九話「泡」
舌はアリスを館の奥深くまで引きずり込んだ。
アリスは瞳を閉じて、死ぬ運命を受け入れた。
舌はアリスをどこかの部屋に運んだ。
そして、ゆっくりと絡みついた舌を離した。
アリスの瞳の色は死んでいた。
しばらく、茫然と立ち尽くした。
部屋には、白色の脚付き浴槽が置かれていた。
その奥には、縁が金色で彩られた鏡があった。
「こんにちはアリス!
どうしてそんなに疲れ切った顔をしているの?」
アリスは、鏡のアリスに問いかけた。
鏡のアリスは、何も答えない。
不思議だった。
いままでなら、
鏡に映るアリスが勝手に動き、話し出す。
アリスが問いかけなくても。
そうなると確信していた。
アリスは鏡に近づき、手を振る。
「どうも、聞こえてる?」
鏡の中のアリスも手を振り、
口の動きまで同じようにまねていた。
可笑しなことに、
返事は返ってこない。
「ポコ、ポコ」
突如、可愛い音がした。
アリスは後ろを向いた。
「ポコ、ポコ」
浴槽の水が泡立ち、次々と弾けていた。
アリスはしばらく泡が弾ける姿を眺めていた。
そして、また鏡を見た。
鏡のアリスは、泥だらけで汚れていた。
アリスは思わず笑った。
そして、悪戯を思いついた子供のようにニヤリとした。
「バッシャーン」
アリスはドレスの裾をたくし上げ、浴槽に飛び込んだ。
水が溢れ、泡が大量にぷくぷくと膨れ上がる。
大きな丸い水の泡がアリスを包みこむ。
「不思議だわ、ドレスも髪も濡れていない。」
鏡のアリスは笑顔だった。
アリスは、泡の中から腕を伸ばしてみた。
泡は腕を避けるように広がった。
まるで触らせまいとするかのように。
泡は浴槽を飛び出して、
部屋の中を縦横無尽に転がった。
「アハハハ!」
アリスは目を回しながら、笑い声を出した。
水の泡は勢いよく扉にぶつかり、破壊した。
泡は止まることなく、部屋の外に出た。
泡の速度はどんどん上がる。
「もうちょっと速度を落として」
楽しげにアリスは頼んだ。
泡はアリスを無視して、廊下を走る。
その先には騎士がいた。
アリスは思わず身構える。
騎士は泡を大慌てで、避けた。
その姿は、とても無様だった。
「惜しい、もうちょっとだったのに」
アリスは、思わず声が出た。
泡は廊下を転がり続けた。
アリスは泡の回転に慣れ、
体勢を保てるようになった。
泡は勢いを増して、壁にぶつかり、床を飛び跳ねた。
アリスは楽しそうに笑い続けた。
アリスの後ろから、「ゴゴゴゴゴ」と嫌な気配の音が聞こえた。
後ろを見ると、床が崩れていた。
崩れる速度は凄まじく、泡を追い越す勢いだった。
「うまくいきすぎだもんね、何かあるよね?」
アリスは天を仰ぎ、思わず心の声を漏らした。
やがて床が無くなり、奈落の底に泡が落下した。
暗闇の中、無数の炎がアリスを照らした。
蝋燭が泡の付近に集まってきた。
「気が利くじゃない、ありがとう!」
アリスは余裕の笑みを浮かべた。
落下している中、アリスは下を覗いた。
パタパタと羽の生えた金の鍵が、
四方八方から集まってきた。
鍵同士が連結して、見事な金色の道を作り上げた。
泡はポヨンと金の道に着地した。
やがて、道を転がり始めた。
金の道は螺旋を描きながら奈落の底へアリスを導いた。
泡はどんどん速度を増していく。
「ふぉぉーっ!」
アリスは歓喜の雄叫びを上げた。
泡は速度を緩め、やがて弾けた。
「ありがとう、楽しかったわ!」
アリスは消えていく泡に感謝した。
アリスは、金の道をゆっくり歩いた。
「この道の先に何があるのかな?」
アリスの声色は高くなっていた。
金の道の先は、とても巨大な扉だった。
そして、扉が勝手に開いた。
蝋燭たちが扉の中に入り、アリスを手招きするかのようにお辞儀した。
アリスもその後につづいた。
中は石でできた通路だった。
足元の道も、壁も、
見渡す限り石ばかりだった。
アリスは大股で歩いた。
やがて、その先に、
真っ赤に彩られ、縁は金色の波紋で装飾された扉がどっしりと構えていた。
「いままでの扉とは、明らかに雰囲気が違う」
「この先に、館の主がいるわね」
アリスの目は輝き、歩みを速めた。
扉の横には、浴槽の鏡があった。
アリスは、鏡に目もくれず、ドアノブに手をかけた。
鍵は掛かっていない。
アリスは、胸の鼓動が早くなるのを感じた。
ゆっくりと扉を開けて、
アリスは部屋の中に消えた。
鏡のアリスは、
笑っていた。




