二十七話「城の住人」
アリスの前には、濃い茶色の巨大な扉がそびえ立っていた。
扉の中央にはハートをかたどった紋章が施され、紋章の中には大きな斧が刻まれていた。
紋章の上には、赤い宝石をあしらった王冠が描かれている。
アリスは扉までつづく石の階段を上る。
階段の中央には、赤い絨毯が扉まで敷かれていた。
アリスが扉の前に立つと首飾りが赤く光り輝いた。
扉はアリスを招き入れるように開いた。
アリスは扉の雰囲気に圧倒され、後ろに下がった。
ゴクリ。
唾を飲み込み、決意を固めた。
アリスは拳を握りしめて、ゆっくりと城の中に入っていく。
扉を通り抜けた先は、玄関広間につづいていた。
アリスがこれまで訪れたどの屋敷の広間よりも、大きく立派であった。
天井からは白い宝石が飾られたシャンデリアが吊るされていた。
宝石は光を反射して輝き、床には白と黒の大理石がチェス盤のように敷き詰められている。
正面には二階へとつづく白を基調とする大きな階段が広がった。
中央を彩る豪華な赤い絨毯が階段に敷かれている。
階段を上った先には、巨大な鏡が壁に埋め込まれていた。
正面は壁で行き止まりになっており、二階の通路は左右に分かれていた。
一階も二階と同様に、左右に城の奥へとつづいている。
「うわー。とても広くて豪華!」
城内の煌びやかさと広さに圧倒され、アリスは思わず声を漏らした。
広間を見渡すのに、首を右から左へと百八十度動かす必要があった。
アリスは書庫がどこにあるのか考えた。
なんとなく書庫は一階にある気がする。
とりあえず左の廊下を進むことにした。
廊下を進むと、女王様の胸像がいくつも並んでいた。
その像を子供が磨いていた。
子供ですら召使にする女王様に嫌悪感を抱いた。
書庫の場所を聞こうとしたとき、違和感に気が付いた。
髪がなく、子供の頭は緑色だった。
アリスは思わず二度見した。
子供だと思っていた者は服を着ている蛙だった。
蛙は立派な黒の礼服を身にまとい、二本の足できっちりと立っている。
胸像を器用に雑巾で磨く姿は、なぜか気持ち悪かった。
さらに、何匹もの蛙が城の廊下を掃除していた。
「こ、こんにちは!」
アリスは情報を得るために、近くにいた蛙に声をかけた。
蛙はびっくりして、アリスを見たまま固まった。
「仕事熱心な蛙さん、このお城に書庫はありますか?」
アリスは機嫌を損ねないように蛙をおだてながら聞いた。
「誰だ?どうやって入って来た?」
蛙の声は小さく、アリスは耳を澄ました。
「そんなことよりも、綺麗にしなければ……。」
蛙はぶつぶつと独り言を呪文のように唱えた。
そして、像を磨く作業に戻った。
「扉が勝手に開いたのよ。」
アリスは蛙に聞こえないように小さな声で言った。
「お嬢さん、どきな!」
アリスの後ろから、威張った女の声が聞こえた。
アリスは後ろを振り返った。
そこには、杖を持つ年老いた蛙の姿があった。
蛙の眉間にはシワがいくつもあり、
口には赤色の口紅がたっぷりと塗られている。
大きな真珠の首飾りを下げ、毛糸で仕立てられた紫色のローブを着ていた。
年老いた蛙はアリスを杖で叩き、無理やり壁に押しやった。
アリスは叩かれる体を手で庇いながら叫んだ。
「痛い、叩かないで!」
「おどきなさい!それとも、燃やされたいのかい?」
蛙はそう言いながら、杖で後ろを指した。
杖で指された先には、アリスを驚愕させる生物がいた。
その生物の見た目はたぶん蝸牛だろう。
人よりも巨大な赤い体に、馬車の車輪ほどもある漆黒の殻を背負っていた。
この生物の一番不思議なところは、赤い体が燃えていることだ。
アリスは口を開けて呆然としていた。
年老いた蛙はアリスの表情を見て、ニヤリと笑った。
「お嬢さん、炎蝸牛を見るのは初めてかい?」
「まぁ、珍しい種族だから、驚くのも無理はないがのう。」
蛙は得意げに語り出した。
「こやつの前に出した物はなーんでも食べる。」
「そしてなぜか、燃えるのじゃよ!」
「お嬢さんくらいの大きな者も食べるから気をつけな!」
アリスを杖で指し、蛙は醜い表情にお似合いの下品な笑い声を上げた。
「ヒャ、ハァ、ハァー。」
「失礼な笑い方ね!」
アリスは素直に思ったことを口に出した。
蛙はむっとし、明らかに不機嫌になった。
「体が燃える理屈がわかっていないの?」
「それに、廊下に居たらお城が燃えないの?」
アリスは蛙に聞いた。
「な、なんで燃えるのか?」
「そんなもの、知らんわい。」
蛙はうろたえながら答えた。
「城が燃えないかですって?それは問題ないのよ。」
「だって、この子達がいるからね。」
そう言うと蛙は炎蝸牛の足元から、何かを掬った。
それは、アリスの手よりも少し小さい生き物だった。
「キャー。」
アリスは小さな悲鳴を上げた。
「蛞蝓みたいで気持ち悪いわ。」
アリスは顔を横に向けて、蛙が持ち上げた生き物を見ないようにした。
「あらまぁ、すごく可愛いのに。気持ち悪いなんて失礼しちゃうわね!」
「この子達は、雨虎よ。」
「口から水を出して燃えている床を消火してくれるの。」
蛙は雨虎の体をよしよしと撫でながら言った。
「この子達ってことは?」
アリスは炎蝸牛の足元を見た。
そこには、数匹の雨虎が炎を忙しそうに消していた。
小さな生物がうじゃうじゃと蠢く姿はとても気持ち悪い。
アリスの体中に鳥肌が立ち、思わず視線をそらした。
「早く、ここを通り過ぎて欲しいわ!」
アリスは少し怒った声で言った。
「ふん!」
「生意気な小娘だこと。」
蛙は雨虎をアリスの方に向けて強く握った。
雨虎はグニュと音を立て、口から液体を吐き出した。
液体はアリスの顔に見事に命中した。
「キャー!」
思わず悲鳴を上げた。
「顔も醜いうえに性格もひん曲がっているわね!」
アリスは怒りに任せて蛙を罵った。
「やかましい。お黙り!」
「髪飾りの薔薇とおなじく、あなたの心も真っ黒に染まってるわね。」
蛙はアリスの悪口に負けじと、嫌味を口にした。
「……え?」
「今、なんて言ったの?」
アリスは蛙の言葉を聞き返した。
「あなたの性格は醜いと言ったのさ!」
「言葉も理解できないとは、愚かなむす――」
蛙の言葉をアリスが遮った。
「違うわ、薔薇の髪飾りを何色と言ったの?」
アリスは怒ることも忘れて、蛙に聞いた。
「色かい?黒だよ!」
「まさか、自分が着けている髪飾りの色も忘れたのかい?」
蛙がアリスを憐れんだ目で見た。
「黒?え、本当に?」
アリスはもう一度たしかめた。
蛙はなにも言わずに、アリスを邪魔だと言わんばかりに杖で押しのけた。
その後、蛙はゆっくりとアリスの前を通り過ぎた。
気持ちの悪い集団が蛙の後を追う。
アリスは体を壁にぴったりと押し付けて、一行が過ぎ去るのを待った。
少し時間が過ぎて、アリスは髪留めを外した。
薔薇の色は、確かに黒だった。




