十話「館の主」
部屋に入ったアリスは、思わず足を止めた。
立派なシャンデリアが中央に吊るされていたからだ。
シャンデリアには赤色の宝石が散りばめられ、燭台が並んでいた。
燭台の上には、赤い火の玉が蠢き回っていた。
「綺麗!」
アリスから感嘆の声が漏れた。
内装も、家具も、絨毯も、
赤を基調としていた。
館の主は、赤色に取り憑かれている。
アリスは、そう思った。
部屋の奥には、
深紅の天蓋に覆われた、大きなベッドが鎮座していた。
「おかしいわね。
何かいる気配はないし、
真ん中に家具もない。
へんな部屋」
アリスは残念そうに、不満を口にした。
蝋燭が部屋の外へゆっくりと出ていった。
アリスは部屋に夢中で、
そのことに気付かなかった。
寒い。
部屋の温度が下がり、アリスの体が震えた。
突然、
蠢く火の玉が止まり、
そして、消えた。
アリスは暗闇に包まれた。
「ブラッディ・メアリー」
冷徹な、しゃがれた女の声が部屋に響いた。
意識を失った。
アリスはゆっくりと目を覚ました。
冷たい石造りの椅子の上で。
まだ、頭がふらふらしていた。
「同じ部屋だと思う。でも、何か違う?」
座っている椅子。
それに、石の机がいつの間にか部屋の中央に置かれていた。
机の向こうには、
真紅と黄金で彩られた、
玉座が鎮座していた。
「なんで?」
体が動けない。
何かに、固定されている。
アリスは、そう感じた。
「誰か、助けてー」
アリスは必死に声を上げて、叫んだ。
「ブラッディ・メアリー」
視界が再び黒く染まった。
火の玉が一つ、二つと、現れ、部屋を照らした。
目の前に、背の高い女が座っていた。
世の男すべてを魅了するほど、
綺麗で美しかった。
不思議と、
年齢は三十歳ほどに見えた。
アリスは、
女が纏う独特の雰囲気が苦手だった。
艶やかな金色の髪が胸元まで流れ落ちていた。
アリスと違い、
うねりがひとつもない真っすぐな髪だった。
真っ赤に燃え上がるような深紅の瞳。
その眼差しは、燃えるような痛みを与えた。
アリスは視線を外した。
喉元には首飾りを下げている。
その装飾は、
火の玉そのものだった。
深紅の生地に黒が混じる、シルクのドレス。
多分、異国のドレスだろう。
アリスは見たことがない。
布が窮屈そうに体へまとわりつき、
大きな胸の膨らみを強調していた。
足元には深い切れ目が入っていた。
つくづく、鼻につく。
アリスはそう思った。
「シャーッ」
蛇の喉を鳴らす音が聞こえた。
顔を横に向ける。
そこには、
赤黒く輝き、炎のように揺らぐ蛇がいた。
蛇は、
アリスの体と椅子に巻き付き、
舌をちらつかせ威嚇した。
「キャアー」
アリスは叫んだ。
「シャーッ」
蛇はあざ笑うかのように、また威嚇した。
アリスはしばらくの間、
石のように固まっていた。
女は彫像のように動かない。
アリスは震えながら、声を絞り出した。
「帰り道を教えてくれませんか?」
「ブラッディ・メアリー」
女は冷徹な声を出した。
その言葉を聞いたアリスは寒気を覚えた。
アリスは女の言葉を繰り返そうとした。
「ブラッディ・メア…」
突然、
蛇の締め付けが強くなった。
言葉に詰まると、蛇は弱めた。
アリスはたまらずに息を吸った。
女はそれを眺めて、
机にあったワイングラスを優雅に持ち、
赤い液体を飲み干した。
机には、何もなかったはずだ。
それに、ワインを注ぐ仕草もなかった。
アリスは、
この女はやはり危険だと感じた。
額から自然と汗が流れた。
「あのー、な…何もしないので、離してもらえますか?」
アリスは勇気を振り絞り、聞いてみた。
女も、蛇も無反応。
ただ、アリスを冷たい瞳で見ていた。
短い沈黙が流れた。
「ブラッディ・メアリー」
女は声をさらに低くして言った。
空のグラスに赤い液体が満たされた。
部屋の温度が下がった。
不思議なことに、
アリスはさらに汗を流した。
「ワインを貰えますか?」
喉が渇いたアリスは、お願いしてみた。
女は、優雅にグラスを揺らし、香りを楽しんでいた。
そして、アリスに見せつけるように、一口で飲み干した。
口から赤い雫が垂れている。
「ゴクリ、」
思わず、アリスは唾を飲み込んだ。
「ブラッディ・メアリー」
女は笑みをこぼしながら唱えた。
アリスの視界が僅かに霞んだ。
手足は痺れ、脈が速くなった。
アリスの腕は、
清らかな白から、穢れた青紫に変わっていた。
おかしい。
何かされている。
女はアリスの恐怖を楽しみ、赤い液体を飲み干した。
女が口にする言葉。
あれのせい。
アリスは必死に考えた。
「ブラッディ・・・」
「やめてーー」
アリスは、女の声を遮るように、精一杯声を出した。
「ブラッディ・メアリー」
女は、アリスの言葉を無視して唱えた。
指の感覚が、無くなっていく。
苦しい。
息が吸えない。
目の焦点も定まらない。
血だ。
ワイングラスに注がれているのは、
アリスの血。
やっと、気が付いた。
でも、アリスには何もできなかった。
「ブラッディ・メアリー」
「ブラッディ・メアリー」
「ブラッディ・メアリー」
女は、楽しそうに声を高くして叫んだ。
蛇はそれに合わせて、頭を振って踊った。
力を入れて、アリスの体をさらに締め付けた。
アリスは声も、体も動かすことができなかった。
「ブラッディ・メアリー」
「ブラッディ・メアリー」
「ブラッディ・メアリー」
ワイングラスから血が溢れて、机を赤黒く染めた。
机から滴る血が、
ポタ、ポタと絨毯に染み渡った。
アリスの肌から血の気が失われていた。
視界も白くなり、思考も止まった。
そのまま、アリスは意識を失った。
「ドォクン、ドォクン」
アリスの心臓はまだ動いていた。
女は満足げに笑みを浮かべ、
とどめを刺すように、
「ブラッディ・メアリー」と唱えた。
血の飛沫が飛び散り、
生臭い匂いが蔓延した。
鏡のアリスは、
瞳孔が開き、人形のように表情を失った。
やがて、鏡は割れ、
鏡のアリスは消えた。




