三十三話「城の禁書」
暗闇を歩くと、青い光が目に入る。
無機質な壁には、蝋燭の置かれた燭台が取り付けられていた。
そこから微かな青い炎が立ち上がり、下へ続く階段を照らしている。
「ウォオオー。」
突然、男の叫び声が下の階から響き渡った。
アリスは驚き、身をすくませた。
廊下の先は行き止まりになっていた。
地下へ降りるしかなさそうだ。
階段は木製で、いまにも崩れそうなほどに腐っていた。
お願いだから、崩れないでね。
そう願いながら、アリスは階段をゆっくりと下り始めた。
一段、一段、下るたびにギシギシと階段が軋む。
あと少しで地下に着く。
そのとき、「ウオオオー。」と叫び声がまた聞こえる。
声は先ほどよりも大きく響き、アリスの鼓膜をつんざく。
思わず両耳を手でふさいだ。
さきほどのアリスの願いは残念ながら届いていなかった。
腐った階段は重みに耐えられずに崩れた。
「痛い。」
アリスはお尻を強く打ち付けた。
少しの間、腰を下ろして痛みが引くのを待った。
周りを見渡すと、地下の部屋も青い炎で照らされている。
アリスは立ち上がり、スカートの裾を軽く叩いてほこりを払った。
近くにあった燭台を手に取り、周りを照らした。
仮面の女が管理している書庫と違い、普通の本棚がいくつか置いてある。
薄暗い空間に、青く煌めく炎。
地下の湿った空気。
カビ臭い匂い。
部屋の雰囲気はかなり不気味だった。
「ウオオオー。」
叫び声とともに、少し先の本棚が揺れ動いた。
アリスは恐る恐る本棚に近づき、燭台をかざして周辺を照らした。
本棚には古い本が並んでいる。
叫びを上げる男の姿も気配もない。
「ゴト、ゴトゴト。」
再び、本棚が揺れた。
アリスは後ろに下がった。
額から汗が流れる。
寒い。
吐く息は白く、髪の毛の先端が凍り付き始めた。
体が恐怖と寒さで震えている。
突然、本棚から一冊の本が飛び出した。
本は宙に浮かび、ひとりでに開く。
そのページから黒い煙が立ち上がり、人の顔みたいに変形した。
「キャー!」
アリスは叫び声を上げ、燭台を盾にするように前に突き出した。
「ウオオオー!ウギャーーー!」
本は青い炎に焼かれ、地鳴りのような悲痛な叫び声を轟かせる。
青い炎は舞い上がり、炎の渦となった。
壁に備え付けられていた蝋燭の炎も激しく舞い上がる。
本は完全に焼き尽くされ、灰すらも無くなった。
部屋の温度は上昇していた。
凍り付いていた髪の先も元に戻り、金色の輝きを取り戻す。
不思議なことに、手に持った燭台の炎は青色から、いたって普通の橙色に変わっている。
壁に備え付けられた蝋燭の炎も同じだった。
アリスはしばらくのあいだ茫然とその場に立ち尽くしていた。
しばらくして、アリスは少しずつ冷静さを取り戻した。
あんな恐ろしい本なら、せめて鍵の掛かった箱の中に入れておけばいいのに。
なんで、ただの本棚に置いておくのだろう?
アリスは本を燃やして消滅させたことをまったく気にしていなかった。
むしろ、危険な本を燃やしたのだから、賞賛を受ける行動だとさえ思っていた。
あらためて明るくなった部屋を見渡してみた。
置かれている本棚はどれも古く、ところどころに亀裂が入っている。
禁書が置かれているのだから、なにか不思議な力を持った本があると期待していた。
もちろん、さきほどみたいな危険な本もあるかもしれないけど。
いまのところ、そのような本は目に付かなかった。
しかたなく、アリスは恐る恐る本棚から一冊手に取ってみた。
年季のある本で、表紙の文字がかすれている。
本を開いた瞬間、古びた紙の嫌なにおいがアリスの鼻を容赦なく襲ってくる。
紙は黄ばんで汚れていた。
さらに数ページめくってみる。
どのページにも文字が書かれていない。
期待外れな本にがっかりして、乱雑に本棚へ戻した。
他の本も何冊か手に取ってみた。
残念ながら異国の言葉で書かれた本や、文字がかすれていて読めない本しかない。
禁書といわれるわりに、あの一冊以外に不思議な本は見当たらない。
そもそも、この世界にアリスの力になる本があるのか?
