二十話「帽子屋ではない、帽子屋」
「ゴクリ。」
アリスは唾を飲み込んだ。
「そ、その……、探し物していて、さ、先を急ぐ必要があったんだわ。」
額に汗を浮かべてアリスは細々と声を出した。
「そうですか、とても残念です。」
男は悲しい表情を浮かべた。
「もちろん、行ってもよろしいですよ。」
「ただ、探し物は何ですか?」
「我々が知っているかもしれません。」
男の声は優しく穏やかだった。
「ここは、お茶会だ!ゆっくり騒ごう!」
兎から元気な声がする。
アリスは一時の静寂が恋しくなった。
ご機嫌な様子の兎を見てさらに気分が落ち込む。
思わず、俯いた。
気付けば、アリスの手にはティーカップが握られていた。
しかも、紅茶まで注がれている。
紅茶から湯気が立ち、甘い香りが漂う。
促されるように、アリスもゆっくりと紅茶を飲んだ。
少しだけ、気持ちが楽になった。
アリスはマッド・ハッターに聞いた。
「青虫を探しているの。居場所を知らない?」
「青虫は知りませんが、アラン・アブソレムなら知っていますよ。」
帽子屋が帽子をいじりながら答えた。
「アラン…何とかさんではなく、青虫を知りませんか?」
アリスはもう一度聞いてみた。
男は首を横に振った。
「美味しい紅茶をありがとう。それでは、さようなら。」
アリスはお辞儀をして、椅子から降りた。
「アリスが、アリスが…」
また、兎が興奮して耳をピーンと立てて叫ぶ。
「何回も言いましたが、アリエルよ!三月兎さんも紅茶を飲んで!」
「さようなら。」
アリスは平静を装い、その場から逃げようとした。
兎がまた、
「アリスが…」
首が飛んだ。
…兎の。
理解が追いつかない。
何が起きたの?
アリスは声を上げることもできない。
首が落ちるのを傍観していた。
「あまりにも、三月兎が騒がしいので、つい手が出てしまいました。」
「申し訳ない。」
男は帽子を取り、深くお辞儀をした。
鮮やかな橙色の髪の毛が垂れる。
いつ立ち上がったのか?
兎に何をしたの?
アリスは何一つ理解できなかった。
「落ち着いてください。何も心配いりませんから。」
いつの間にか、マッド・ハッターは兎のいた席に座っていた。
「高く飛んだ!吹っ飛んだ~。」
地面の上から、兎の声が聞こえてきた。
「五月兎よ、大丈夫か?」
切り落とされた首が何事もないように話す。
兎の胴体が眼鏡を探すように地面をまさぐる。
「こっちだ。こっち!」
兎の首が、兎の胴体に呼びかけている。
突然、胴体が苦しそうにバタバタもがき苦しんだ。
「いいか。よーく聞くんだ。」
「慌てるな、とにかく息を吸うんだ。息を。」
兎が今までと違い、冷静な口調で言う。
「大丈夫です。頭は三月兎、胴体は五月兎です。」
帽子屋が、真っ青な顔のアリスを励ます。
「ちなみに、四月兎は毛並みが美しかったので、帽子になりました。」
「残念ですが、いまは、手元にありません。」
「申し訳ない。」
男は少し、にやつき答えた。
それを聞いたアリスは、理解するのをやめた。
「そ、それは残念ですこと。」
「兎さんも平気そうですね。」
アリスは、自然と敬語で語っていた。
「そろそろ、お暇させてもらいますわ。」
アリスはぎこちないお辞儀をして、ゆっくりとその場を退出した。
「お嬢さんお待ちなさい!お腹が空きました。」
マッド・ハッターの興奮した声が聞こえてくる。
「ケーキなど召し上がってください。」
「マッド・ハッターさんのお入れになった、紅茶とても美味しかったです。」
アリスは、振り返らないで答えた。
「私、マッドの腹は満たされました。」
「しかし、ハッターの腹は満たされていません。」
後ろにいた、死人の様な白い男が、いつの間にか目の前にいた。
帽子屋の帽子が巨大に膨れ上がり、白色のギザギザの模様が開いた。
中から、赤い巨大な舌が現れた。
帽子は獲物を眺めるように、舌なめずりをして涎を垂らした。
帽子の模様は鋭利な歯だった。
歯には、木の板が挟まっている。
アリスは理解した。
今から食べられることを。
一瞬だった。
痛みはない。
アリスの体が消え。
内臓も骨もなくなり、
血をとどめている器も無い。
ただ、滝の様に血が流れ出た。
アリスは体を食われていた。
気が付いた時には、頭も食われていた。
帽子は満足そうに、帽子屋の頭に戻った。




