二話「白兎と獣」
アリスは必死に白兎の後を追いかけた。
夢中で追いかけるあまり、周りの変化に気が付かなかった。
さっきまで茂みだったはずなのに、気づけば周囲は木々の生い茂る森だった。
景色の変化にも驚いたが、何より目を奪われたのは、猛獣の足跡だった。
アリスの顔すらも覆い隠すほど巨大な足跡。
先ほど聞いた唸り声が、頭の中で何度も鳴り響いた。
恐怖で、結婚式に戻ろう。
そう考えるまで、怖くなっていた。
でも、人の言葉をしゃべる白兎への好奇心が勝り。
失った時間を取り戻すように、アリスは全力で駆け出した。
その表情は、不思議と笑っていた。
やがて道は険しく、木々は道を阻み、着飾ったドレスはボロボロになった。
ドレスの色と合わせたガラスの靴は、脱げて、どこかに消えた。
「どうして、足跡が消えたわ」アリスはあたりを見渡しながら痕跡を探した。
「ミシッミシ」と、後ろから枝を踏みつぶす鈍い音が聞こえる。
冷や汗がしたたり、アリスの脳内に嫌な考えが駆け巡る。
振り返ったら、獰猛な獣がアリスを食べようと牙をむきだしている。
そんな、光景を想像していた。
アリスは地面に落ちていた枝を拾い上げた。
覚悟を決めて、枝を前に突き出し、振り返った。
心臓が激しく鼓動する。
耳に脈打つ音が鳴り響く。
目の前に広がるのは、緑の木々。
その光景は、緊張したアリスの心を癒してくれた。
ドレスが破れ、靴も脱げている。
こんな姿をメリーサが見たら、どれだけ激怒するだろう。
「きっと結婚式も中止になる。そうなればいいのに。」
アリスは願望を小さな声で唱えた。
広く、木々が生い茂る空間は、その言葉を一瞬で飲み込んだ。
それと同時にアリスは唾を飲み込み、止まっていた冷や汗を再び流した。
ゆっくりと近づいてきたものは、茶色の大きな岩?
違う、巨大な熊!!
アリスの体など簡単に切り裂けるほど大きな爪。
人間を一口で飲み込めるほど大きな口をしていた。
アリスの顔は真っ青になっていた。
頭の中は、真っ白より無色で、何も考えられていない。
違う。
ただ、一つの考えだけが頭に浮かぶ。
死だけだ。
「プオーン!」突如、軽いラッパの音が鳴り響いた。
この場所に最もそぐわない音だった。
それを聞いたアリスは少し、正気を取り戻した。
恐怖で見えていなかったが、巨大な熊の背中には白兎が乗っていた。
追っていたはずのものに、追われていたのだ。
色々な思考が、アリスの頭を駆けめぐった。
不思議なことにラッパの音を聞いた瞬間に体が軽くなり、アリスは後ろを振り返り、全速力で逃げ出した。
「突撃~!!」天に轟くほど大きな叫びが響いた。
その声は地鳴りのように低かった。
白兎と似ている声色だった。
その声はアリスの体に響き、木々を揺らし森の奥まで響き渡った。
アリスは振り向かないと決めた。
全速力で走った。
ドシン、ドシン。
巨大な熊が、行く手を阻む木々を鋭い鉤爪で容赦なくなぎ倒し、アリスを追いかける。
その音はどんどん大きくなる。
このままだと、追いつかれる。
そうわかっても、アリスにはどうしようもない。
「ハァッ……ハァッ……」と熊の生暖かい息遣いが耳元に迫る。
血肉を食い荒らしてきた、獰猛な獣の匂いが鼻まで届いた。
もう無理だと諦めた瞬間。
目の前から地面が消えた。
いや、落下しているのだ。
気づいたときには手遅れで、体が重力に負け、落下し始めた。
空中で必死にバタバタと腕と足を動かした。
無意味なのはわかっているが、体が勝手に動いていた。
落下した体は、木の枝に叩きつけられた。
「痛っ……」アリスは声を上げ、草木の上に落ちた。
「グルルルル」涎をたらしながら、崖の上で熊が唸っていた。
アリスは、きしむ体を無理やり動かし、その場から去った。
しばらく歩くと、周りの景色は一変し、目の前に巨大な穴が現れた。
穴は巨大で、底など到底見えなかった。
深淵がアリスを覗いていた。
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