三十一話「城の混沌」
アリスは巨大な螺旋状の本棚を指しながら怒鳴った。
「なにも見ていないのに、なんで本が無いとわかるの?」
「もっとしっかりと調べなさいよ!」
「あの本棚のどの本にも、あおむしという言葉はノーざます。」
ドレスと同じ色の長い手袋をいじりながら女は言った。
「そんなはずないでしょう!」
「これだけ巨大な書庫なら、青虫についての本があるはずだわ。」
アリスは確信をもって言った。
「無いものを探すのは、さすがの私でも不可能でありんす。
ただ、あおむしという言葉が無いだけで、その生き物について書かれている可能性があるざます。
そのあおむしとやらは、どんな姿ざますか?」
周りの白い手袋たちが情報を寄越せと言わんばかりに、アリスを手招きした。
アリスは困った。
青虫について知っていることがほとんどない。
それに、わかっていることも曖昧で、確実な情報を持っていないからだ。
アリスは記憶を探り、うろ覚えの情報を声に出した。
「そのー、芋虫よ。体の色は青だと思うわ。」
「それから‥‥‥そう、水煙草を吸っているはずだわ。」
「最初から、その情報を出すでありんす。本で調べる必要すらないざます。」
「その特徴なら、間違いなくアラン・アブソレムでありんす。」
「アラン・アブソレム?」
アリスは聞き覚えのある名前に困惑して、思わず聞き返した。
「そうざます。」
「この城とは反対の道に隠れ家を構えているやからでありんす。」
女は誰もが知っていて当然と言わんばかりの口調で答えた。
それを聞いたアリスはお茶会での会話を思い出した。
そのときにも確か、この女が言っている名前が出てきた気がする。
それから、この城に来る分かれ道で青虫の住処を示す看板があった。
考えにふけっていると、巨大な本が視界に入った。
その本は空中に浮遊して、ページがひとりでにめくれていき、女が目を通していた。
アリスが見ていることに気が付いたのか、女が本を見ながら話しかけた。
「アラン・アブソレムの本ざます。」
「何か知りたいことはありんすか?」
……知りたいこと?
アリスはその質問に答えることができなかった。
というより、考えていなかった。
青虫を探してと言われたから、闇雲に行動していた。
だが、青虫を見つけてどうするのかは考えていなかった。
そもそも、会ったらどうなの?
帰る方法を教えてくれるの?
それとも、知りたいことがわかるの?
まったくわからない。
アリスは女の質問に戸惑いながらも答えた。
「どんな情報でも知りたいから本を貸して。」
「無理ざんすね。」
「どうしてだめなの?」
「ちゃんと返すから少しの間、読ませてよ!」
「うーん。」
「わかったざます。ただ、読めるんでありんしたらね。」
本がゆっくりとひとりでに、アリスの近くまでやってきた。
アリスが支えなくても、本は空中に浮いていた。
『アラン・アブソレム』――本の表紙にはそう書かれていた。
ペラ。
最初のページが勝手にめくられる。
――「アラン・アブソレム」――
体長は、一メートルを超える青色の芋虫。
一メートルを超えると言われているが実際に測定したかは不明。
ならば、記入する必要は無いのかもしれない。
ただ、確実に一メートルを超えているのだから記入しても良い。
いつも水煙草を咥えている。
「咥えている」は不適切な記載。
正しくは「吹かしている」。
水煙草を吹かすで、よろしいのか?
そもそも、煙草を吹かすとはなにか?
失礼、正しくは水煙草である。
訂正する。
水煙草?煙草?ややこしい。
なぜ煙草でなくて、水煙草を吸う必要があるのか?
そもそも、水煙草とは何か?
