、今は戦えん……!』


「は?」


『すまん! ちょっとだけ待ってくれ!』


 魔王は踵を返した。


『トイレに行ってくる!!』


「…………」


「…………」


「…………」


 人類最後の希望たちは。


 ただ呆然と、その背中を見送った。


     ◆


「……魔王さん」


 ポコは森の奥を見つめた。


「かなり苦しそうでしたね」


「そこを心配するの!?」


 ムーニーが叫ぶ。


「だって、お腹が痛いのは辛いですよ?」


「敵だぞ!?」


「でも患者ですよ?」


「患者じゃなくて魔王!」


 ポコは薬箱を抱え直した。


「では、薬を持っていきます」


「待て待て待て!」


「はい?」


「魔王を治療する気!?」


「薬師ですから」


 ポコは当然のように答えた。


「病気や怪我に、敵も味方もありません」


「…………」


 グーンが腕を組む。


「この娘、本当に薬師か?」


「俺には聖女より聖女らしく見える」


 ムーニーは遠い目をした。


「……俺たち、本当に魔王を倒せるのかな」


「さあ?」


 ポコは首を傾げた。


「でも――」


 北の空を見上げる。


 その表情には、迷いがなかった。


「まずは、お薬を届けてあげましょう」


 こうして――。


 人類最後の希望たちと、大魔王ビッグ・ベンの戦いは。


 世界史上類を見ないほど、間の抜けた形で幕を開けた。


 そして、誰も知らなかった。


 このとき魔王の腹痛を治すために持ち込まれた――たった一包の薬が。


 やがて。


 人類と魔族。


 両者の歴史を、大きく変えることになるなど。


 ――まだ、誰も知らない。

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