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姉の婚約破棄に小躍りしていたら、次の婚約者に私が指名されました――もちろん、当然のようにお断りします【連載拡張版】  作者: 堀吉 蔵人
姉の婚約破棄に小躍りしていたら、次の婚約者に私が指名されました――もちろん、当然のようにお断りします

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4/5

第四話 それぞれの明日を選びます

 

「ミレイユ」


 姉が私を呼んだ。


「はい、お姉様」


「私、あの方との結婚が怖かったのだと思うわ」


 その声は小さかった。


 けれど、今度は誰かに整えられた声ではなかった。


「怖いと言ってよかったのだと、今になって分かったの」


「では、今夜はお祝いですね」


「婚約破棄されたのに?」


「押しつけられた婚約がなくなった日ですもの。お祝いでいいと思います」


 姉は呆れたように私を見た。


 それから、少しだけ笑った。


 その笑顔は、久しぶりに姉自身のものだった。


 その時、ルーカス卿が戻ってきた。エドガーを別室へ連れていった後なのだろう。彼は私たちの前で足を止め、姉へ丁寧に一礼した。


「リリアーナ嬢」


「……ルーカス卿」


 姉が名を呼ぶと、彼は少しだけ目元を和らげた。


「季節の便り以外でお声がけするのが、このような場になってしまい申し訳ありません」


「いいえ。先ほどは、ありがとうございました」


「私は職務を果たしただけです」


 その言い方は、手紙の文面とよく似ていた。


 大げさにしない。余計な意味を足さない。こちらの返事を急がせない。


「後日、事情聴取のためにお会いすることになります。今夜は、どうかお休みください」


 それだけ告げて、彼は一礼した。


 姉を励ますための言葉も、慰めるための約束も重ねなかった。


 姉が今、自分で立っていることを邪魔しないためなのだと思った。


 その距離の置き方を見て、私は少しだけ安心した。


 父はまだ青い顔をしていたし、母は何か言いたげだった。ベルク伯爵家と侯爵家の縁がどうなるのか、明日から社交界でどんな噂が立つのか、考えるべきことは山ほどある。


 けれど今は、姉が隣にいる。


 しかも、少し笑っている。


 なら、今日のところは勝ちでいい。


 帰宅してから、父は「家のためだった」と説明しようとした。


 私は、説明より先に約束を求めた。私たちの婚姻について、本人の同意なしに話を進めないこと。姉を侯爵家との交渉材料に戻さないこと。そして、今夜のように家の都合を理由に、私たちの返事を奪わないこと。


 父は長い沈黙の末に了承した。母は泣いていたが、今夜ばかりは慰めなかった。


 許したわけではない。


 これまで通りに戻ったわけでもない。


 ただ、同じ屋敷で明日を迎えるための境界線だけは、私たち自身の言葉で引いた。


 翌日、王宮法務院での事情聴取は、思ったよりも静かに終わった。


 エドガーは最後まで誤解だと言い張ったらしい。らしい、というのは、私は途中から廊下の長椅子で焼き菓子を食べていたからである。


 姉が「ここから先は私が話すわ」と言ったからだ。


 それなら、私は信じて待つだけでいい。


 なお、エドガーが真実の愛と呼んだ相手については、正式な婚姻の意思確認すら行われていなかったらしい。


 真実の愛にも、相手の同意は必要である。


 当たり前のことだが、エドガー様には少し難しかったらしい。


 待つだけでいいのだが、何もせず待つのは落ち着かない。だから焼き菓子を食べた。三つ食べた。証人として呼ばれた者に出されたものなので、たぶん問題はない。たぶん。


 しばらくして、扉が開いた。


 出てきた姉は、昨日より少し疲れた顔をしていた。けれど、目元はすっきりしていた。


「お疲れさまでした、お姉様」


「ええ。ミレイユも待っていてくれてありがとう」


「待つのは得意です。焼き菓子があれば」


「三つも食べたの?」


「証人の務めです」


「それは違うと思うわ」


 姉が小さく笑った。


 昨日までなら、笑う前に誰かの顔色を見ていたかもしれない。今の姉は、ただ少し呆れて、それから笑った。


 それだけで、私は廊下の長椅子に座ったまま、少し勝った気分になった。


 その時、ルーカス卿が廊下の向こうから歩いてきた。


 彼は姉の前で立ち止まり、丁寧に礼をする。


「リリアーナ嬢。事情聴取、お疲れさまでした」


「ありがとうございます」


「一つ、個人的にお願いしてもよろしいでしょうか」


 姉の指先が、ほんの少しだけ揺れた。


 私は焼き菓子の皿を持ったまま、黙って見守ることにした。口を挟まない。私は空気の読める妹である。少なくとも、空気を読む努力はしている。


「落ち着かれてからで構いません。よろしければ、来週、お茶の時間をいただけませんか」


 ルーカス卿はそう言ってから、少しだけ言葉を足した。


「もちろん、ご負担でなければ、です。お断りになっても、これまでの手紙や今日の証言には何も影響しません」


「何も、変わらないのですか」


「はい。お返事は、あなたが選ぶものですから」


 姉はしばらく黙っていた。


 それから、私を見た。


 私は何も言わなかった。


 今度は、私が答える番ではないと思ったからだ。


 姉は小さく息を吸い、ルーカス卿へ向き直った。


「では、来週。短い時間なら」


「ありがとうございます」


 ルーカス卿は、昨日エドガーを止めた時よりも、ずっと柔らかく笑った。


 姉はその笑顔を見て、少しだけ目を伏せた。


 私は焼き菓子をもう一つ取ろうとして、皿が空になっていることに気づいた。


 残念である。


 けれど、姉が自分で返事をしたのだから、焼き菓子一つ分くらいは我慢してもいい。


 その帰り道、馬車の中で姉が私に尋ねた。


「ミレイユは、これからどうするの?」


「私ですか?」


「ええ。私のことばかり考えてくれていたでしょう」


 そんなつもりはなかった、と言いかけて、やめた。


 たぶん、そんなつもりはあった。


 姉がエドガーに会う日の朝食を残すたびに、私は腹を立てていた。姉が菫色を身につけなくなるたびに、私はそのリボンを引き出しの奥から救出したくなっていた。姉が笑わなくなるたびに、私はあの男の髪を淡い桃色に染めてやりたいと思っていた。


 もちろん、実行はしていない。


 伯爵令嬢として、そこは踏みとどまった。


「そうですね」


 私は少し考えた。


「しばらくは、誰かの“次”にならない練習をします」


「練習なの?」


「はい。私は何事も、練習してから本番に臨みたい性格ですので」


「昨日は、練習なしで断っていたわ」


「お断りの本番だけは、突然来ますから」


 姉は目を丸くして、それから笑った。


 その笑顔を見て、私は思う。


 今日のところも、勝ちでいい。


 お姉様は助かった。


 そして私は、当然のように、自分の未来もまだ誰にも渡していない。


 それで十分だ。


 今は、十分すぎるくらいだった。

最後までお読みいただきありがとうございます。

楽しんでいただけましたら、ブックマークや評価で応援していただけると嬉しいです。


次作「姉を離縁した義兄から、次の妻に私が指名されました――もちろん、当然のようにお断りします」が公開されます。 タイトル上のシリーズ「恋愛小説のはずでした」よりお読みいただけます。

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― 新着の感想 ―
短編からきました。 あーやっぱり両親は言い訳すらさせて貰えなかったか。
侯爵はどうしたの?
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