その先には、長文で水煙草の説明が書かれていた。
アリスは二、三ページめくってみた。
しかし、水煙草の説明は終わらない。
アリスは本を読むのを中断して女に聞いた。
「読みづらい。なんなのこの本?」
「そうでありんしょ!」
「本を書く羽ペンは、自我を持っているでありんす。」
「しかも、気になったことについて、いらんことまで記入するざます。」
「この本を読むのは勝手でありんすが、知りたい情報を得るのに何日も要するでありんす。」
「私なら慣れているざんすから、知りたい情報を引き出せるでありんす。」
「しかし、私に聞く気がないんでありんすから、まあ、頑張るざんしょ!」
「わかったわよ。」
「これで、いいんでしょ!」
アリスは本を離した。
本は宙を漂って勝手に女の元に戻っていく。
「本に書いてあることを教えて。」
「嫌ざんす。」
「謝罪の一言もなしに私に頼み事をするとは、かなりずうずうしいざます。」
女の話し方は、先ほどよりも冷たくなっていた。
「ごめんなさい。」
アリスは頭を下げて素直に謝った。
「まあ、いいざます。」
「それで、知りたいこととはなんでしょ?」
女の声はまた明るくなった。
アリスはとりあえず思いつくことを聞いた。
「アラン・アブソレムを、とある人から探すように頼まれて……うーん?」
「そもそも、アラン・アブソレムってどんな生き物なの?」
「悟っている芋虫でありんす。あることについて詳しく、
というか感覚で理解している感じざますね。」
「この件については何を言っているのか、わからないと思うざんす。」
「アリス、あなたが何を聞けばいいのかわかっていないのは当然のことざます。」
「それでいいざます。とにかく、アラン・アブソレムに会いに行くことざますね。」
アリスは女の話を聞きながら思わず首を傾けていた。
聞かされた話は問題を解決するどころか、より謎を増やした。
まだ、烏の問題の方がよかった。
「言われていることがまったくわからないわ。」
「しかも、アラン・アブソレムの説明がないし、結局その芋虫はなんなの?」
アリスは少しいらつきながら聞いた。
「アラン・アブソレムは簡単に言うと目的地ざます。」
「目的地?」
アリスは予想外の答えに、思わず聞き返した。
「あなたみたいなさまよい人の目指す場所というか、生き物ざますね。」
知らない言葉がまた増えて頭が混乱する。
「訳がわからないわ。そもそもこの国はどこなの?」
「それに、なんで襲われるの?」
「死んでも生き返るのはなぜ?」
「死んだ後に話しかけてくる女性は誰なの?」
「それから、あの空間は何?」
思い浮かぶ疑問を次々に問いかけた。
「死んだ後に話しかけてくる女性?」
「それは、初耳ですな。」
しばらくの間、女は深く考え込んでぶつぶつと独り言を呟いた。
やがて、考えがまとまったのか話し出した。
「正直、わからないざます。ただ、まあ、いいでしょう。」
女はアリスを見下ろした。
「うーん。あなたの質問に答えるのは難しいざます。」
「知りたいことをすべて知ろうとすれば、あの羽ペンの様に情報に振り回されて、
大切なことを見落とすざます。」
「そもそも、この城に入れるはずがないでありんす。」
仮面の真っ暗な目が、アリスの胸元に向いた。
「その首飾りは、赤の女王の物。」
「なるほど、そういうことざますか。」
「エノーラからあなたに渡ったのね。」
「エノーラ?」
アリスは聞き覚えのある名前にさらに困惑した。
エノーラはアリスが幼い頃に亡くなった実の母親だからだ。
母の名前が出てきたことで、それ以外の疑問が頭の中から薄れていった。
なぜ、この変な女が母を知っているの?
母はここに来たことがあるの?
偶然、同じ名前の人?
いいえ。
そんなことないでしょ!
この首飾りは何?
父から貰った物なのに、赤の女王の物?
アリスは新たに思い浮かべた疑問を聞こうとした。
しかし、女は先に話を切り上げた。
「かなりの時間を無駄にしているざます。」
「赤の女王に見つかれば、牢屋に監禁されるざます。」
「捕まれば終わり、死ぬまで寿命を取られるでありんす。」
「それだけは、避けねばならない。」
女はそれから何か考え事をしているのか、うわの空でアリスに言った。
「さあ、来た道を早く帰り、芋虫の元までお行きなさい。」
「書庫奥の禁書のエリアに行くのは禁止ざます。」
「出口は、案内するざますから、帰るでありんす。」
たぶん、出口に案内しようとしているのだろう。
白の手袋がアリスを手招きしている。
女は螺旋状の本棚から、赤い染みのついた古びた本を手に取っていた。
背表紙には「ホワイト・レディ」と書かれている。
アリスは青虫の情報を求めに書庫にやってきた。
しかし、手に入れたのは、たくさんの疑問。
さらに、予想外にも母の名前まで出てきた。
アリスが謎に悩んでいると、白の手袋が腕を掴んで出口に引っ張った。
その手を振りほどいて禁書といわれた場所を目指した。
もちろん、禁書と聞いた時から行くことは決まっていた。
女は本に夢中で気づいていない。
アリスはなるべく音を立てないように書庫の奥に進んだ。