仮面の女の指示に従って、素直に青虫を目指した方がよかったのかな?
アリスは下ってきた階段を見た。
足場が二段ほど崩れているが、たぶん昇れるだろう。
とりあえず部屋を闇雲に歩いて、めぼしいものが見つからなければ、帰ろうと決めた。
部屋の隅に机と椅子が置いてあった。
机の上には一冊の本とペン差しが置かれていた。
ペン差しは、金色の小さな台座で、そこには羽ペンが一本差してある。
羽は空のような鮮やかな水色で、柄の部分は金色だった。
綺麗な羽ペンよりも、アリスの目は本に移った。
なぜだか、異質な雰囲気を感じ取ったからだ。
本の色は漆黒で、背表紙には「憂いの真実」という金色の文字が彫られていた。
アリスは机の上に燭台を置いて椅子に座った。
本を手に取り、開いた。
ページをめくると真っ黒な紙が目に入る。
そこには金色の文字で、この本の説明が書かれていた。
『憂いの真実』
――本書について――
右のページに聞きたい質問を記入せよ。
さすれば、左のページに知りたい真実の答えが書かれるであろう。
※注意
知りたい質問は、一つのみ。
複数の質問を書く者、欲望深き者也。
答える、義理無し。
――以上――
アリスは書かれた説明を読み終えた。
ページをめくり、羽ペンを手に取った。
「こんにちは」
アリスは何を記入すればいいか悩み、とりあえず挨拶してみた。
インクは金色で、羽ペンはなめらかに紙の上を走った。
右のページに書かれた文字は、やがて黒の紙に吸い込まれるように消えていった。
左のページに金色の文字が浮かび出した。
「こんにちは、アリス。
其方が聞きたいことに答えよう。
ただ、質問は一つのみ、慎重に考え、書き記せ。」
アリスの手は迷わず動いた。
いつものアリスなら質問を考えていたはず。
しかし、このときは違った。
この空間がそうしたのか定かではない。
ただアリスはこう書いた。
「母はこの世界に来たことがあるの?
それから、何があったのか?」
書き終えると、また文字は消えていった。
そして、再び左のページに文字が浮かび上がった。
「質問は一つだというのに、二つの質問をするとは強情な娘よ。
いいだろう。望みどおり、その質問に答えよう。」
アリスが読み終えると文字は消えた。
それから、新たな文字が浮かび上がった。
「ただし、アリス。其方が求める答えになるとは限らない。
それに、これは過去の物語。
知ったところで、過去を変える力を持たぬ其方に、この情報の価値はない。
それでも知りたいか。」
「知りたいわ!」
アリスは言葉に出して、叫んでいた。
叫んだ後に、アリス自身も驚いた。
なぜ?
顔も忘れかけている母のことを知りたいのか?
もしも母のことを知れれば、その疑問すら解決するのではと考えた。
アリスは再び本を見た。
そこには新しい文章が書かれている。
「良かろう。
一つ目の質問に答えよう。
其方の母、エノーラはこの世界に来たことがある。
招かれたのだ。何者かに。」
アリスの体に鳥肌が立った。
なぜか、涙まで流れていた。
涙を服の袖で拭い、続きを読んだ。
「二つ目の質問についてだが、書くだけでは足らない。
血のつながりを持つ其方に体験させよう。
残酷な過去だ。
覚悟せよ。」




